09-30 亡者パニック

 ドアを開けて外に出ると――辺りは既にパニックになっていた。


 パジャマ姿の男性が転がるようにコテージから飛び出してきたと思ったら、桟橋で座り込んで泣いている子供を突き飛ばすようにして走り去って行く。

 隣のコテージでは、中に貴重品を置いて来たとかで喚く婦人を旦那さんが怒鳴りつけている。


『キャアアーー!!』

『なんだこいつらは!?』

『ママ―!!』


 地の底から響くような亡者のうめき声と、慌てふためく人々の怒声や悲鳴が混ざり合いまるで荒れ狂う海風のような喧騒が耐える事なく響き渡る。

 それとは対照的に、照らす灯りも無く真っ暗な海はどこまでも静かで底知れぬ深さを湛えて人々を飲み込まんと足元に広がっている。

 ――正に地獄絵図。


 つい数刻前まで平和そのものだったはずの周囲の様子の変貌ぶりに焦りながらも、努めて冷静に状況を確認する。

 そこら中でビチャビチャと音を立てて歩き回る亡者は、どいつもこいつも海から這い上がってくるようだ。


 となれば――まずは海から離れないと! こんな海の真上に居たらあっという間に囲まれる!


「……あっちだ! 海から離れるぞ!」


「分かった! カトレア、足元気を付けて!」


「はい!」


 女子二人を後ろに庇いないながら、逸れないように固まって桟橋の上を本館へ向かって慎重に走る!

 ちらっと足元へ視線をやると、桟橋のヘリを掴もうと亡者の手が次々と海から伸びてくるのが見えた。


「……うぉりゃっ!」


 一瞬足を止め、手に持ったオールで一番近くにあった亡者の手をぶっ叩いてみる。

 泥が弾けるようなベシャとした感覚と、貝殻が砕けるような渇いた感覚が同時に手に伝わってきて何とも気持ち悪い。


 手を失った亡者のはそのまま海へと転落して沈んでいったが……その間にもどんどん他の亡者が這い上がって来る。


「何やってんよの! この数相手じゃ無理よ!!」


 少し先まで進んでいたティンクが慌てて戻ってきて俺の首根っこを捕まえて引っ張った。


「クソッ、一匹一匹は大した事無さそうだけど、さすがにこの数は無理か!」


「二人とも、早く!!」


 足を止めてピョンピョンと飛び跳ねながら俺を呼ぶカトレアの元へ合流すると、再び三人揃って駆け出す。



 海から這い上がってくる亡者を避けながら、桟橋の半ば程にある中継地点――各コテージからの橋が集まる広場までどうにかたどり着いた。

 ここを抜ければあとは本館まで一直線なんだけど――。何故か逃げて来た人達が集まってここで立ちすくんでいる。


「皆さん! 走ってください! 後ろから亡者が来てます!!」


「分かってる! でも――無理なんだ!!」


 傍に居た男性が苛立ったように語気を荒げて桟橋の先を指さす。


 本館へと続く唯一の長い桟橋。その上に……沢山の亡者が群がり、ゆっくりとこっちへ向かって来るのが見えた。


「……マジかよ」


 全くもって笑ってるような場合じゃなのは分かるが、あまりにヤバ過ぎる光景で感覚が麻痺したのか無意識に口元がニヤけて変な笑い声が出る。


「……これ以上数が増える前に強行突破してみる? それとも、一か八か海の中を泳でみようか……」


 手に持った包丁を構えながらティンクが耳打ちで俺に確認してくる。


 周りを見渡すと、中継地点に居るのは俺たち以外にざっと二十人ほど。


 子供は皆泣きわめいているし、パニックで過呼吸になっている女性もいる。

 亡者にやられたのか腕から血を流している人もいれば、他に怪我をした人もたくさんいるようだ。


 俺たちと同じように包丁やフライパンを持ってやる気を見せる男性も数人いるが、皆腰が引けていて到底戦えるとは思えない。


 まぁ、ここにいるのは高級ホテルから招待を受けるような金持ちばかりなんだから、戦闘経験のある人なんてまずいないだろう。

 まともに戦えるのは俺とティンクだけか。



「仕方ない……。俺たちで何とか切り開くぞ!」


 人混みの間を割って群衆の先頭に立つ。


「に、兄ちゃん、根性あるな」


 オールを構えて亡者の群れを見据えていると、オタマを構えてオロオロとしていた中年の男性に声をかけられた。


「あんたも戦うのよ! ほら! 私達が突破口を開くから、それまで周りの亡者から皆を守って!」


 ティンクが男性の肩をバンと叩く。


「え、えぇ!?」


 狼狽える男性を押し除けて、今度は俺と同い年くらいの男子が詰め寄って来る。


「ちょっと待て! お前達、戦闘経験があるのか!? それならまず俺を守れ! 俺はノウムのシャムロック家の跡取りだぞ!! 他の奴らは良いからまずは俺を避難させろ!」


 グイグイと腕を掴まれて、危うく海に落ちそうになる。


「いい加減にしてください!! 今は貴族だ身分だなんて言ってる場合じゃないでしょ!」


 男の肩を掴んで俺から引き離したのはカトレアだった。珍しく険しい顔で男のことを睨みつけている。


「な、何だお前。俺を誰だと思ってんだ……」


 口では反論しつつも、カトレアの気迫に押されて男は口篭りながら後ずさっていく。

 カトレアの事だ。きっと同じ貴族として許せなかったんだろう。


「ティンク、マグナスさん。本当に行くんですね!?」


「あぁ! カトレアは皆んなを頼む。道が出来たら後から走って来てくれ!」


「……分かりました。ごめんなさい、一緒に戦えなくて。絶対無事にここを抜けましょうね!」


 カトレアと目を合わせて深く頷きあう。

 その後にティンクとも呼吸を合わせ大きく頷く。


「行くぞ!!」

「えぇ!」

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