第15話 少年 vs 少女
戦場に二人が揃う。扉に鍵がかかり、勝敗が決まるまで、この十メートル四方の箱から出入りはできなくなった。
イチトは苛立ちを隠そうともせず睨みつける。ニコラはそれを無視して柔軟を続ける。二つの映像を合成したかと思うほどひどい温度差だ。
しかし間違いなくこの二人同じ空間に存在し、これから戦いを始めるのだ。
暫くして、満足したのかニコラはぴたりと柔軟をやめた。
「よしっ!それじゃあ存分にやっつけてあげるから覚悟しろ!」
全力で挑発する。
言い終わる前にイチトは走り出す。風を切るような疾走で距離を詰め、勢いのままに殴りかかる。
しかし空振った。
ニコラは上体を反らして躱し、上段廻し蹴りを食らわせる。丁度ガルマとの戦いでイチトが繰り出したように。
そして蹴りの反動に逆らう事なく飛び退き、追撃を避ける。
「動き悪いよ。腕でも痛い?」
指差したのは、右腕。
ガルマによって粉々に砕かれた場所をとんとんと逆の手で叩き、反応の遅さをせせら笑う。共に戦ったのだから、そんなものが戦いに影響しているはずがない。
「黙れ」
イチトはもう一度距離を詰め、今度は逃げられないように動きを止めにいく。
鋭い足払いを繰り出すが、ニコラはするりと跳ねて避ける。
だがそこまでは想定内と言わんばかりに、丁度跳ね上がった先に一発拳を叩き込む。
空中のニコラはそれを止めることも避ける事もせず、正面から顔で受け止めた。
「っ!」
予想外のことにイチトは目を見開く。
そして、それは致命的な隙となった。
ニコラは素早く両足をイチトに向け、勢いよく足を伸ばす。
ついでに当たる直前に顔を少し動かして、拳を頬から剥がした。
刻一刻と変わる状況に、イチトは困惑して動きが鈍る。
その無防備な土手っ腹に両足が炸裂した。イチトは堪えることすらできず壁まで吹き飛び、背中を勢いよく打った。
「かはっ!?」
例えイチトがどれだけ油断していたとしても、非力なニコラの一撃では壁まで吹き飛ばすことは不可能だ。
しかし事実としてイチトは吹き飛ばされてしまった。
今壁際にへたり込んでいるのが何よりの証拠だ。
その上防御もせずに正面から殴られたニコラの顔には、痣の一つもついていない。
「何しやがった」
「初めて見るの?ドロップキックって言うんだよ。確か」
「そういうことを言ってるんじゃねえよ!」
ニコラはまともに答えない。今彼女が優位に立てているのは知っているという一点に依るからだ。
知られれば当然負ける。わざわざ勝ち目を潰すほど馬鹿では無い。
「どう?これで自分の弱さがわかった?一人じゃ生き残れもしない、ね」
「もし俺が弱いとしても、復讐を止める理由にはならねえよ」
「あっそ。んじゃもし両親が見たらどう思うかな、とか言ってみる?」
「悲しむだろうな。でも、死んだ人間は何もできねえよ。現に今まで、何も言われてない」
「ああ、別に死んだ親の為ってわけでもないんだ。ただ君が気に入らないから殺すと」
「そうだ。だったら何だ?」
イチトは警戒を深め、歩いて距離を詰める。ニコラは余裕綽々といった感じでそれを眺めた。
手があと少しで届くぐらいの距離になった所で、足が止まった。二人の目が合う。静寂が部屋を包む。どちらも身じろぎ一つしない時間が続く。
動いた。先に仕掛けたのはイチト。襟元を左手で掴み、引き寄せながら右手で顔を殴る。ニコラはそれを回転しながら受け流し、足に蹴りを食らわす。
「だったら、君が嫌いだ!」
「グッ!」
靴の先がイチトの脚にめり込む。痛みに顔を歪めながらも、流れに任せて足を動かして衝撃を逃がす。
片足だけでは力がうまく入らず、少しよろめく。その隙にニコラは襟元を掴む腕に肘を打ち込んで、更に回る。
そこまで強く叩かれたわけではないが、倒れない事に意識を割いていたイチトの手はいとも簡単に外れる。
「法を破ってまでやるのが、自分の為の殺人!それを犯罪者って言うんだよ!」
イチトもされるがままではいられない。横に転がって追撃を振り切り、向かってくるニコラの腹に拳を繰り出す。
「それでいい!」
しかしそれが当たる直前に腕を掴まれ、勢いを抑えられた。そのせいか、腹に一発喰らいながらもニコラは効いた様子もない。
どころか余裕の表情を浮かべ、イチトの腕に体重をかけ、その反作用で華麗に宙を舞う。
そして丁度イチトの頭上で手を下に伸ばし、挟み込んだ。
「良いわけあるかっ!!!」
そのままくるりと縦に半回転、重力による加速と回転が加わった膝が後頭部を襲う。
ゴガンッ!
鈍い、鈍い音だ。
力の籠もった蹴りを無防備な後ろから受けては、流石のイチトも倒れ込んだ。
「ッ~~!頭固った!」
その衝撃は蹴った側にも伝わったらしく、膝を押さえて痛みを誤魔化すために飛び跳ねる。
そんな事をしているうちに、イチトは再び立ち上がる。
「望まれずとも、悪だとしても、関係ない!俺は、俺の家族を奪った奴がのうのうと暮らしているのが、絶対に許せない!」
「頭ん中までカチカチカチンかよ!」
「そうでもなきゃ宙域なんか来ねえよ!」
「変わろうと思わないわけ?」
「少なくとも、部外者の説教じゃあな!」
ニコラは、いくら言葉を交わしたところで、その目に燃える復讐を消すことは絶対にできないと確信した。元々、出来るとは思ってもいないが。
「なら力づくで、君を止める」
ニコラは靴紐を硬く結びなおすと、一瞬だけ笑みを消してイチトを見た。
「無理だ。もう仕掛けは割れた」
「へえ?」
「確かに俺相手だから使える戦法だ。攻撃を受ける時は当たる場所を肌にするか肌に触れる事で『星群』を発動させ被害を減らす。攻撃をする時は『星群』で速度を上げ、当たる直前に離して、威力の上がった一撃を生身で受けさせた」
「……鋭いねぇ」
仕組みも発想も至極単純。お互いが強くなる『星群』を、自分のみが利益を得られるように考えて発動させた。ただそれだけの事だ。
だがそれを実行に移すのは、思いつくのとは桁違いに難しい。
相手の攻撃が直撃する寸前で相手の肌に触れ、相手に攻撃が当たる直前で肌から離れるという奇妙な動きは、武術の訓練を積んだ人間では到底できない。
これは一切訓練を積んでいないニコラだからこそ可能な攻撃なのだ。
経験の無さを身体能力にものを言わせて補う、あらゆる格闘技に対する侮辱に等しい戦法。
それが、ニコラの自信、そして強さの正体だった。
「正体がわかった以上、お前に勝ち目はない」|
「いいや、絶対に勝つよ。勝たなきゃ大っ嫌いな
自信満々に答える二コラ。虚勢などではない。まだ状況は自分に有利だと知っているが故の強気だ。
イチトが服を脱いでから参加を決めたのもその一つ。能力の発動が肌の触れ合いで起こるならある程度肌が出ていた方が良い。
だからジャケットを脱いだのを好機とみて、作戦を決行したのだ。
「邪魔建てするならお前もぶっ飛ばす」
「それ、悪人のセリフだよ」
そしてニコラは挑発した。怒りで冷静さを奪い、どう『星群』を使っているかを悟らせない為に。見事にイチトは挑発にのってしまい、動きが単純になり、思考も疎かになった。
そこに畳み掛けるように最近味わった敗北の記憶を思い起こさせるような攻撃を織り交ぜる事で徹底的に精神に負荷をかけた。
これだけ準備を重ねて戦ったというのに、ニコラという人間は、それを一切気付かせる事なく、更に全部見抜かれた等と言ってのけたのだ。
性格の悪さで言えば、並ぶものはいないだろう。
「悪だったら何だ。悪を殺す悪、宙域にはピッタリだろう」
「それなら、私が君を殺そうと文句はないよねっ!」
今度はニコラから仕掛けた。倒れんばかりの低姿勢で走り、限界まで近づく。だがそんなことをすれば当然蹴りが飛んでくる。
足は一切肌の露出がないため、今までのような防御方法は通用しない。それにも関わらずニコラは前に進む。そして蹴りが入る直前、両手を床について、上下逆のまま飛び上がった。
まるでサーカスのような、トリッキーな動き。
それだけでは終わらない。眼前に迫る靴の先端で、光が反射する。
それはニコラが靴紐を直すふりをして取り付けた、正真正銘最後の武器。
透明な仕込み刃が、その姿を現した。
「お前には無理だ!」
接触する寸前、イチトは大きく体を反らして足を殴りつけ、渾身の一撃を潰した。それでも反応が遅れたせいで頬の皮が削がれ、筋肉が顔を覗かせる。
「復讐よりは簡単だよ!」
ニコラはそれでは満足せず、刃を再びイチトに向かわせる。
だがそれは既に一度見た、単調な攻撃。
イチトは冷静に、防刃の服でその攻撃を止める。
そしてすかさず、刃の生えた右足をしっかりと握りしめる。
「っ、らあっ!」
ニコラは掴まれた事に焦って左足を振り下ろす。しかしイチトは一切怯む事なく左足も掴み、宙吊りになった少女の後頭部に蹴りを叩き込んだ。
「かはっ!?」
ニコラの口から空気が漏れ、体がくの字に曲がる。
直後、イチトはまた足を後ろに大きくしならせた。
「お前のが、無理だったなっ!」
振り子のように上半身が戻ってくるのに合わせて、頭を貫く為に足を振り上げる。
「まだまだっ!!」
またニコラの体がくの字に曲がった。しかし今度は自らの意思と腹筋で。
必殺の一撃が不発に終わった程度がなんだと言わんばかりに、敗北の運命に抗う。
そして蹴る勢いが弱くなった足を掴み、裾から反対の手を入れた。
どくん。
『星群』が発動した。
ついでに靴と靴下をむりやり脱がし、遠くに放り投げる。
イチトもニコラの頭を勢いよく地面に叩きつけて抵抗しようとするも、ニコラは上手く膝を曲げて勢いを和らげる。
蹴飛ばそうにも、掴まれていては威力が出ない。
振り回してその手を外そうとした瞬間、足が解放された。
「この程度で、復讐なんかできるか!」
「ぐっ!?」
同時にイチトの軸足に服の上から強烈な拳がお見舞いされる。今度は軸足である以上、勢いは流せない。
衝撃を全て受け止めてしまった骨は悲鳴を上げ、痛みのあまり大きく体勢を崩す。
「この程度で諦めるかっ!」
「なら、折る!」
ニコラは頭から床に落ちながらも軸足をなんとか掴み、地肌に触れた。
そして寸分違わず同じ位置に、拳を全力で叩き込む。
べキィッ!
激しい音と共に、イチトの足はまた砕け散った。
「がああっ!」
「っううううう!」
上がった悲鳴は二つ。ニコラの手の骨も砕け、その役目を果たせなくなったのだ。
だがそれでも二人は意地で動き続ける。
反射的に目を瞑ったのも束の間、再び目を開けて体勢を整える。
獣のような闘争本能のみが宿った視線を向け合い、目の前の獲物に向かっていく。
二人は、いや、二匹はそれが模擬戦だということも忘れてお互いを殺さんと全身を突き動かした。
「たあああああああああああああ!」
「があああああああああああああ!」
咆哮が響く。
同時に放たれた拳は互いの顔に吸い込まれ、鈍い音を奏でた。
一方の獣が崩れ落ちる。そしてもう一方の獣は倒れ伏した。
もはやそこに立つ者は誰もいない。
少女の気絶を感知した機械は少年の勝利を盛大に祝う。
だがその勝者は、敗者よりも酷く顔を歪ませていた。
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