第3話 親のない子と子のない親と1
「そろそろ出立なさるお時間ではありませんか」
常に誰に対しても、丁寧な口調を崩さないロバートの言葉に、ケヴィンは回想から引き戻された。
「あぁ。ありがとう。それにしても、奥方が落ち着いてよかった。奥方ほどではなかったけど、モニカにも悪阻はあったからな。俺がどうしていいかわからずにいたら、隣に住んでいた老婦人に、男はこれだからと、呆れられて、あれこれこき使われたよ。男は無力だ」
あの小さなローズが、モニカより酷い悪阻に苦しんでいると思うと可哀想になってしまう。結局、一度も会えなかった娘リズの友達だったと思うと尚更だ。
片隅に活けておいた花束を、ケヴィンは抱くように持った。王太子宮の庭師ジェームズが、毎日ケヴィンのために用意してくれる花束だ。
「女を迎えにいくなら、花くらい持っていけ。手ぶらじゃぁ、朴念仁と言われても仕方ねぇぞ」
ジェームズの言葉遣いは乱暴だが、毎日花を取り揃えて、美しい花束を用意してくれる。ぶっきらぼうなジェームズの優しさが、次兄ロレンスのようで、少し懐かしかった。
「行ってまいります」
挨拶くらいは丁寧にと思うと、捨てたはずの過去に、当たり前だった口調に戻ってしまう。
「えぇ。吉報をお待ちしています」
連日繰り返している挨拶だが、ケヴィンはまだ、吉報には出会えていなかった。
グレース孤児院には、生まれる前に引き離され、結局生きている間には会えなかった娘、リズの墓がある。モニカは毎年リズが亡くなった時期に、グレース孤児院に祈りを捧げに来る。故シスター長の日記には、モニカの勤め先までは書いていなかった。
「おじちゃんが、のっぽの手伝いをしている間、リズの母ちゃんがこないか、俺達が見張っているから任せてとけ」
グレース孤児院の子供たちは、協力を申し出てくれた。今孤児院にいるのは、全員、ケヴィンの娘リズを知らない子供達だ。年に一回リズの墓に祈りを捧げに来るモニカのことを知っていて、子供達なりに、親身になってくれた。
「リズの母ちゃん、年一回だもんなぁ。どっかのお屋敷で仕事だろ。凄いよなぁ。偉いよなぁ。俺もそのくらいできるようになるかな」
「お勉強がいるわ」
読み書きを学び、手仕事を身につけた子供達の大半は、日中は近所で見習いをしている。ここ数年の変化だ。先代のシスター長の撒いた種が、ようやく芽吹いたと、今のシスター長は言っていた。
「剣が強かったらいいだろ」
「だめよ、そんなの」
「なんでだよ」
子供達の話は、次々と勝手に跳んでいく。ケヴィンは、毎日子供達の相手をしているシスター達を尊敬している。
「命令が紙に書いてあったらどうする。読み書きできないと、命令がわからないだろう。命令がわからない男は兵士になれない。そもそも、命令がわからないと、戦いになったらすぐに死ぬぞ」
「ほら、おじちゃんも言ってるじゃない」
少々の誇張が混じったケヴィンの言葉に、少女が得意気に胸を張る。少年は、ふてくされながらも頷いた。
「モニカを、リズの母ちゃんが来ないか、見張ってくれてありがとう。おじちゃんじゃなくて、俺のことは、リズの父ちゃんと呼んでくれると嬉しい」
子供達から協力を申し出てくれるのは嬉しかった。だが、ケヴィンとしては、一言注意はしたかった。
「おじちゃんは、俺たちの仲間だったリズの父ちゃんだから、おじちゃんだ。リズの母ちゃんは、おばちゃんって呼んだら、『なぁに』って言ってくれるぞ」
もう十年以上、いや、二十年近く会っていないモニカの話題に、ケヴィンの胸は熱くなった。
「だったら、リズの父ちゃんと呼んでくれ」
娘のリズに、もし、会うことが出来ていたら、父ちゃんと呼んでくれたのだろうか。
「それは、これから検討していきましょう」
どこかで聞いたことが有る口調を真似た少女に、ケヴィンの感傷は消し飛んだ。
「お前ら、どこでそんな言葉覚えた」
「シスター長様と、誰か偉い人がお話する時よ。ローズ様の旦那が言ったら、なんとかしてくれるのに、他の人だと、あんまりならないの。どうして」
ケヴィンは、少女の率直すぎる質問と、あまりに適当なロバートの呼称に頭を抱えた。
ロバートは、今や、ロバート・マクシミリアン公爵で、国王アルフレッドと王太子アレキサンダーの信任篤い宰相だ。子供達が、自分達と同じ孤児院で育ち大司祭に聖女と讃えられるローズを、尊敬するのはわかる。だが、公爵を、ローズ様の旦那と呼ぶのは駄目だ。
どう注意すべきか、ケヴィンは頭を悩ませた。毎日、この子達の相手をしているグレース孤児院のシスター達への、尊敬と感謝の念は、日々つのり、山であれば天高くそびえ立ちそうなくらいだ。同時に、かつての教育係達がよく、自分に付き合ってくれていたなと思えてくる。
「いいか。大事な話をするから、ちゃんと聞いてくれ」
ケヴィンは子供達と順に目を合わせた。それぞれが頷いたことを確認し、一度大きく息を吸った。
「一つ目は、相手の呼び方だ。これはとても大切なことだ。誰かを呼ぶ時は、その人が、呼んでもらって嬉しいなって思う呼び方で呼んだほうが、仲良くできる」
悩みに悩んで選んだ言葉達をケヴィンは口にした。
「そんなのわかんない」
予想通りではあるが、率直な子供の言葉に、ケヴィンは挫けそうになった。
「そうだな。難しいな」
一度も会ったことすらない自分の娘、リズ。リズを知る子が書いてくれた絵姿が、リズの唯一の形見だ。リズを育ててやれなかった分、リズを仲間だったと言ってくれる子供達のために、少しくらい、親らしいことをしてやりたかった。
「俺の名前はケヴィンだ。お前の名前は」
「マーカス」
少年マーカスは、胸を張って答えた。
「マーカスか。いい名前だな」
「うん」
ケヴィンの言葉に、マーカスは嬉しそうに笑う。
「マーカスは、マーカスと呼ばれるのと、クソガキと呼ばれるのと、どちらが良い」
「マーカスがいい」
マーカスは即答した。
ケヴィンは自分が取っ掛かりを掴んだことを確信した。
「マーカスは、マーカスと呼ばれたら嬉しいのか」
ケヴィンの言葉に、マーカスは満面の笑顔で何度も頷く。
「俺は、娘のリズを仲間だったと言ってくれるマーカスやマーカスの友達が、俺をリズの父ちゃんと呼んでくれたら、とても嬉しい。ケヴィンさんと呼ばれるのは、ほんの少しだけ嬉しい。おじちゃんは嬉しくない」
「じゃあ、俺が、リズの父ちゃんって呼んだら、マーカスって呼んでくれるの」
「もちろんだ。マーカス」
マーカスが、照れて身をくねらせた。
「私、ジェマ」
「俺、ダニエル」
子供達が次々と名乗り始めた。
「待ってくれ待ってくれ。一度に全員は覚えられないから、そうだな。三人ずつだ」
「三人だけなの」
「今日は三人、明日も三人、そうしたら二日で六人だ。頑張るから勘弁してくれ」
子供達は、騒ぎながら、一応は納得してくれた。
まだまだこの後、ロバート・マクシミリアン公爵を含め、貴族をどう呼ぶかという説明をせねばならない。
ロバートは、小さな子供にのっぽと言われたくらいで、腹を立てることなどない。だが、そういう貴族ばかりではないのだ。ケヴィンは、気合を入れ直した。
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