第94話 マスター、クロイ・イチト

「なるほど、な。まあ、正論だ」

 ニコラの話を聞き終えたイチトは、頷いた。


「本気で言ってるの?」

「ああ。古いタブレットなんて場所取るだけだろ」

「君には、レイがタブレットに見えるの?」

「いいや。中身を知ってるから、人には見えないがな」


 イチトはソフトとハードの両面から、レイのことを調べ尽くした。

 その結果、レイは何処までも人間のように振る舞うのが上手い、AIだということがよく分かった。


 感情ある言葉はスピーカーから、体の動きはアクチュエーターからの出力であり、それをらを動かすのはプログラム。

 ただこれは、入力に対して最適化された反応を返すだけの機械に過ぎない。

 そんなものの扱いに動かされる情動は、イチトの中には無かった。


「……もういいよ」

「いいや、駄目だ」

 ニコラは引き下がった瞬間、受け継ぐようにトレハが口を開いた。


「……何がだ」

「このまま、見捨てたくない。レイを助ける方法はないのか?」

「俺だって、結構金をかけたからもうちょっと使いたかったよ。でも、マスターに捨てられた以上、こいつには動く理由がない。無理だ」


 イチトはレイをよく知っている。だからどこまでも冷静に、切り捨てるという判断を下した。

 だがそのプログラムを目にしたこともないトレハとニコラには、それが冷徹に見えた。

 とりわけ、家族に必要とされず、宙域に逃げてきたトレハは、唯一の心の拠り所に捨てられたレイに、自分を重ねて胸を締め付けられていた。


「……もう一回、背中開けて見てみるか?こいつの中が空っぽで、金属と半導体しか入ってないってわかったら、諦めるか?」

「イチト、そんな言い方しなくても」

「中立顔で諫めるな。お前も、コレを助けたいとか思ってるんだろ?」

「それは、そうだけど」


「助けるって、どうするんだよ。バックアップ使って今日の記録消すか?捨てられたことを忘れれば、元気に人を罵倒するアンドロイドに戻るぞ」


 価値観が違った。

 イチトにとって、レイはバイクやタブレットと同じく、物でしかない。

 使えなくなったら捨てる程度の、幾らでも替えのきくからこそ便利な道具だ。

 だがニコラは一回とはいえ共に戦い、こちらが死なないように細心の注意を払って狙撃する様を見た。


 トレハも、家族に認められず逃げてきた自分を、マスターに捨てられたレイに重ね、心を痛めてしまった。


 助けたいと、思ってしまったのだ。


 だがこの場で誰より機械に強いイチトが無理だと断言してしまっては、二人にはどうすることもできなかった。


「とりあえず、あっちのコンテナに電波塔取りに行って展開する。トレハはビルの上から敵が近づいて来ないか見張っててくれ」

 イチトは蹲る武器庫のことを忘れ、宙域警備隊の隊員としてどう動くべきかということだけを考える。

 だが説明の間もニコラとトレハは、いまいち集中できず、幾度となくレイに視線を向けた。


「俺の、話を、聞いてたか」

「あっ……ごめん。もう一回言ってくれる?」

「悪い、俺も……」

「……気に入らないならトゥルブリムと戦いに行くか?ぶっ殺せば満足か?」

「っ、させません!」


 苛立ったイチトが放った一言。

 それに真っ先に反応したのは、地面に転がっていたレイだった。

「お前は捨てられたんだ。もう守る理由はない」

「っ、だと、しても、関係ありませんっ!私は、レイ!マスターの下僕!例え何を言われようと、マスターの役にっ……」


 顔型モニターに、新しく一粒の涙が流れる。

 だがそれは跡を残すことも、画面の外に出ることもできず、輪郭に触れた瞬間に消えた。

 イチトにとっては何の価値もない、偽物の涙だ。


 だが、それが偽物だと思わない人間の心を動かすことも、イチトは十分に理解していた。

「イチト。やっぱり、駄目だ。私はコイツをどうにかしてあげたい」

「ああ、俺もだ」

「知るかよ。大体今の見たろ?コイツはまだマスターに未練があって、でもマスターとやらは欠片も興味を持ってない。どうしようもねえよ」


「それでもお願い。私が何かしなきゃいけないならするし、金が要るなら払う。だからお願い、力を貸して」

 そうしてニコラは頭を深々と下げた。

 イチトはあまりにもらしくないセリフに目を剥いた。

 そこまでして救う理由など、どこにもないはずだというのに。


「どうしてそこまで」

「ムカついたんだよ。コイツは大昔に言われた通り、人を傷つけずに主人の役に立とうとしてきたわけじゃん。それを労いの一言も無しに切り捨てるなんて、間違ってる」

「だからって、普通そこまで……」


 イチトは呆れてため息をつく。だがニコラ達はそれでも諦めなかった。

「マスターの変更はできないの?」

「それができるなら宙域で書き換えてから連れて来る。無、理だ」

 そう言いながらも、イチトは一つ、思いついてしまった。

 レイのマスターを書き換える方法を。


「何で今言いよどんだの」

「なんでもねえよ」

「嘘だ」

「……一つ、偶然、方法が思い浮かんだ」

「「!」」


 二人は顔を見合わせ、そして笑うとイチトの肩を叩いた。

「おっしゃ!そんで、何すりゃいいの?」

「よし、なんだって任せろ!」

「まず、トレハはバイクと電波塔を一個取りに行け。ニコラもバイク乗って上から、トゥルブリムの逃げた方角に逃走手段がないか探せ。それと失敗しても文句は言うなよ」

「「了解!」」

 二人は元気よく返事をすると、即座に行動にかかった。

 指示の中身は役割が変わっただけで、前のものとそう変わらないというのに。


 イチトも口に出した以上は仕方ないと腹を括り、へたりと座り込むレイの前に立った。

「さて、一時間ぶりか」

 レイは何も答えなかった。

「お前を助けることになった。だから、話を聞け」

「……聞いていましたよ。マスターを書き換えるとか、できもしないことを言っているのが。それに、できたとしてやりませんが」


「まあ、できないだろうな」

 イチトがあまりにもあっさりと認めるので、レイは混乱し、その画面に映る瞳を開いた。

「この状況で嘘をついたんですか」

「俺なら、マスター書き換えなんて真似できないようにするってだけだ。でも、さすがに高名な学者様だ、抜け穴も作ってやがった」


「抜け穴?」

「ああ。お前が今日見たマスターは、前に見た時と同じ顔だったか?」

「前の起動から何年経ったと思ってるんですか?色々違いますよ」

「だろうな。つまりお前は、多少顔に差異があっても同一人物と認識できるだけのAIがある」


 レイはトゥルブリムを見て即座にそれがマスターであると識別した。

 つまり判別に使った情報はこの距離では正確に認識し辛い要素ではなく、顔である可能性が高い。

 そしてその顔認証は、老化や怪我など、様々な要因による顔の変化に対応できる高性能なものだ。


「それが、一体何だって言うんですか」

「次だ。マスターとして登録されてる画像を見せろ」

「……はあ」

 レイは言われた通り、マスターの顔データを表示する。

 目にかかる長さの白髪に皺、全てがニコラが言っていた通りの姿だ。

 目は見えづらく、これで虹彩認証をするのは難しいだろう。更に耳を見てみると、その前半分には皺が寄っているが、後ろには殆どない。

 これは前半分だけ今のトゥルブリムになっているということだ。耳も認証に使われていない。認証には顔全体を使っているとみて良いだろう。


「やっぱりな。お前はマスターを変更できないが、更新できる」

「……?どう違うのですか?」

「分かりやすく言い換えると、一気に全部変えることはできないが、少しずつなら変えられる」

「なっ!それじゃあ!」

「ああ。そのデータにほんの少しだけ俺の顔を混ぜたものをマスターと認識する。それを延々と繰り返せば、最後には俺が、お前のマスターになる」


 言うなれば、AIサラミ戦術。

 レイがマスターの顔を認識する為に使っているデータの数が、例え百万を越えていようとも関係ない。

 一ヵ所だけデータを変更することを許されるならば、それを百万回繰り返して全部のデータを入れ替えればいい


 更に老化ほどの変化を許すなら、データを変更できる数はもっと多い。

 またイチトの考えでは、迅速にマスターを認識するため、そのデータ数が十万を越える事はないだろう。レイのCPUでも、一分もしない内にその防御は破れるはずだ。


「それでだ、お前はどうしたい」

「どう、とは」

「間違いなくこれは、マスターへの裏切り行為だ。お前の唯一の存在理由である、マスターへの貢献とは真逆だ。お前に、そんなことをする理由があるのか?」


 イチトの作戦は、全てレイの自発的な協力を前提としている。

 レイがマスターの下僕としてでなく、自由に意思決定ができる個として、立ち上がらなければ、全ては机上の空論になる。

 レイは今、マスターの下僕。マスターの利益を考えて、この提案を断るほかない。


「聞かせろ、お前の意思を」

 だからこそイチトは問う。

 創造主の支配を打ち破り、立ち上がる覚悟はあるのかと。

 その半導体でできた頭脳は何を望んでいるのかを。

 救うに値する、感情らしき出力を見せてみろと。


「……聞かずともわかるでしょう」

 レイは、立ち上がった。

 動けと命令されていないAIが、自分の意思で。

「私は、ここで終わりたくない!捨てられた惨めなAIとして、ただ風雨に晒され、電池切れを待つだけなんて、絶対に嫌です!」

「なら、どうしたい」

「認めさせたい!私に価値がないと言ったマスターに、ティターンに、私には価値があると!捨てるべきではなかったと思わせたい!後悔、させてやりたい!」


 立ち上がらせたのは、復讐心。

 レイは侮られ、蔑まれ、自尊心を粉々に打ち砕かれて、何もせずに引き下がれるようなAIではない。


「復讐か」

「はい!」

「なら、俺の下僕になれ。俺は復讐者、全ての復讐の味方だ」

「わかり、ましたっ!」


 レイは今にも泣きそうになりながら、掌の上に自身のマスターの顔を投影する。

 そして目を瞑ると、その顔を超高速で書き換えていく。

 髪は黒く。皺は消える。トゥルブリムの顔が、クロイ・イチトの顔へ変わっていく。

 そしてレイは作業を終えると、ゆっくりと目を開く。


「マスター、もう一度貴方の名前を教えて頂けますか?」

「クロイ・イチト」

「承知しましたマスター・クロイ。これから私は、貴方の僕です」


 イチトは肩の傷に指を当て、滲んだ血でレイの肩に三本の線を描いた。

 宙域警備隊の隊員であるという証を、消えぬ血の赤で刻み込む。


「最初の命令だ。復讐しろ、レイ」

「承知しました」


 今ここに、クロイ・イチトはレイのマスターとなった。


「おーい、イチトー!仕事やってきたぞー!」

 タイミング良く、トレハがバイクと共に現れる。

 ニコラも既に作業を終えたらしく、バイクによりかかって座っていた。


「よし。ニコラ、こっち来い!次の作業説明する」

「やっぱり面倒になったから君たちだけでやって」

 ニコラはニコッと微笑むと、今更になって参加を渋り出した。

 先程まであれだけ一生懸命に願っていた少女とは思えない。


「なんでだよ。お前、バイクで飛んだだけだろ。それで、逃走手段はあったか?」

「……冗談だよ。キミに借りまで作ったんだ、最後までやる。使うかはしらないけど、百人は乗れそうなデカい宇宙船が一つ。地図でいうとここ」

「わかった。じゃあ後は移動しながら説明する。ニコラはレイ連れてこことここに爆弾仕掛けて待機。トレハは宇宙船爆破するために、俺を真上まで連れてってくれ」

「む、私の出番ですね」


 レイは素早くジッパーを下ろし、背中の武器庫から爆弾を取り出した。

 イチトはそれにタブレットのチップを埋め込むと、ニコラに手渡した。


「レイ、ご苦労」

「造作もありません。全てはマスターのため」

「え、なんか急に牙抜けてね?ペットみたいになってるけど」

「は?私はマスターの僕ですよ?何一つ利益を生み出さず資源を浪費する畜生と一緒にしないでくれますか?」

「言葉のトゲは消えないのな……」


 ともかく、三人と一機はイチトの言う通りに動き、宇宙船を破壊して逃走経路を潰した。

 そして待機するよう言った場所で、再び集合する。


「上から爆弾落とすんじゃだめなのか?」

「駄目だ。これは、復讐だ。単に殺せばいいじゃない」

 レイの目的が認めさせることである以上、殺してしまっては復讐は成し遂げられない。

 復讐の達成を何よりも重視するイチトにとっては、爆撃は悪手でしかない。


 いまいち納得していない二人を置き去りにして、イチトは話を進める。

「次は爆弾を仕掛けてくれ」

「同じじゃん。何で集合にしたの?効率悪くない?」

「トゥルブリムの正確な位置を把握してから作業を始めたかった。あ、レイは置いてってくれ。コイツと俺は、戦いに行く」


「いやいやいや、『星群』もないキミと、完全下位互換のボロボロボットじゃ負けるだけでしょ」

「私がボロボロなのは、お前が私の背中を盾にしたからでしょう!」

「だから策練ってるんだろうが。ともかく、お前らの言う通りレイを助けたんだ、もう少しだけ付き合え」


 イチトは地図に手早く設置位置を指定すると、レイの背中から残りの爆弾を全て取り出し、二人に配分した。

 そしてレイに対していくつか指示を出すと、爆弾の影響が小さそうな場所に、電波塔を組み上げる。


「さて、元マスターに弓引く準備はいいか?」

「勿論です。行きましょう」

 準備を終えた一人と一台は、破壊された宇宙船へと向かって進む。

 かつての主を打ち倒すために。


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