04-12 サキュバスの残り香

「――おまえ言ってたよな? 恋とかはしたくないって」


 隣に居るティンクの顔をじっと見つめて問いただす。


「え? ――そ、それは……心変わりしたのよ! ほら、乙女心と秋の空は変わりやすいって言うじゃない! の心なんて移り変わるものよ」


 あははと笑ってパンと手を叩くティンク。


「……成る程、“人”か」


 確かにティンクは見じゃ人間と何も変わら無い。シューやカトレアさん達も皆当然のようにティンクを人間だと思って接している。

 けれど、俺の前であいつは頑なに自分の事を“物”だと言い張り続ける。まるで深まる絆を断ち切ろうとするかのように。



「……他人の記憶かは姿形は真似できても、その思いや思想までは真似出来ないって訳だな――サキュバス!」


 立ち上がりティンク……いや、サキュバスから距離を取る。


「……ちぇっ、バレちゃったかぁ。もう少しだったんだけどなぁ」


 呑気にひとつ背伸びをすると、服についた草を払いながら立ち上がるサキュバス。


「まぁ、やっかいそうな保護者も居たし難易度高いかなぁとは思ってたけど――まさか詰めで知り合いに化けちゃうなんてね。たまにいるんだよねー、こういう幸せな子。私としてはツイてないけど!」


 悪戯な笑みを浮かべ、ピンと立てた人差し指を唇に当て悪戯なウィンクを向けてくる。

 ティンクが普段絶対に見せないような表情だ。その妖艶な様子に、偽物と分かっていながら思わず見惚れてしまう。



「――居た!! マグナスくん! 大丈夫!?」


 声の方を振り返ると、ランタンを手にしたナーニャさんがこっちへ駆け寄って来るのが見えた。


「ふふ、短いデートだったけど楽しかったわ。またいつか、ゆっくり続きをしましょう」


 そう言ってチュッと俺に向けキスを投げると――サキュバスの姿がゆらりと黒い影へ変貌する。

 その影が弾け、多数のコウモリへと姿を変えると微かに明け始めた夜空へと飛び去って行った。


「あ! 待てぇ!」


 全てのコウモリが飛び去た後、その場に薄らと残って夜風に消えようとしている黒いモヤをナーニャさんが慌てて瓶ですくい上げ蓋をする。


「――採れた! もしかしてと思って準備してて良かったわ」


「……へ?」


 突然の事に呆気に取られ、唖然としている俺にナーニャさんが瓶を手渡してくれる。その中では、さっきまで黒い霧状だったモヤが行き場を失いフワフワと漂っているのが見える。

 その様子を暫く見つめていると、モヤは瓶底に溜まりやがて淡いピンク色の液体へと姿を変えた。


「――それが“サキュバスの残り香”よ」


「え? これが!? ……一体全体何がどうなって――てか、ナ、ナーニャさん!?」


 サキュバスに気を取られて忘れてた! 俺、ナーニャさんに追いかけられてたんだった!

 慌てて岩の影に逃げ込む。


「……ちょっと、マグナスくん。いったいどんな夢を見たのよ?」


「……夢?」


 ナーニャさんに説得され、とりあえず家路につきながらさっきまでの出来事を話した――


 ――


「……なるほど、それは怖い思いをしたね。サキュバスは狙った獲物に幻覚を見せて惑わせる力があるらしいの。言わば寝惚けてるような状態に出来る訳ね。とはいえ、根も葉もないような妄想を現実にして見せる事は出来ないわ。その点は色々と勘違いさせちゃった私も悪かったわね」


 家に帰ると、ナーニャさんが地下室に通してくれた。

 改めて中を見ると……石造りの室内にはチーズやワイン、肉の塊などの食料――それに錬金術用の大きな釜が置かれていた。


 これって、ただの工房兼食料庫じゃないか……そう思って部屋の隅に目をやると――やっぱりあった! 大量の“骨”!!


「――骨ぇ!!」


 驚いて悲鳴を上げるとナーニャさんが慌ててブンブンと手を振る。


「お、落ち着いて。怖がるかなぁと思って鍵閉めといたんだけど……やっぱりモリノだと動物系の素材って珍しいのよね。ソーゲンでは普通に使うのよ“動物の骨”」


「ど、動物の骨?」


 落ち着いてよく見ると、積み上げられている骨は確かにどれも人骨ではないようだ。


「ソーゲンの錬金術師は、まず動物に感謝する事から学ぶわ。ミルクや卵、そしてお肉を頂き、死して骨は素材に。私達と動物は切っても切れない関係なの」


 積み上げられた骨の山に向かい手を合わせるナーニャさん。

 そういう事だったのか……。モリノの錬金術は植物系の素材を使う事が多く、最初は森の恵みに感謝する事から教わるな。土地が違えば錬金術の教えも変わってくるもんなのか。


「なるほど、地下室の事は分かりました。それじゃあ、あの大きな包丁は何だったんですか? ここで包丁研いでましたよね?」


「包丁? ……あぁ、あれね」


 机の上に置いてある大きな包丁を手に取って見せてくれる。


「マグナスくんにとっておき美味しいシチューを作ってあげようと思って。前から熟成させてたお肉を切り出そうと思ったの」


 肉……? てことはあの大きな包丁は肉切り包丁……?

 改めてナーニャさんが呟いていた内容を思い出してみる。


『まだ食べごろじゃないけど、このまま機会を逃しちゃったら勿体ないものねー。今日食べちゃおう』


「何だ……食べちゃおうって、お肉の事ですか。まぁ落ち着いて普通に考えたらそうですよね」


 あまりにも呆気ない真実を知り、思わず腰か崩れてその場にへたり込んでしまう。


「ごめんね、あんな時間から仕込みしてた私も悪いんだと思う。普通驚くよね」


「いえいえ、それもこれもサキュバスの幻覚のせいですよ。いやー、変だと思いましたもん。よくよく考えたら『可愛いマグナスちゃん〜』なんかナーニャさんが言う訳ないですもんねー」


「……そ、そうよ! 幻聴よ。やーねぇサキュバスったら」


 何故か顔を赤らめるナーニャさんだった。

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