第62話 牢と檻―白銀の騎士―
カツーン…
カツーン…
石畳の上を歩く俺の足音が辺りに反響する。
壁に掛けられた
目的の女性が囚われている牢屋は、光源から少し離れているのかあまりに暗い。そのせいで、狭い筈の牢の中を完全には見通す事ができなかった。
だが、近づくにしたがって微かな光に照らされた彼女の姿が闇の中から浮かび上がった。
「トーナさん……」
俺の足音も、俺の呼び掛けも耳に入らないのか、鉄格子越しに見えるトーナさんは
ただ、彼女は寝台に腰掛けたまま俯いているだけ。
暗がりの中のその横顔からは生気を殆ど感じない。
微動だにしないトーナさんを見ていると生身であるとは思えず、まるで精巧な美しい人形か、不可侵の女神を描いた絵画を眺めているかのようだった。
元々、トーナさんは触れてはいけないような、犯し難い神聖な或いは無機質な美貌の持ち主だ。
だからだろうか。
気力を失った彼女はより人間味を失くしていて、それが皮肉にも却って彼女の美しさを幽玄なものとしていた。
はっきり言おう。
俺は心を奪われてしまっていた。
彼女に言葉を掛けるのを忘れてしばし魅入ってしまうほどに……
その横顔はなんとも儚げで、この世のものとは思えぬ美しさは、触れれば壊れてしまいそうな繊細な芸術作品のようだ。
あまりに現実離れしたその美しさに、これ以上近づけば存在がたちまちかき消えてしまうのではないか……そんな恐れから息を殺して彼女をじっと見守った。
だが、いつまでも彼女をこんな暗くじめじめした牢に閉じ込めておくわけにはいかない。
それに目が暗さに慣れてくれば、狭く不衛生で
「トーナさん」
意を決してもう一度、今度は少し大きな声を掛ければ、俺の存在に今やっと気がついたのか、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「ハル様?」
「お迎えに参りました。遅くなって申し訳ありません」
鍵を開けて檻の中に入ると、やはり女性の尊厳を奪うようなその環境に、彼女を閉じ込めた伯爵とそれを示唆したガラック、オーロソ司祭に胸の奥からどす黒い殺意が湧いてきた。
出来れば今すぐあいつらを八つ裂きにしてしまいたい衝動に駆られた。
「ここを出ましょう」
だが、あいつらよりもトーナさんを救いだす方を優先せねば。
奴らの生き死になんかよりも彼女の尊厳の方が万倍も大事だ。
女神の如きトーナさんをこんな汚い場所に閉じ込めるとは国の損失だ。あいつらは全人類に対して挑戦でもしているのか?
いや、俺も出来れば彼女を自分だけの檻に閉じ込めて、俺以外の男の目に触れさせたくない……そんな願望がないわけではない。
「ハル様……それは出来ません……」
「大丈夫です。さあ俺の手を取って」
しかし、トーナさんは俺が差し出す手を拒み力なく首を横に振った。
可哀想に……こんなに憔悴して……人に関わり、人に触れて、彼女はこんなにも傷ついてしまった……
こんな檻に閉じ込められて、その心も閉ざしてしまったのだろうか?
ふむ、檻か……他の奴らが彼女を拒絶するなら……彼女が他の奴の檻に囚われてしまうのなら……いっそのこと俺が彼女を掻っ攫ってしまおうか……そして、こんな陰湿な場所ではなく俺の檻に……俺だけのものに……そして、俺以外の目に触れないよう……
「とても伯爵が私を許すとはとても思えません」
よからぬ妄想に囚われてしまっていたが、トーナさんの拒絶の声に現実へと意識が引き戻される。
いかん、いかん……今はこの牢からトーナさんを救出するのが先決だ。
「安心してください。バロッソ伯爵とは話をつけました」
「ほ、本当ですか!?」
俺の言葉に目を丸くして驚きの声を上げる。
その声には少なからず喜びが含まれていると気づき、俺は次に告げる内容に気不味くなった。
「ええ、釈放です……ただ、この領には住めなくなりましたが……」
「……つまり、追放ですか」
目に見えるほどに落胆した彼女の姿に、俺は自分自身の不甲斐なさが情けなくなった。
「あなたを救うにはそれしか方法がなく……申し訳ありません」
「いえ、ハル様のせいでは……」
俺の謝罪にトーナさんは首を横に振り、微かに笑みを浮かべた。
それは俺に気を使っての無理した微笑みで、どうにも痛ましく寂しさが滲んでいた。
「ですが……もう、この国には住めないのですね……」
彼女の目から落ちた何かがきらりと光った……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます