第一章:「リョウメンスクナ」顕現時の記録
其の一:手奈土唄羽上京[4/7(土)]
遥か昔、この世界は無数の神秘で出来ていた。人々は魔法で病を治していた。望むものを得るために悪魔を
しかし、神秘は科学という尺度を以て過去のものととされた。薬を飲めば病気は治る。インターネットにアクセスすれば欲しいものがすぐに手に入る。街灯や照明が余す所なく暗闇を照らす。
では、神秘は絶滅したのか?そうではない。神秘は今も我々のすぐそばに存在している。単純に、大多数の人類が神秘を理解する事を放棄しただけなのだ。
夕暮れの高速道路を一台の車が走っていた。京都から高速道路に乗り、車は東京へと向かっている。
「すみません。うち一人のために、わざわざ迎えを出していただいて」
「いえいえ、かまいませんよ。荷物が多いんですし、電車や飛行機じゃあ、
運転手の言葉に、『手奈土のお嬢ちゃん』――手奈土
「朝早くから、支度やら何やらでお疲れでしょう。あと1時間もすれば、
「はい。ありがとうございます」
彼女の返事には京都訛りが強く出ている。鈴の鳴るような声だ。
「高校の制服はウチの屋敷に届くように手配しています。着いたら一度、袖を通してみなすったらどうです?」
「制服!」
その言葉に唄羽は目を輝かせた。中学時代の制服は重たいブレザーだった。高校のパンフレットで見た制服は唄羽が憧れていた『お洒落なJK』そのもので、半年前から彼女は心をときめかせていた。
フェンスの合間から国内最大級の電波塔が見えた。あれは東京の代表的なランドマークだ。上京、そして進学。何もかもが初めての暮らしが始まる。
(きっとこれから、ぎょうさん素敵な事起こるんやろなぁ)
ドラマや漫画の主人公になったような感覚に、唄羽は胸を躍らせていた。
奥多摩の駅から少し離れたあたりに新興住宅地がある。築年数10年足らずの、似たり寄ったりな家が立ち並んでいる。その住宅地よりも高台に、古めかしい平屋建ての日本家屋があった。それが火村の屋敷だ。
「お疲れ様。到着ですよ」
運転手が後部座席のドアを開ける。足元は砂利道で、唄羽はパンプスを履いている。転ばないように注意深く足を踏み出した。
「荷物は下ろしておきますからね」
「いえ、自分で出来ますから」
荷物を運ぼうとする唄羽を運転手が止める。
「皆さんが中で首を長ぁくしてお待ちですから。ここで手奈土のお嬢さんを引き留めちまったら俺が皆さんに叱られまさぁ」
運転手は砕けた口調でそう言った。
「せやったらお言葉に甘えさせて頂きます」
唄羽は運転手に会釈し飛び石を渡っていった。二つ結びがぴょんぴょんと揺れている。
呼び鈴を押し、唄羽は玄関の引き戸を開けた。ガラガラと大きな音がした。
「ごめんくださーい!手奈土唄羽ですー!」
声を張って家の中に呼びかける。長い廊下の向こうから着物姿の女性が歩いてきた。
「あらまぁ唄羽ちゃん、お久しぶり」
「すいません
「いいのいいの、気にしないで」
二人で世間話をしながら廊下を歩く。
「この前来たのが中学入る前くらいでしょう?しばらく見ない間に、ずいぶん大きくなったもんねぇ」
「はい。そうですね」
突き当りにある広間には、すでにほかの人たちが集まっていた。
「唄羽!久しぶりじゃない!」
「ずいぶん遅かったじゃんかよ。間に合うかなってみんな心配してたんだぜ?」
「うん、無事に着いたようで何より。そろそろ着く頃だと思っていたんだ」
「
一通り挨拶を済ませた唄羽は、誰かを探すように広間を見渡す。
「あ、あのう……」
「
唄羽の意図を察して、守ノ神が話しかけた。
「あー。アイツなら、じきに起きてくるでしょ。最近昼夜逆転気味だし」
桜子がそう言った時、襖を開けて誰かが入ってきた。無造作に伸ばされた髪は寝癖が付いている。その上、光の無い目の下にくっきり隈が浮かんでいる。
「おはよ。あ~
「おはよ、武。もう夜だぞ?」
「いやまだギリ日没じゃない、し……」
清森と話していた武が行儀良く立っている唄羽に気づく。
「わっ、ヴェーッ⁉︎」
武が奇声を上げる。武は曲がりなりにも火村家の住人。寝起き姿で客人の出迎えなど赤っ恥以前の問題、人間失格レベルの大失態だ。
「ううう唄羽⁉︎いつここに⁉︎」
武は大きく身をかがめて唄羽に問いかけた。
「ついさっきですけど」
「ええ……。マジか……」
すっかり落ち込んでしまった武がその場に崩れ落ちる。
「もうだめだ、やっぱり俺は生きてるだけで迷惑、ドブカス、穀潰し……」
武がネガティブな言葉を吐き始めると、彼の周りにドーム上の覆いが現れ始めた。
「まあまあ、そう落ち込むんじゃあない」
「何も成せない作れない、いっそ死んだ方が世のため人のため……」
守ノ神のフォローも跳ね返して落ち込み続ける武の前に、唄羽が正座する。そしてそのまま三つ指をついて頭を下げた。
「申し訳ございません。いつの何時に着きますって連絡しいひんかったうちの責任です。そのせいで皆様にご迷惑を……」
その言葉は武に遮られた。覆いが消え、武が唄羽の両肩を掴んでいる。そしてその瞳は、真っ直ぐ唄羽の両目を見つめていた。
「い、いや……。『唄羽は、悪くない』」
その瞬間、萎縮していた唄羽の身体から少し力が抜けた。
唄羽、桜子、守ノ神、清森、そして武。ここに集まっている青年達は、皆「
「唄羽。明日入学式なんでしょ?いろいろ準備しておいたほうがいいんじゃないかな」
ぼうっとしている唄羽の肩を桜子が叩いた。
「あっ。そ、それもそうですね。じゃあ、さっそくお部屋に……」
「案内しますよ。ついてきてください」
環に先導され、唄羽は自室に向かった。
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