第74話 エフィ、倒れる

 矢はエフィを貫いた後消える。崩れ落ちるエフィに駆け寄り抱き止めた。


「エフィ!」


 聖女の治癒魔法を使う。

 助けないと。矢は胸の真ん中を貫いた。場所がよくない。


「エフィっ」


 ああもう泣きそう。でも今はエフィを助けないと。

 エフィの首に腕をまわし、上半身を抱きしめ座り込む。すると私の足元に聖女の治癒魔法以外の魔法がかかった。


「イリニ!」


 アステリの声が遠くに聞こえる。


「エフィ」

「イリニ、聞け! 俺も魔法をかけた! お前も治してる! エフィは絶対助かるから」


 やだ。

 エフィがいなくなるなんてやだ。


「だから傾くな!」


 今の私の心次第でパノキカトが壊れることは分かっている。パノキカト以外にシコフォーナクセーもエクセロスレヴォも巻き込むだろう。

 精霊王が起こしたものとは違う地震が起きている意味もよく分かってる。

 でもアステリの声は届いているようで届いてなかった。考えている私と、感情が膨れる私が分離したような感覚だ。


「やだよ」


 私の感情が叫んでいる。

 まだエフィに返事してない。返事をしないままエフィがいなくなるなんて嫌だ。


「やだ」


 意識を失って反応を見せない。閉じられた瞳がより不安を煽った。

 どうしよう。聖女の治癒魔法は全力でやっている。アステリの魔法だってかかっていた。

 なのに、時間がすごくかかっている気がしてならない。

 傷が、塞がらない。


「私、」


 エフィはまだあたたかいのに、どうしても炎の矢が貫いた胸の傷穴だけが目に付く。

 やだ、早く塞がってよ。

 いつもならすぐ治せるのに、なんで今だけこんなに時間かかるの。


「わた、し、」


 我慢できなかった。

 とめどなく涙が流れる。エフィの首筋に顔を埋めた。


「私、まだ……」


 エフィを失いたくない。いつかくる別れがあるとしても、こんなのやだ。ううん、いつ来たとしても、エフィと離れるなんて考えられない。


「まだ、」


 エフィの側にいたい。エフィに側にいてほしい。


「まだ、エフィが好きだって、言ってない、のに」


 嫌な気配に顔を上げると、再び炎の矢が降り注いだ。

 治癒魔法を解除するわけにはいかない。かといって、矢の嵐を防ぐ手立てがなかった。

 エフィを抱く腕に力を入れて目を瞑る。痛みがないかわりに、矢を打ち落とす音が聞こえた。


「イリニちゃん」

「カロ」

「遅れてごめんね? この辺はこっちでどうにかするからエフィを……頼むね」


 エフィの姿を見たカロが眉根を寄せて難しい顔をしたけど、すぐに笑った。

 気を遣ってくれていると嫌でも分かる。

 私は黙って頷いた。

 アステリも治癒魔法もエフィにかけているから、同時に転移の手段がとれない。

 ここでエフィを助けるしかないんだ。


「エフィ」


 こんな形は嫌だ。

 サラマンダーは精霊で魔法が効かない。けど精霊王から祝福を受けている聖女の魔法は効くはずだ。最初に炎の矢に触ることができた。それが証拠であり証明のはずだ。

 だから私の力でエフィを治す。

 祝福のパワーアップ、こういう時に働いてくれなきゃ意味がないんだから、少しは役に立ってよ。

 再びエフィの首に顔を埋める。


「エフィ、行かないで」


 ぴくりとエフィの身体が反応した。 


「……イリニ」

「!」


 掠れる声に顔をあげると、エフィがうっすら目を開けていた。


「エフィ?」

「ああ」


 大丈夫だからと囁く。出血は防いだけど、穴とも呼べる傷口は完全に塞がっていない。

 やっぱり治癒の時間が長く感じる。でも焦っちゃだめ。傾いちゃ、だめ。


「う……」


 もう独りは嫌。

 エフィがいないと嫌だ。

 それが言葉にならない。ただの嗚咽しかでなかった。


「……泣くな」


 泣くなんて滅多にしなかった。してはいけないものだったからだ。

 今だって止まってほしいもの。でも止められないんだから仕方ないじゃない。


「だ、だって」

「……」

「告白の返事、してない」

「……ん」

「さ、三度目のキスの、やり直しだって、してない、し」

「……ああ」


 してないことだらけなのに。

 エフィの手が私の頬を撫でる。冷たい指先を感じてより怖くなった。


「やだエフィ」

「ああ」


 吐かれる息が頼りなく浅く繰り返される。瞳は蕩けることもなくぼんやり虚ろだ。

 より重い状況が生々しく感じられて、エフィが遠くに行ってしまう不安だけがじわじわ忍び寄ってきた。


「こんなの、やだ」

「そうだな」


 君を独りにしない、とエフィが囁く。

 こんな時でも私が欲しい言葉を選ぶ。今は私に気を遣わなくていい。

 治ってくれるだけでいいから、早くと願う。


「早く治って」

「ああ」


 君のおかげで大丈夫だと囁く。

 私から視線を逸らし遠くを見つめた後、ゆっくりけど浅く息が吐かれる。

 静かにエフィの瞳が閉じて、頬を撫でていた手がぱさりと力なく落ちた。


「エフィ?」


 いつの間にか雨が降り始めたことに気づけていなかった。

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