第13話 森に咲く小さな花―白銀の騎士―

 

「荷物をお持ちいたしましょう」



 俺は重そうな肩掛け鞄を担いだトーナ殿に手を差し出した。


 彼女は治療に必要だと薬剤や医療器具の類を使い古された鞄に次々と詰め込んでいたが、あまりの量に女性が持つには重過ぎるのではないかと心配になったのだ。



「ありがとうございます。ですが慣れておりますので、お構いなく」



 彼女は柔らかい微笑みを浮かべたが、申し出はやんわり断られてしまった。



 トーナ殿と俺は今からファマスにあるバロッソ伯爵の屋敷へ向かうところである。


 最初、トーナ殿は難色を示していたのだが、説得のすえに渋々ではあったがエリーナ様の治療に同意してくれた。


 どうにも重い腰をあげてくれなかったので一安心だ。


 それにしても、領主からの依頼となれば名誉であると思うのだが、今も顔に愁色を浮かべるのはどうしてだろうか。


 この地に赴任してきたばかりの俺は、彼女について詳しくは知らない。

 ただ、街での聞くに堪えない悪い評判だけは俺の耳にも入ってはいた。



 それらの噂を総合すると、その容姿はおぞましい黒髪と赤目で、性質たちは強欲にして冷酷、魔獣を使役し人々を苦しめる悪逆無道の魔女……



「それではファマスまで宜しくお頼み申します」



 まったく、トーナ殿の何処が無慈悲な魔女だと言うのだ。


 腰を折って丁寧に一礼する姿は美しく、誠実そのものではないか。

 本当に人の噂など全く当てにならない。


 この国では魔女に対して忌避感が大きいのは知っていた。

 だが、髪や瞳の色だけで嫌悪感を見せるこの街は異常だ。



「ラシアは素敵な花ですね」



 彼女の住居すまいの周辺の至る所で目にする可憐な青い小花。

 地味で目立たないが、却って俺には好ましく思える。



「そう言ってもらえて、とても嬉しいです」



 ラシアの話題を口にすると、憂色を見せていたトーナ殿の顔がパッと晴れる様に明るくなった。澄ましていた彼女の破顔した美しさに俺の心臓がドキリと高鳴った。


 彼女の笑顔は心に沁みるほど優しく、どこまでも魅力的で俺の目を惹きつけて離さない。



「実用の花ではありますが、私はこの花が大好きなんです」



 青い小花ラシアを見るトーナ殿の横顔はとても嬉しそう。

 彼女を見ていると、今まで会ったどの女性よりも好ましく思えた。



「俺もこの花が大好きになりました」



 群生しているラシアを眺め、好きになったのはこの花だけではないな、と彼女に聞こえない程に小さく俺は独りごちた。


 この可憐な青い花と同じで、彼女の美しい横顔は俺の心を捕らえて離さない。



「昔は、我が一族が森のもっと広い範囲で育成していたそうです。ですが、私一人ではこれで精一杯」



 聞けば昔はファマス側の森の外れ一帯に咲いていたそうだ。


 しかし、もともと異国の花であったラシアは土地が合わなかったらしく、手入れをしないとすぐに枯れてしまうらしい。一族の者も既に彼女一人となっており、その範囲がだいぶん狭まっているのだとか。


 それでも見ればかなりの広さではあったが。



「成る程、着任時に近年この森での魔獣被害が増えていると聞きましたが、ラシアの生育範囲が狭くなり、魔獣の縄張りが変化してしまっていたのですね」

「そうなのですか?」



 幼くして二親ふたおやを亡くしてから、今の状態が普通の彼女にとって、その違いは感じられないのだろう。嫌われ者で街との交流が殆ど無い彼女には魔獣被害の実態を知る術は無いのだから仕方がない。



「高齢で退官された騎士から聞いた話なのですが……」



 その騎士の子供の頃は、このファマス周辺は魔獣の棲む森が近郊にありながら、異常なくらい魔獣の姿を見ななかったそうだ。


 ところが十数年前くらいから少しずつ森の外まで魔獣が出没し始め、近年ではその被害は増加の一途である。



「この地域で魔獣被害が少なかったのは、あなたの一族のお陰だったのでしょう」

「逆に私が魔獣を使役しているのだと言われていますけど」



 彼女は自嘲気味に苦笑いした。

 その噂は俺も確かに聞いた。



「馬鹿馬鹿しい噂です」



 だが、荒唐無稽で少し考えればおかしいと分かりそうなものだ。


 おそらく、ラシアの生育範囲が彼女の出生を境にどんどん狭くなって魔獣被害が増加したのが噂の出どころだろう。


 人は不吉な現象に何かしら理由をつけて安心を得ようとする。


 そこにトーナ殿の存在があって安易に責任をなすりつけたのだろう。

 彼女が原因でない事など、よく調べれば分かるだろうに。



「どうぞお手を」



 荒廃の道を歩きにくそうにしているトーナ殿に手を差し出すと、彼女は申し訳なさそうな顔をした。


 彼女の家から街へ向かう道のこの荒れようを見ても、トーナ殿がいかに理不尽な仕打ちを受けているかが窺える。



「ありがとうございます」



 礼を述べて俺の手を取る彼女の仕草がぎこちなく、それだけで彼女の境遇の全てが分かった。



 この魔獣の棲む森の奥で、彼女は今まで誰からも手を差し伸べられてこなかったのだと……

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