04-10 地下室

 その日の夜……



(――ッ!?)


 突然の物音に驚き布団を跳ね除けて起き上がると、勢いで舞い上がった前髪がハラリと垂れておでこに張り付いた。


 ……何か気持ち悪いと思ったら、汗で寝巻きがぐっしょりだ。呼吸も荒い。


(うなされてたのか? 昨日はあんなにぐっすり寝れたのに)


 開け放たれた窓からは、薄らと雲に覆われたおぼろな月が見える。

 もう夏も近いっていうのに、草原の夜はひんやりと涼しい。


(窓……開けたまま寝ちゃったんだな)


 窓を閉めようとベッドから降りると、ふと足元に何かが転がっている事に気が付いた。


(……皿?)


 床に落ちた皿の周りは何かが溢れたように濡れてるみたいだけど……そうか、思い出した。

 サキュバスを呼ぶおまじないだとかいって枕元にミルクを置いて寝たんだった。

 寝返りを打った拍子にでも落としたか。


 しかしまぁ。こんなおまじない程度で意識してうなされちまうなんて……我ながら神経質な所もあるんだな、と笑えてくる。


(寝直す前に、溢したミルクは拭いとかないとな)


 寝室を出て、タオルを取りにキッチンに向かう。


 太陽がたっぷり差し込む昼間の明るい様子とは打って変わり、家の中は真っ暗だ。

 窓から差し込む仄かな月明かりで、辛うじて階段は降りることができた。


(今、何時頃だろう……? さっき見た月の高さからして深夜はとっくに過ぎてそうだけど――)


 そんな事を考えながら1階のリビングのドアを開ける。

 当然リビングには誰も居ない。


 誰も座っていない空っぽのダイニングテーブルを見て、ふとナーニャさんとの楽しい夕食を思い出す。


(ナーニャさん、いつも独りでご飯食べてるんだよな? ……寂しくないのかな?)


 キッチンに積まれているタオルを1枚取りリビングを後にする。


 そのまま階段を登ろうとして――ふと1階の廊下の奥がほんのり明るく見える事に気付いた。


(……ん? ナーニャさんかな? まだ起きてるのか??)


 光に引き寄せられる虫のように、ふらりとそっちの方へ歩いて行くと……



 ……シャリ……シャリ



 何処からともなく、硬い物が擦れ合うような聞きなれない音がした。


(何だろう? もしかしてまだお仕事してるとか? ……手伝った方がいいのかな?)



 仕事――



 ふと、昼間気になっていた違和感の正体に気付いてしまう。


 ナーニャさんは錬金術師だ。

 なのに、この家には……



 ――“釜”が無い。



 辺りに工房らしき建物も無いから、必ずこの家の何処かに錬金術用の釜があるはずだ。


 リビングやキッチンには無かった。


 寝室に釜を置くとも思えないし、2階にある別の部屋か?


 いやいや、そもそもあんな重い竈と釜を2階になんて置いたら床が抜ける。


 だとしたらあとは――


 そんな事を考えながら音のする方音のする方へと近づいて行くと……廊下の奥にあるドアが少しだけ空いていて、そこから灯りが漏れ出しているのが見えた。



(……ここって)


『……あそこは物置よ。色々とごちゃごちゃに入ってて危ないから勝手に開けないでね』


 昨晩のナーニャさんの言葉を思い出す。


(物置……? でも確かにこのドアの中から聞こえてくるんだよな)


 開けるなと言われると開けてみたくなるのが人の性。そもそも、今回の場合は最初から開いてたんだから“開けないねで”の約束には抵触しない、はず。


 寝ぼけ眼でそんな事を考えつつ、半ばぼーっとした意識のまま光に吸い込まれるようにドアの中を覗き込む。


 ドアの先は石造の階段が続いており、地下に繋がっているようだ。

 ……ソーゲンでは涼しい地下にワインやチーズの貯蔵庫を作る事があると聞いた。

 もしかしたらナーニャさんが朝食の仕込みをしてくれているとか?


 ここまで来たら気になって仕方がない。

 転ばないように壁に手をつきながらゆっくりと階段を降りて行く。


 地下室へと続く階段は壁も床も全て石で出来ており、壁につく手からはまるで氷のようにひんやりとした冷気が伝わってくる。


 そう長くない階段を途中まで降りると――。

 こちらに背を向けて机で何やら作業をするナーニャさんの後ろ姿が見えた。


(なんだ、やっぱりナーニャさんか。よかった、泥棒だったらどうしようと思ったぜ……)


 ホッと肩を撫で下ろし声を掛けようとしたが……唐突に聞こえてきたナーニャさんの呟きが耳に入り、思わず全身が強張る。


「……うふふふ、可愛いマグナスちゃん。まだ食べごろじゃないけど、このまま機会を逃しちゃったら勿体ないものねー。――今日食べちゃおう」


 ブツブツと呟きながら机に向かって一心不乱に肩を前後させるナーニャさん。

 そーっと覗き込むと……その手に巨大な包丁が握られていた!!

 いったい何を切る気なんだ、と聞きたくなる程に大きな包丁を砥石で丁寧に磨いている! いや、やっぱり聞きたくない!

 部屋を照らすランタンの光に照らされて包丁の刃がギラリと冷たく輝いた。


 あまりにも衝撃的な光景にビビって思わず腰から砕け落ちてしまう。その途端、視線が低くなった事で部屋の奥の方までよく見る事が出来た。


 部屋の奥に見えるのは……積み上げられた“骨”。



(う、ウソだろ!!?)


 悲鳴を上げそうになるのを、口を手で押さえてどうにかグッと堪える。

 音を立てないように慎重に立ち上がり、震える足にどうにか力を入れて、一歩、また一歩と階段を昇って行く。


(大丈夫だ。まだ気づかれてない。部屋から出れば玄関までは廊下1本だ。大丈夫……逃げられる)


 どうにか自分を落ち着かせたつもりだったけれど……最後の1段を焦って踏み外し危うく階段から落ちそうになる!

 大きな足音を立てて踏みとどまりはしたけれど……!


「――っ誰!?」


 こっちを振り返ったナーニャさんとばっちり目が合う。


「……」


「……マグナスちゃん。――見ちゃった?」


 グイッと首を傾げ、そのまま足早にこっちへと歩み寄ってくるナーニャさん。


「み、見てません!! 何にも見てませんからお気になさらずぅぅぅーー!!」


 慌てて階段を昇り、地下室から這うようにして逃げ出した!!

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