09-44 人を愛した人魚の最期
祭壇に向き直り術式を最後にもう一度だけ確認する。
(……大丈夫だ。術式は完璧に書き直してある。後はいつも通りにやれば問題ない……はず!)
意を決めて魔力を込めていくと、祭壇から淡い光が立ち込め始めた。こんな事態なのに何だか少しだけホッとすると思ったら、いつも工房の釜で錬金術を使う時とよく似た光景だ。
(……よし! 何とか起動はしてくれたみたいだな)
島全体へ広がっている淀んだ魔力の流れが、この祭壇に向かって徐々に引き戻されてきているのが分かる。
(よしよし、良い感じだぞ。時間はかかるかもしれないけどこのままゆっくりやれば……)
魔力の流れも安定してきて、ひとまず安心したその時――
『――ローラああぁぁぁ!!』
地の底から響ような悍ましい雄叫びが洞窟の外から響いてくる。
声を聞いたティンクが入り口を確認しに行ったが、慌てた様子で直ぐに戻ってきた。
「不味いわよ、あの男が来てる! めちゃくちゃな勢いで結界を掻きむしってるんだけど――」
ティンクが言い終わるよりも先に、パンッと泡が弾けるような音が聞こえた。どうやらローラが張った結界が破られたようだ。
『ローラぁぁぁ! 鱗をぉぉ! 血を!! 肉を寄越せぇぇぇ!!!』
くぐもった声で唸りながら他の亡者を引き連れてあっという間に広場まで押し寄せて来てしまった。
「あーもう! 煩っさいわね、この粘着ストーカー男! そんなんだから錬金術の腕も二流なのよ!」
スピアを構え、ティンクが亡者達の前に立ち塞がる。
「ローラは魔力まだ残ってる!?」
「ごめんなさい、さっきの結界で使い切ってしまいました……」
ローラに声を掛けながら広間の入り口を確認するティンク。
ノソノソと姿を現した亡者の数はさっきの3倍以上だろうか。この数相手じゃさすがのティンクでも数分も持たないだろう。
「――っ! マグナス、残りの工程はどれくらい!?」
「……あと10分はかかるな」
術式を発動しながら横目で見ると、そうこうしている間にも亡者の群れがこっちに向かってどんどんと押し寄せてくる。その先頭で、例の男がローラに向け手を伸ばした。
『ローラぁぁぁ』
持ち上げたその手が重力に負けボトリと床に落ちる。落ちた腕は腐った肉のように色を変えみるみるうちに朽ち果てていくが、肩からは直ぐに新しい腕がグジュグジュと生えてきている。
「おいおい……トカゲのしっぽでもそう簡単には生えてこねぇぞ」
こりゃ槍や剣でどうこう出来る相手じゃねぇな。聖水も使い切っちまったし……つまり今の俺達じゃなす術が無い。
ふとティンクと目が合う。
分かってる、お互いに諦めは悪い方だからな。勝ち目が無くてもやれるところまでやってみようぜ!
男を見据えてティンクがスピアを構え直した……その時――
「――こっちです!」
突然、大声を上げながら俺達から離れるようにローラが駆け出した。
それに気づいた亡者たちが一斉にローラの方へと向きを変える。
「ち、ちょっと! 危ないから離れないで! あはたは大人しく下がってて!」
ティンクが慌てて連れ戻しに行こうとするが、亡者の群れがあっという間にローラを取り囲んでしまった。
「あの男は、私の血肉を寄越せと言っています。私が狙いなら……少なくとも私が襲われている間はそっちに行かないはずです! ――最近少し太ってしまったので、食べきられるまでそれなりに時間は稼げると思いますよ!」
嘘みたいな事を真剣に言いながらにっこりと笑うローラ。
「ちょ、なにバカな事言ってんのよ!」
ティンクがどうにかローラの元へ突破する道を作ろうと亡者に飛び掛かるが、数が多くて近づく事も出来そうにない。
「ローラがこれ以上酷い目に遭う必要ないだろ! 俺が何とかするから待って――」
「マグナスさん、ティンクさん! こんな事に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい!! どこまでも我が儘で申し訳ないとは思いますが、最期に1つだけ言わせてください。 ――マグナスさんと一緒に島をお散歩できて楽しかったです! ありがとうございました。……お2人とも、どうかご無事で――!」
最後に俺に向かってニッコリと笑かけると、亡者の群れに向かいローラは自ら飛び込んでいった。
まるで飢えた獣の群れの中にウサギが一羽放り込まれたように、我先にと亡者たちが纏わりつきその肢体を貪り始める。
押し合い重なり合いもはや緑色の肉塊となった亡者達にローラの身体はあっというまに取り込まれてしまった。
唯一まだ見えている右腕だけが必死に俺の方へと向けられている……が、その腕も力なくダラリと崩れ落ちた。
「――や、やめろっっ――!!」
あまりにも無残な光景に、錬金術の事も忘れ喉の奥から大声を吐き出す。
魔力を込める手に思わず力を込めてしまったその瞬間――床に彫った文様の一部が激しい輝きを放ち始めた。
(……何だ!?)
光っている辺りを目視で確認すると何やら黒いシミが出来ている。……あそこはさっきティンクが怪我をして血を落とした時にも光った場所だ。
光はみるみるうちにその強さを増し、目も開けていられないような閃光が洞窟内を真っ白に染めていく。
何が起こったのかも分からずあっけに取られていると、まだ半分も仕上がっていなかった錬金術の術式が、一気に加速しみるみるうみに組み上がっていく。
「な、何だこれ!!?」
溢れかえらんばかりのとんでもない魔力の量!
例えるなら――素材を必要量の10倍、20倍……いや、100倍以上もぶち込んだような圧倒的な力が何処からか流れ込んでくる。
その力はまるで意思を持つかのように残っていた工程を一気にすっとばし――いや、工程だけじゃない。根本的な構造や法則までも完全に無視してめちゃくちゃな速度で術式を完成させてしまった。
「――!? で、出来た!? え、ええっ!? なんで!?」
『ローラァァ! ローーラァーー!!』
亡者の群れの中では男が狂ったように、ドロドロの肉塊をむしり取り貪り食っている。
「――とりあえずお前はいい加減諦めろ! この粘質ストーカー野郎ぉぉ!!」
よく分からないけれど、迷っている時間は無い。
――完成した術を一気に放つ!!
祭壇から放たれた光は渦を成し爆発的に膨張していく。ここからじゃ確認出来ないけれど、光は島全土を覆うまで広がっていくはずだ。
……暫くして、辺りを包んでいた光が今度は祭壇に向け収縮していく。
『――!? オッ? オオオオッッ!? な、何だこれはっ!? 何が起こって――』
消え行く光に巻き込まれるように、辺りに居た亡者諸共、男の姿も綺麗さっぱり消え去ってしまった。
「……や、やったのか?」
あれ程しつこい怨念も、消え去る時はこうも呆気ないものなのか……。
慎重に辺りを見渡してみても、亡者の姿は一体たりとも見当たらない。辺りに飛び散っていた肉片の一つすら残らず、綺麗さっぱり完璧に消え去ったようだ。
唯一残っているのは……ぐったりと床に横たわるローラの姿だけだった。
「――!? ローラ!!』
慌てて駆け寄りその肩を抱き起す。
「おい! 頼む、目を開けてくれ!!?」
亡者達にもみくちゃにされ白いワンピースはボロボロだ。綺麗だった長い髪もグシャグシャに絡まってしまっている。
「マグナス! ローラは!?」
慌てて駆け寄って来たティンクと顔を見合わせていると――
「う……うん……?」
なんと! 俺の腕の中でローラが薄らと目を開いた。
「――うー、ベトベトで、臭くて……最悪です」
俺の顔を見て力なく笑うローラ。
その身体にはそこら中にひっかき傷や歯形がついていて、血のにじんでいる箇所もいくつかあるが……大きな怪我は無いようだ。
「へ、平気……なのか?」
「……はい。自分でもびっくりですが……人魚って相当丈夫みたいですね」
あっけらかんと答えたローラの一言に、張りつめていた緊張の糸が切れて思わず吹き出してしまった。
魔力が弱まったとはいえ、さすが不老不死を謳う伝説の人魚ってことか。
ティンクもローラも自分で歩けるというので、二人を両脇にかかえてゆっくりと洞窟から外へと出と――さっきまでの嵐は嘘のよう消え去り、只々蒼くて何処までも深い、チュラの美しい空が広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます