第49話 優しき司祭―お祖母様の夢―

 

「不憫な娘です」



 神を讃える礼拝堂に静かな男性の声が意外と響きました。



「心優しく才気にも溢れている良い子なのに……」



 声の主である簡素な司祭服に身を包んだ初老の男性が、憐憫の情を瞳に映しながら大きな手をまだ年端も行かぬ私の頭に乗せ優しく撫でました。



「ただ黒い髪と赤い瞳を持って生まれたと言うだけで差別を受ける……」



 私の為に嘆いてくださるこの方はモスカル司祭――奢侈しゃしを好まず、高位にあっても驕らぬファマス一帯の教会の長たる人物です。



「この国には教会のなかでさえ、髪と瞳の色で人を判断する聖職者がいます……悲しい事です」



 黒い髪と赤い瞳の私にも分け隔てなく接してくださるモスカル様は、温厚で篤実な人格者のまさに功徳を積まれた聖職者です。



「やはり、この娘を残しては……」



 いつも穏やかな表情をたたえるモスカル様の眉間が珍しく険しくなりました。

 モスカル様が話し掛けた先のお祖母様は、悲しそうに目をスッと細めて首を横に振る。



「モスカル様……御身は本山に招かれているのではありませんか?」

「それは……しかし……」



 お祖母様ばあさまの指摘に苦渋の表情をされるモスカル様。



「モスカル様は数多の信者の希望なのです。トーナ一人に御心を煩わせるなどあってはなりません」

「確かに教会は少数の貴族派に牛耳られ権力におもねり、拝金主義の様相を見せてしまっています……不満を持った庶民出の聖職者で固められた革新派はそれに対して過激な姿勢を取り始めている始末」



 憂いの嘆息を漏らすモスカル様の手を取るお祖母様。



「だからこそ穏健派の中でも発言力のあるモスカル様が本山へと登り、教会をあるべき姿へと導かねばならないのです……そうしなければ、争いは激化し血を見る結末が訪れるでしょう」

「ですが、やはりあなた方の問題を残してファマスを去るのは間違っている。それは決して神の御心に沿うものではない!」



 思わず声を荒げてしまったモスカル様は、己の失態にすぐ口を噤みましたが、お祖母様はそんなモスカル様にいつもの穏やかな微笑みを返しました。



「ありがとうございます。トーナに御心を砕いてくださって」

「私の後任はおそらく貴族派のオーロソ司祭になるでしょう……そうなれば、あなた方の立場は今よりもっと酷いものになる」



 お祖母様は同意する様に頷くと、自分の話なのに難しくて理解出来ずに怯える幼い私を抱き寄せると、優しく頭を撫でてくれました。



「モスカル様にはとても感謝しております。トーナが今までこの街でなんとか暮らせていたのもあなた様が守ってくださっていたから」

「だったら……」

「だからこそです」



 何か言いかけたモスカル様を遮って、お祖母様は続けました。



「だからこそモスカル様に教会を正し、多くの者を救っていただかなければならないのです。私どもの事は捨て置いてください……大丈夫です。私もトーナも柔ではありませんから」

「……強い方だ。あなたこそ尊敬されるべき人物だ」



 モスカル様は感嘆のため息を吐き――



「しかし、実際の問題として、私が去った後はどうされるのですか?」



 ――しかし、次には厳しい顔付きでお祖母様に問いを投げ掛けました。



「おそらく街で暮らす事はできなくなるでしょう……だから、私共は森へ行こうと思います」

「森とは……あの魔獣の棲む森ですか!?」

「はい」



 驚くモスカル様にお祖母様は頷いて説明を始めました。



「あの森には代々ラシアを育成している一帯があるのです。あそこなら魔獣も近寄りませんし、管理用の家もありますから」

「ですが……そこまでしなければなりませんか?」

「はい。モスカル様がいなければ街での生活はかなり危ういでしょう」



 沈痛な面持ちでため息を吐いた二人の視線が私に注がれました。



「私はいつまでもこの子の傍にはいられません。私が神の膝下へと旅立てば、この子には傍にいてくれる人は……」

「トーナはとても良い子です。きっと彼女を愛し、守ってくれる者が必ず現れます」

「そうだと良いのですが……」



 二人の会話を聞きながら、私は一人でも大丈夫なのだと伝えたかった。


 私の家族はお祖母様だけ……


 私は一人でも立てます。

 私は誰にも頼りません。


 だから、安心して……



「トーナは愛される事に不慣れなのです」



 だけど、お祖母様の懸念は私の思いとは裏腹でした。



「あなたがいるではないですか。この娘はとても聡い。あなたの愛を十分に理解していますよ」



 そう励ますモスカル様にお祖母様が首を横に振りました。



「いいえ、私は肉親であると同時に師でもあるのです……それに、トーナは我慢強く良い子すぎて……だから、他者に甘える術をこの子は知らないのです」



 そう語るお祖母様の瞳には沈痛の色が、それを聞くモスカル様の瞳には憐憫れんびんの色が濃く……二人の会話の意味を理解するには私はまだ幼すぎました。


 ですが、自分のせいで大好きな二人を苦しめているのだと……それだけは理解できて、だから、それがとても悔しく涙が滲んだのを覚えています……



「本当に健気で不憫な娘です。他者から愛される経験もなく、甘え方も知らず。それでも強く生きられる……生きられてしまう」

「このままではトーナはずっと一人に……」



 お祖母様の懸念に今度はモスカル様が首を振って否定しました。



「いいえ、他者に手を差し伸べる者が、誰からも手を差し伸べられない筈がありません」

「そうでしょうか?」

「いつかこの娘の前にも現れます」



 そしてモスカル様は力強く仰ったのです。



 きっと……必ず……

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