触れてはいけない
白井
触れるとどうなる?
影山秀一が散歩をしていた理由はたんに暇だったからだ。それだけだったのに。
散歩の途中で、小さな女の子が影山の前から歩いてくるのが見えた。今は春、服装は華やかで涼しげだ。その子を見ていると、自分の娘のことを思い出して微笑んでしまった。その子の視線がゆっくりと影山の背後へ向いた。双眸が固定される。歩いているのに、なぜその子の視線は揺らがないのだろう。男は不自然に思って立ち止まり、後ろを向いた。
唖然としてしまう。髭の濃い漢が突っ立っていた。背が高く筋骨隆々としていて、薄汚い服を着ている。顔を硬直させたまま動かない。その表情を見ていると、影山は自分の父親を思い出す。思い出すことが多い日である。
「どうしたんですか、その人」
高い声がしてそちらを向く。女の子が大人びた口調で話しかけてきた。
「まるで石になってしまったみたい。驚きですね。それに」その子は微笑む。「あなたの肩に触れようとした瞬間に固まった。さて、どうしてか」
影山は、わからない、と首を横に振り、背筋を正した。どうやら、その子に気圧されたようだった。
「僕に触れようとして?」彼は漢の方を向いた。今は少し離れているが、確かに、漢は彼に触れようと手を差し伸べているように見えた。
「そうです。おかしいですよね。わたしもあなたに触れてみようかな」
女の子がこちらに近づく。影山は一歩退いた。
「僕に触れようとしたら、君も固まってしまうかもしれない」
「あら、原因を知っているの? 首を横に振ったのに」
「推測だよ。僕に近づかないほうがいい。そう思ったんだ」
「じゃあ、やめとく。で、こっちは?」女の子は興味津々な顔で影山の横を通り過ぎると、巨漢のひげを引っ張った。
「痛い痛い。やめてくださいよぅ」
漢は笑いながらそう言った。
「あら、振りをしていただけなのね。動かなくなった振りを」
「そうですそうです」巨漢は頷いた。「俺の趣味なんです。知らない人の後ろで動かなくなった振りをするのが。こんなに早く気づかれたのは初めてだ。みんな驚いて逃げていくのに」そして、豪快にため息をつく。「でもこんな趣味が最近はつまらなくなってきて、やめようかな、と思っているんですが」
「あらそう。じゃあ、やめれば?」
「いやあ、君みたいな子は初めてだ。握手してほしい」
漢はその子に近づく。影山は目を細めてそれを見ていた。また、固まるパフォーマンスでもするのか?
その予想は裏切られた。触れる前に、漢の身体が四散したのだ。影山がそれを認識するのには時間がかかった。
「あら、触れないで、っていう前に行動しちゃうんだ」その子は笑った。「わたしに自ら触れようとしたら死んでしまうのに」
彼女はニコリと笑うと、血をぬぐい、バラバラになった死体を見下ろした。
「やっぱり、散歩は良くない。こうなるんだから」
触れてはいけない 白井 @takuworld10
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