幸運の代償
綱渡きな粉
第1話 我が家に居座る寄生虫=幼馴染
今日は久しぶりに食材や消耗品以外の買い物をしに家の外に出た。天気は生憎の雨模様だし、余所見をして水溜りに足を突っ込むし、そのせいで靴も靴下もぐしょ濡れだが、お気に入りの漫画の最新刊が今日発売だってんで出てきたので気分は空より晴れやかだ。
こんな日はちょっと贅沢に外食でもしたくなるが、残念ながら、本当に残念ながらそういうわけにもいかない。
……きっとあいつが拗ねるだろうからなぁ。
買ったばかりの漫画を死守しつつ慎重に歩き、なんとか自分以外への被弾は皆無で自宅に帰り着く。
玄関口に置かれた傘立てに水気を飛ばした傘を突っ込み、引き戸を開けて中に入る。沓脱石の上には見慣れた革ブーツが脱ぎ散らかされており、やっぱりあいつが居るのかと溜め息が零れる。
とりあえず無惨な姿のブーツを綺麗に並べ——る前に嫌々ながら中に手を突っ込むと案の定湿っており、また一つ溜め息を吐きつつ下駄箱の中から新聞紙の束を取り出し、丸めてブーツの中に押し込む。
自分が脱いだ靴にも同じように丸めた新聞紙を入れたところで濡れた靴下を脱ぎ、ぺたぺたと足音を鳴らしながら板張りの廊下を歩いて脱いだ靴下を脱衣所の洗濯機に放り込んでおく。
着替えは……しなくてもいいか。面倒だし。このくらいならすぐに体温で乾くだろう。
それはそうと、今日のあいつはどこで惰眠を謳歌してるやら。毎回違う部屋で寛ぐあいつの姿にももう慣れた。いや、慣れたくはなかった。だってここ、俺の家だし。あいつは家族でも親戚でもないし。血の繋がりなんて全くないのにまるで我が家のように寛いでいるが、それを許してやった覚えはない。
玄関から左側の廊下を歩いてテレビの置いてある居間に向かうと、屋根を打つ雨の音に混じって何やら音声が聞こえてきた。今日はこの部屋でテレビを観ているらしい。平日の夕方に差し掛かる時間に面白い番組などやってなかろうに。
少々悪戯心が芽生えた俺は勢いよく、それこそ人生で一度もやったことのないほど力強く襖を開けた。しかし、スパァンと小気味良い音と共に露わとなった部屋の惨状に目を覆ってしまう。
こいつ、ズボン半脱ぎで下着晒して寝てやがる……。
「おいコラ起きろ」
起こす為に足音を鳴らして近寄っても無警戒面で眠りこけてる阿呆の肩を掴み激しく揺する。
「んあ……あ、ユキじゃん」
「ああ、そうだよ。家主が帰ってきてんだ。だから早よズボン履け」
そう言ってご丁寧に指まで差して現状を教えてやるが、こいつ——
「いやぁん、えっちー」
「シバいたろかこいつ……」
——家に入り浸る寄生虫こと幼馴染に殺意を覚える今日この頃。
「誰がお前みたいなクソ虫に欲情するか。眼が汚れるから早よ履けや」
「上の口は正直だな」
「上も下もねえわ。おい、半脱ぎで立ち上がるな」
「最近買ったあれで写真撮らないの? 一眼レフのお高いキャメラ」
「旅行先の景色を撮影する為に買った物であって、汚物を撮る為に買ったんじゃねえよ」
……なんだろう、会話が出来てるようで出来ていないこの感じ。キャッチボールでこちらが投げた球は無視するくせに向こうは予備の球を投げ続けてくるような、そんなイメージだ。
「というか、毎日来るなよお前。実家に帰れ」
「ひどい、私たちの関係って遊びだったの……?」
「ごっこ遊びするならもう少し感情込めてくれませんかね……」
声音も表情も平坦で、纏う雰囲気も常に一定。外見上で感情の機微を悟れる人間は
「おい、葉揺」
「どうしたの?」
「お前は俺の家に入り浸りすぎだ。来るのは別に構わんが、頻度を減ら——」
「やだ」
「いや、やだとかじゃ——」
「やだ」
「…………」
——幼児かな?
「じゃあうちに来るのを週七から週五に減らせ。お泊まりは週三回まで。それが守れるなら、昼飯の弁当を作ってやる」
「わかった」
快諾したよ、この人……。今までこんなに聞き分けの良い時があっただろうか。どんだけ食い意地が張ってるんだか。
「契約成立だな。もしこれを破ったら俺は二度と飯を作らんから、そのつもりで」
「りょ」
本当に分かってるのかねぇ。まあ、俺も甘ちゃんだから時が過ぎて約束がなあなあになっても弁当を作ってる未来しか見えんが。
「あ、そうだ。葉揺、今日は晩飯食ってくのか?」
「このあと二十時前までリモート授業があるから、それが終わったら食べる」
「りょーかい」
昨今の新型感染症のせいで入学式以降まともに学校にも行けない大学生も大変だなあ、なんて酷く他人事のように考える。俺は最終学歴が高卒だし生きるのに困らないだけの金があるから働く意欲も無しのクソ野郎だからそこら辺の苦労は知る由もないが、葉揺も葉揺なりに頑張っているのだろうか。
——だからと言って、人様の家に飯を集りに来るのを許容するつもりはないが。
さて、今日は何を作ろうか。冷蔵庫の中を確認すると、消費期限の近い牛乳が目に入った。
「ふむ、久しぶりにグラタンでも作るか」
唐突だが、俺には好き嫌いがほぼないものの胃腸がとんでもなく弱い。辛いものや大蒜などの刺激物、牛乳、アイスや冷たい飲み物などを摂取すると瞬く間に腹痛&下痢のコンボ技に悩まされる。
しかし、俺本人としては大蒜や牛乳、アイスクリームなどが割と好きなのが悔やまれる。牛乳だってカルーアを飲む為に買っているが、酒にも弱いこの身体ではカルーアなんて滅多に飲まず、飲んだとしてもコップ一杯をちびちびと舐めるように飲むばかり。
そんなことをしていると気づけば牛乳の消費期限が近づいて焦らされるので、牛乳なんざ一ヶ月に一度買うかどうかというレベルだ。今回牛乳があるのも、つい先日プリン作りに挑戦したからであり、その完成品も俺が食う前に全て葉揺に平らげられてしまった。
なんか思い出したら腹立ってきたな……。
まあ、いいや。美味い美味いって言いながら食ってたし許してやるか。
——考えながら手を動かしているうちに焼く前段階まで終わっていた。これを電子レンジに入れる。最近の電子レンジはつくづく高性能だなぁ、と思いながら焼けるの待つ合間に他のおかずも作っていこう。
☆☆☆
時計を確認すると、十九時四十五分だった。そろそろ授業も終わる頃だろう。俺は焼き上がったグラタン入りの耐熱皿の両端を持って先ほど葉揺が寝ていた部屋に向かった。
襖は開け放たれており、室内では葉揺が何を考えてるのか分からない顔でノートパソコンと時折睨めっこをしていた。いや、マジで何してんだコイツ……。授業してる先生や他の学生には見えてないのか……?
変顔中の葉揺は放っておいて、俺は着々と晩飯の支度を進める。
「ふう、疲れた」
相も変わらず無表情でそんなことを呟いた葉揺はノートパソコンを閉じて傍らのリュックサックに無理やりねじ込んだ。どうやら授業は終わったらしい。
「はまたはたらむさあはやさまたはま」
「は?」
「はやはさちたりむあなさまらあらやすは」
「どうした、お勉強のしすぎで脳味噌バグったか?」
「お腹空いたって言った」
「……すまんが、地球上の既存の、それも日本で広く使われてる言葉じゃないとさっぱりわからん」
「フッ」
なんで俺、コイツに鼻で笑われたの……?
「今日はグラタン?」
「まあ、見てわかる通り」
「美味しそう」
「そりゃどーも」
その後、俺たちは並べた夕食を向かい合って黙々と食べた。今日もコイツを追い出せなかったが、グラタンが美味かったので良しとする。
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