09-42 強欲な錬丹術師の末路

 青年が研究所に捕らえられてどれくらいの月日が流れただろうか。


 連日連夜に渡る狂気じみた実験によりもはや日にちを気にしている余裕も無い。

 肉体はどれだけズタボロにされても翌日には再生するが、精神はいよいよ擦り切れそうになっていた。


 もはや自分が何者で、いったい何のために存在しているのかすら分からなくなってきていた……そんなある日。


 ――事態は一夜にして一変した。


 実験中の事故により、研究所が大火災に見舞われたのだ。


 可燃性の高い薬品を大量に貯蔵していた事もあり火の廻りは尋常ではなかったそうだ。研究所の施設だけでなく周りの森林もあっという間に巻き込んで一帯が焼け野原になった。殆どの職員がその場で焼け死に、逃げ延びた者もその先長くは持たなかった。


 監禁されていた青年も生きたまま炎に焼かれ黒焦げの焼死体となったが……やはり死ぬ事は無かった。

 炭から再生した彼は混乱に乗じて施設から逃げ出し、事故のほとぼりが覚めるまで長い時間を島の密林に身を隠してひっそりと過ごした。


 幸い時間だけは腐る程に待ち合わせている。

 彼の事を知る人間が島から居なくなるのをじっくりと待ち、その後は街の隅の空き家を貰い受け独りで練丹術の研究に明け暮れた。


 そして長い年月を掛けてやっとたどり着いたのが……人魚の鱗を素材にして作る"不死者を死に至らしめる毒薬"の製法だと言うのだ。



 ――――



「――その毒薬さえあれば俺は死ねるんだ! そのためにまずお前を人魚に戻す必要がある! あの島に行ってお前に使った錬丹術を逆流させるぞ!!」


 元はといえば自分が手柄を上げたいがためにローラを人間の姿に作り変え、今度は再び人魚に戻れというのだ。

 あまりにも身勝手な要求。……けれど、ローラは黙って頷いた。


 彼が今日に至るまでに経てきた壮絶な体験を聞かされ、ボロ雑巾のようになったその姿を目の当たりにして、その事に自らの責任を感じたのだった。


 私が余計な事をしなければ、私がもっとしっかり彼を支えていれば、私が彼と出会わなければ……私なんか居なければ。


 全てを終わらせるため、2人は小島へと向かった。



 ――



 小島に着くと男はローラにあの日と同じ練丹術を、逆の手順を追って施す。


 以前と同じように男の肉体は割け血まみれとなるが、不死の身である今の彼は難なく再生を果たした。


 一方のローラは無事に人魚の尾ひれを取り戻していた。美しく輝く鱗がキラキラと松明の光を反射している。


 その姿を見るなり男は奇声を上げながらローラに掴み掛かり、何の断りもなく揚々と鱗をはぎ取り始めた。

 鱗が剝がされるたび激痛が走るが、ローラは唇をかみしめ声も上げずに必死に耐えた。

 男が受けた苦痛に比べればこの程度は大した事ではない、これは自分への罰だと思い苦痛を受け入れ続けたのだった。


 ローラから鱗を1枚残らずはぎ取ると、それを抱え祭壇に向かう男。


 祭壇に空の薬瓶を置き、周囲に刻まれた術式を書き換えて床に両手いっぱいの鱗を散りばめる。


 そして男が呪文を唱えると、鱗は次々と雨露となり祭壇に設置された薬瓶へと集まっていく。


 その様子を見て、狂気じみた高良笑いを上げながら天を仰ぐ男。


「これで――これで終わりだ! やっとこの苦痛から解放される!! やっと死ねるぞ!!」


 その傍には尾ヒレから血を流してぐったりと横たわるローラの姿があったが、男は彼女の事などもはや眼中に無いようだ。

 ……でも、それでもローラは嬉しかった。

 自分のせいで長い間苦しんできたこの人が救われるのならばと。心から男の成功を喜んだ。



 ――しかし。


 海の悪魔は冷酷だ。



 手にた薬を一気に飲み干した途端……男の体から薄気味悪い緑色の泥が溢れ出してくる。


「ぐ!! ぐぎぎぎぎぎぃ!! こ、これが! 死の苦痛というものか!!!」


 目を見開き、自らの喉や胸を必死に掻き毟りながら悶絶する男。


 迫り来る壮絶な苦痛に耐えられず床に倒れ込み転げ回る。……が、どれだけ経ってもその命は尽きる事がない。


「……ど、どうなってる!! まだか! まだなのか!!!」


 自らが生み出したヘドロにまみれ、血走った目でローラを睨む男。

 当然のことながらそんな事はローラには分からない。

 ただただ怯えて首を横に振るしかない。


 男の体から止めどなく溢れるヘドロは床をつたいやがて洞窟の外へ。……そしてボタリと海へ流れ込んだ途端――あっという間に海水を汚染し海を呪っていく。

 海藻や珊瑚は一瞬にして腐り、泳いでいた魚が大量に海面へ浮かび上がってきた。


 ……男が手に入れたレシピは、蘇らせてはいけない禁忌だった。

 しかも、彼の錬丹術も未だ未熟。

 それらが相まって恐ろしい呪いを生み出してしまったのだ。


 その結果として、辺り一帯が呪われ誰も住むことの出来ない死の海域に成り果ててしまった。

 人間たちは我先にと島から逃げ出し、人魚たちも新たな海を求め遠くへと去ってしまった。

 それ以降、チュラ島は誰も近づかない無人の島となったのだ。


 島に残ったのは、ローラと男の放った呪いだけ。

 魔力の源である鱗を失い、この呪いの中では遠くまで泳いで逃げる事もできない。

 かといって自ら命を断つことも出来ないローラは……それでも美しかった島を取り戻すため呪いを解く方法を研究し続けた。


 永きに渡る研究の中で陸で生きるために人間に化けるための魔法を手に入れた。この成果の裏には、彼が遺した錬丹術の知識が大いに役に立った。その点では非常に感謝している。


 そして数十年を費やして、島の原生植物である"雷花"という花にこの呪いを浄化する作用がある事を突き止めた。


 その後は農業を研究し"雷花"の繁殖に全力を注いだ。


 その努力のかいもあり海の呪いは徐々に中和され、根絶こそ出来なかったものの島は再び美しい生態系を取り戻したのだった。


 そして島に徐々に人間が戻ってきたのが――ついここ百年程前の事だ。



 ――そして現在。


 島に渦巻く呪いの復活を阻止し、永きに渡る因縁を断つために。

 海の外から来た若き錬金術と共に――彼女は最後の闘いに打って出たのだった。

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