推しは花や星に似ている

大和田 虎徹

初めに

 この小説を読むに辺り、読者の皆様には詫びを入れなければならないことを非常に心苦しく思う。アマチュアの私小説自体が恥のかきすてだろうがという至極まっとうな指摘はもっともだが。それを別としても、こんなしゃれたタイトルに心惹かれた方には、特に申し訳ない。


 この私小説は、「花も星も死に際(花の場合散り際が適切だが)が一等美しい」という理念が根底にある人間が書いている。それらを「推しと似ている」と表現するということは、つまり「推しの死に際が一等美しい」とほざく人間の私小説というわけだ。それと同じくらいに痛めつけられる推しが好きだが。


 つまるところ、この作品には非人道的な描写が含まれている。死は平等だが死の瞬間は不平等なので、ろくでもない死に際を例として出される危険性があるのだ。


 しかし、それらをこの三次元現実で実行したいわけではない。道徳だの法律だの、時として己を制限する枷としても機能するそれは、人間の持つ本質たる暴力性を抑制するために存在している。それらが存在しない、いわゆる無法地帯がどのようなものか想像してほしい。明日殺されるのが自分かもしれないという不安にとらわれる世界を、たやすく思い描けるだろう。それを推奨はしないし、そのような現状は変えていかなければならない。人間の可能性をむやみやたらに摘み取るわけにはいかないのだから。それ故に、自殺も推奨しない。軽々しく言うべきではないだろうが、すべての可能性は等しく何かを変えうるのだから、今はどん底でも一年後は変わっているかもしれない。どん底の現状を、それこそ私小説として発表してみたら、共感や同意を得られる可能性もあるのだから。その感情が、どこかの誰かを動かして、巡り巡ってあなたに微笑むかもしれない。


 以上のことに共感はしなくても、納得した者はこのまま楽しんで欲しい。それ以外の方、例えば「物語に残酷な描写は不必要だ」と考えている方、「死の瞬間を心底悲しめる感性」をお持ちの方、単純に「残酷な描写が苦手」な方など。あなたたちはパソコンならブラウザバック、スマートフォンなら右にスワイプしてこの小説の記憶をさっさと消し去り、こんないかれた人間のことを忘れて日常を送って欲しい

 しかし人間は禁止されれば興味を持つもの。これを「カリギュラ効果」と呼ぶ。古代ローマ最初の暴君として悪名高いカリギュラ(カリグラ)帝の生涯を実写映画化したものが、あまりにもグロテスクだったために上映禁止となったが、それがかえって話題となり結果観客が増えた逸話に由来する。


 グロテスクな描写が好きならこの映画も気に入りそうだと思った勘のいい読者様、残念ながら我は三次元に興味がない。二次元しか愛せない。文字やアバターなどを介してなら何とか妄想の糧にできる。故に、実写映画であるこれを視聴したとして、「歴史的資料」程度にしか認識しない可能性の方が大きい。


 長くなってしまったが、この私小説のおおよその方針がつかめただろう。交流が文字のみに限定されるこのカクヨムで、これを読んでしまった読者の悲鳴を心待ちにしている奴の内面をのぞき込む覚悟は決まっただろうか。


 ようこそ地獄へ!歓迎しよう、盛大かつ陰惨に!

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