04-05 授乳欲の錬金術師……だと!?
3日後――
昨晩シェトラール姫から諸々の準備が整ったと連絡があった。
有無を言う隙さえ与えられず、今日早朝から馬車が店の前まで迎えに来た訳だけど……こっちの予定は無視かよ。
まぁ、どうせ暇ですけど。
軽い身支度を終えると馬車に乗り込み見送りに来てくれた姫様とティンクに手を振る。
「じゃ、ティンク。しばらく留守を頼むぞ」
「はいはい。どーせ錬金術屋の方はお客さんなんて来ないんだから安心して行ってきなさい」
暫しの別れだってのに随分とつれない態度だな。まったく、可愛げの無い奴だ。
「なるべく早く帰ってくるのよ。はい、これ」
姫様が馬車の窓越しに何かの書状を手渡してくる。
「これは……?」
「紹介状よ。王宮と繋がりのある錬金術師に連絡しておいたわ。向こうに着いたらまずその人に会いなさい。滞在中、食住の面倒を見てくれるわ。ちなみに、“欲名持ち”の凄腕錬金術師よ!」
「ありがとうございます! 旅費まで工面して貰った上に現地の錬金術師まで紹介して貰えるなんて」
全くもって姫様さまさまだな。経費で国外に行ける上に、“欲”つきの凄腕錬金術師に合わせてもらえるなんて!
これはかなりいい経験になりそうだ。
「礼には及ばないわ。その分はしっかり働きで返してちょうだい」
じっと俺の目を見て笑う姫様。
最初に依頼内容を聞いたときは世間知らずのとんでもない姫様だと思ったけれど、話せば話す程案外としっかりした印象を受けるから不思議だ。
「――あー、そうそう」
馬車が走り出そうとする直前、思い出したようにティンクが駆け寄ってきた。
「昨日の夜思い出したんだけど、そういえばページーが昔言ってたわ。『ソーゲンのサキュバスは他とは少し違う。ありゃ危険だ』って。詳しい事は聞いてないから知らないけど、とにかく気をつけるのよ」
「お、おぅ」
おいおい。出掛けに何の役にも立たない、ただただ不吉なだけの情報をよこすんじゃないよ。
まぁ気にしても仕方ない。詳しい事は向こうに着いてから調べるさ。
「じゃ、行ってくる!」
御者さんが軽く鞭を入れると軽く嘶き馬が走り始めた。
軽快な足音とゴトゴトという重厚な車輪の音を鳴らしながら馬車はモリノ国を後にする。
ソーゲン公国か――いったいどんな国なんだろうか。
―――
だだっ広い平野を軽快に走る馬車。
姫様が用意してくれた馬車だけあって乗り心地はかなり良い。きっと良い客車を使ってるんだろう。たかが雇われの錬金術師にここまでしてくれるなんて、さすが太っ腹だなぁ。
ポカポカ陽気の元、馬車の規則的な揺れに身を任せるとだんだんと目もウトウトしてくる――のが普通だが、今俺の目はギンギンに見開かれている!
(こ、これは!?)
高鳴る鼓動を抑えながら、姫様から預かった紹介状に再び目を落とす。
俺の身元や、滞在目的について書かれた本文に続き、紹介者であるシェトラール姫のサインがある。ここまでは何の問題もない。
問題なのは、文末に書かれた宛先の錬金術師の名前……
『ナーニャ・アジェロレーゼ――“授乳欲の錬金術師”殿』
――
何だ授乳欲って!?
否が応にもエロい妄想が次々と湧き出し脳裏から離れようとしない。
え? 確か今回の遠征日帰りじゃなくて何泊かする予定だよな。つまり俺、授乳欲の錬金術の家に何日か泊まるって事だよな!?
気付けば、手で口元を押さえ瞬きすら忘れて紹介状を凝視していた。
姉さん、僕は今回の旅で随分と大人になって帰ってくるかもしれません。
ソーゲン公国万歳ーー!!
―――――
馬車に揺られることほぼ丸1日。
ソーゲン公国領に差し掛かる頃にはすっかり夕方になっていた。沈みかけた真っ赤な夕陽がどこまでも続く平野をオレンジ色に染め上げていく。
遠くでは、羊や牛の群れが牧羊犬に追われ牧場へと帰っていく姿が見える。
触り心地の良い高級な客車とは言え、流石にお尻が痛くなったな。
持ってきた本も早々に読み終え、ただぼーっと窓の外を眺めて時間を潰してきた訳だが……それでも全然退屈しない風景だった。
ソーゲン公国は国土の大半を穏やかな平地が占める、立地に恵まれた豊かな国だ。
その広大な領土を活かして酪農が盛んだそうで、道中いくつもの牧場が見えた。
領土の多くを森が占める“モリノ王国”とは隣国とはいえ随分と様子が異なっている事に最初はかなり驚いた。
モリノ王国では家畜が飼えるような広い平地は無く、各種肉類や乳製品などはソーゲン公国からの輸入で多くを賄っていると聞いたことがある。
逆にモリノ王国は、行きつけのコンピエーニュ森林を始め大きな森がいくつもある。そこで取れる薬草やキノコなど森林資源が豊富だ。
ソーゲン公国に対しては木材や薬などを輸出していて、お互いに持ちつ持たれつの関係って話だったな。
そんな国際情勢に想いを馳せてみたりもしながらのんびりと牧歌的な風景を楽しんだお陰で長い移動も苦にはならなかった訳だ。
……それから程なくして、馬車がゆっくりと停まり到着を告げられる。
荷物を降ろすと、御者さんが小高い丘の上にある赤い屋根の家を指差し道を説明してくれた。
そうか、あそこがオッパ――授乳欲の錬金術師殿のお住まいか。
御者さんにお礼を告げその帰りを見送る。
……さてと。
念のためもう一度持ち物を確認する。
カバンにはロングソードさん、木の盾ちゃんのポーションが数本ずつ。
鞄からロングソードさんのポーションを1本取り出し懐に忍ばせる。
別に何かを警戒する訳じゃないけれど、右も左も分からない外国では用心に越したことは無いからな。
真っ赤な夕焼けが眩しい牧場地帯を丘の家に向かって真っ直ぐと歩いて行く。
(期待半分、不安半分……てとこだな)
何故なら俺は――
“授乳欲の錬金術師”の年齢や容姿を一才聞かされていない!!
だって聞ける訳ないだろ!? 変に聞いたら絶対イヤらしい妄想してるって思われるし!
なんなら性別すら聞いていないぞ。いや、そこは名前からしてさすがに女性だよな!? どーしよう。ゴリゴリマッチョなオッサンが“授乳欲の錬金術師”とかだったら。
……無意識に丘からの逃亡ルートを確認してしまうが、こんな何もない平原で独り夜を迎えたらそれこそ命に関わる。
――こうなったら覚悟を決めるしかない。
今からおれが向かうのは天国なのか地獄なのか!? 辿り着いてみねば分からない、正に一か八かの大勝負!
これまでの人生で一番真剣に神に祈っているうちに、ついに家の前まで来てしまった。
開け放たれた玄関から中を覗いてみる。……人の気配は無いな。
いの一番に家主の性別を特定出来そうな物を探すが中々見つからない。
何か、何か無いか? 女物の靴や、帽子、傘とか何でもいい。 何か――
「――もしかしてマグナスくん?」
突如後ろから声を掛けられ飛び上がりそうになる。……が、同時にその声にそこはかとない安堵を覚える。
――よかった!! とりあえずまず最大の関門はクリア!! “女性”の声だ!!
バクバクして口から飛び出しそうになる心臓をぐっと抑えながら、大きく一度深呼吸して息を整える。
さぁ、辿り着いたのは天国か地獄か! いざ運命の時!
頼む――!!
意を決して振り返るとそこには……
赤い帽子を被り、茶色い髪を後ろで縛ったお姉さんがニコニコとした笑顔を浮かべ立っていた!
歳は20代後半、もしくは30歳前後だろうか。クリッとした目が印象的な、純朴な印象ながらもとても綺麗な人だ!!
そしてなにより……牧場服の上からでも分かるその豊かな実りたるや――正に“授乳欲の錬金術師"!!
――神よ!! あぁ神様よ!! 感謝します!!!
貴方は“分かってる”お方だぁぁ!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※ ナーニャ・アジェロレーゼ
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