第60話 凶報―白銀の騎士―
一昨日の休暇は実に有意義な一日だった。
俺は団長から休暇をもぎ取ってトーナさんの家へ押し掛けたのだ。
伯爵の依頼で俺は団を数日も離れていたので、さすがに休暇を申請すると最初は団長も渋い顔をしていた。
だが、俺の粘り強い説得に理解を示してくれた団長は俺を快く送り出してくれた。
「毎度毎度こいつは上司を恫喝しやがって……」
人聞きが悪い。
俺はただトーナさんが住民税と入市税の重複徴収を受けている現場を直接この目で見てしまったので、早急に対処しないと異邦人との間に致命的ないざこざが発生して、他国と
そこまでいかずとも対外的な心象は悪いだろう。
それにラシアの件もある。
あの花が魔獣の森からファマスを守っていたのなら、トーナさんの処遇はファマスにとって大きな問題となる。
聞けばラシアはもともと他国の花でこの地に根付かないのだとトーナさんは教えてくれた。
だとすれば、彼女がいなくなればラシアは枯れ、魔獣が森より氾濫する恐れがある。
これについては団長にも報告したが、やはり事態を重く受け止めた様子だった。
少なくとも他の領と同じように、防衛の為に兵力を増員しなければならない。
今まで魔獣被害が他領より圧倒的に少なかったファマスにとって、人的、経済的損失は計り知れない。
それをこんこんと説いたに過ぎない。
団長もそれを理解してくれただろう。
決してそれらの問題が表在化したら、それを見過ごしていた団長にも咎があると示唆したからではあるまい。
いやぁ、理解のある上司を持つと部下も仕事に身が入ると言うもの。
だからそんな怨みがましい目で見送らんでください。
そうして半泣きの団長を見捨てて、鼻歌交じりに彼女の家へと押し掛けたのだ。
当然これは突然の来訪なのだが、彼女は嫌がる素振りもなく寧ろ心良く俺を家の中に招いてくれた……と思う……嫌な顔はしていなかった……筈だ……よな?
……決して俺の主観ではないと思う。
その証拠に、俺は彼女の両手を包み込む様にずっと握っていたのだが、顔を赤くして恥じらってはいたが、振り解こうともしなかった。
間違いなく好感触だ……絶対に俺の希望的観測では断じてない!
「くっくっくっ……」
彼女の温かく柔らかい手を思い出すと、笑いが止められなかった。
「ハル、気持ち悪いぞ!」
ふふん、何とでも言え。
今の俺は機嫌がすこぶる良いのだ。
昨日のトーナさんとの逢瀬の記憶が何度でも鮮明に蘇る。
その記憶の一つに匂いもある。
彼女の家は薬方店だけあって、おそらく生薬由来のものであろう独特な匂いで充満していた。
だが――
ふわっ……
――その中にあって握り締めていたトーナさんの手から漂う微かな香りはとても素晴らしく心地よいものだった。
香油だろうか?
何か記憶に問いかけるような香りに俺は陶酔しそうだった。
そう言えば以前どこかで嗅いだ瑠璃の軟膏の香りに似ている気がする。
だとするとラシアの香りだったのかもしれない。
それにしても本当に良い香りだった。
彼女と添い遂げればあれを毎日……
ぐふっ!
ぐふふふ……
「おい、ハルの笑い方が不気味なんだが……」
「なんか臭いを嗅ぐような怪しい動きまでし始めたし……」
「ついにおかしくなっちまったか?」
「ああなっちまうと二枚目も台無しだな」
ふん!
どうとでも言え。
四六時中むさい男共の臭いに満ちた空間で暮らす悲しいお前たちに今の俺の幸せは分かるまい。
ああ、寧ろ女っ気がまったくないお前らに、この幸せを分けてやりたいくらいだ。
「ここ…おまえの……ではない……帰れ!」
「違い……わた……そんな……では……」
そんな幸福感に浸っていた俺の耳に微かな言い争う声が聞こえてきた。
何やら騒がしいが……
外の方から……男女の諍いのようだが?
「何かあったのですか?」
「いつもの事さ……お前に合わせろって若い女性が押し掛けているんだ」
だが、それにしては女性の声が切羽詰まっている感じがするし……それに何処かで聞いた声のようだが?
訝しんで声の元へと近づけば、同僚の騎士の背から覗いて見えたのは侍女服に身を包んだ女性。
「ハル・カルマン様に合わせてください!」
「まったく……ここは関係者以外の立ち入りは禁止だ」
「帰った、帰った」
「私はそんなのではありません!」
いつもの事かと辟易した同僚達が追い返そうとしていたが、その必死の形相の女性には見覚えがあった。
「私はどうしてもカルマン様にお伝えしなければならない事があるのです!」
数日前に見たのは病衣姿であったからすぐには分からなかったが……
「メリル殿?」
「カルマン様!」
「なんだ、本当に知り合いだったのか?」
「ああ、すまない彼女は俺の知人だ」
同僚に謝りながらメリル殿を中に引き入れると、彼女は泣きそうな顔で俺に縋ってきた。
「カルマン様お願いします……トーナさんを助けてください!」
「トーナさんを?」
「トーナさんが投獄されてしまったのです!」
彼女が齎したのは最悪の報せであった……
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