誰? 痴漢??

「ちょ、ちょっと待てええええっ!?」


 キャリーケースを放り出した李津は、橋に足をかけている女の子を後ろから羽交締めた。思いきり体重をかけ、橋のふちから引き離そうとする。


「んんっ!? なぜっ!?」


 本気で引いているのに、体重はどう考えても利があるのに、自分より一回り小さな体は岩のようにまるでビクともしない。


「は、離してぇ〜! 逝かせてください〜っ!」


 意外にも、関取のパワーを持つ女子だった。


 マジでヤバい。


 このままだと道連れである。


 日本初日にゲームオーバーなんてクソゲー、やってらんねえ。


 となれば、李津も本気で叫ぶ。


「離したら飛び降りる気だろ!?」


「飛び降りっ、させてくださいぃ〜〜っ!」


「俺は気にしてないから、早まるな!!」


「えぇっ!? 別にあなたのせいじゃないですぅ」


 あれだけ大騒ぎしていたのに、スンと真顔になった女の子。柵から手を離して振り返る。


「……というかぁ、誰? 痴漢??」


「……」


 女の子は自分のお腹に回されている手から逃げるように後ずさった。


 完全に不審者と被害者。さげずんだ視線が突き刺さる。


 李津は息を整えながら思った。


 なんだろう、この腑の落ちなさは。と。


「死ぬ前に一発やらせてくれ!!」と頼んじゃうトンデモラノベでも、もう少し優しく対応してもらえない? と。


 ゆえに、腹が立ってきた。


「……ふざ、けんなよ……俺は通りがかりの一般人だ! 目の前で人が飛び降りようとしたら止めるくらいの良識はある!!」


「ひいいいぃっ!?」


「あと水死体はむくんでグロい! 女の子には勧められないやめとけ!」


「うえぇえ〜〜〜っ!?」


 引き止める理由がおかしいのは、中二時代にその手の本・・・・・を読んで無駄に知識があったせいだ。しかも心からの親切心で言っている。


 女の子は想像したのか顔を引きつらせると、そろりと橋のふちから距離を取った。


「ったく……。もう馬鹿なことは考えるなよ」


 捨て台詞を吐くと、李津は大きくため息をついて肩を落とした。


 15時間のフライト後でこれだ。時差で眠気もあるし足は棒のようだし空腹だしでクワトロ役満。一刻も早く休みたいのに目的地も見つかっていない。人目がなければ地面に寝転んで駄々をこねたかった。


 投げ出したキャリーケースを無言で起こすと、李津は暗澹あんたんな気持ちとともにそれを引きずり、三度みたび歩き出した。


「……馬鹿なこと、かなぁ」


 後ろから声がした。


「生きていても、いいことないよぉ」


「……」


 気の毒とは思うが、こういうネガティブな人には変に首を突っ込まないほうがいい。


 李津は心を鬼にして、声を無視することにした。


 整備がされていない田舎道。


 大きくゴロゴロと音を立てるキャリーケースのおかげで、あの子の小さな声もそのうちかき消えるだろう。


「きっと明日の朝とか、わたしが死んだってニュースがぁ〜」


「なんだよっ!?」


 かき消えるどころか、やけにはっきりと耳元で聞こえた。


 イラッとして振り返れば、黒い塊がすぐ背後で跳ねる。


「うえっ、そ、相談に乗ってくれるんですかぁ〜!?」


「なんでそうなる? 勝手に着いてくるなっ!」


「だってぇ、あなたしかいないんですぅ!」


「関係ねー!」


「でもぉぉ〜!」


 黒髪の少女は、長い髪の間から必死な瞳で訴えかけた。すごく必死。


 なぜなら彼女、もうこれを逃したら相談する相手がいないから。


「…………」


「〜〜〜〜!」


 無視してもにらみつけても、一切引かない女の子に。


「…………」


 グゥ、と腹が音を上げ・・・・


「〜〜〜〜!?」


「……はあ。……なあ、この辺に食べ物売ってる店ある?」


「あ! あるよ〜〜!!」


 とうとう李津の方が折れたのだった。





 

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