第54話 知らない女性が僕を攫おうとしてる

 用件もわからないまま手錠されて顔を隠されて凛夏さまに連れられてきたのは病院だった。


 僕は記憶を失ってるみたいだから、病院に通うことになるものうなずける。

 病院にかかった記憶もないので、病院ってところがこんなに夜遅くにくるものだってのは、知らなかったけど。


 凛夏さまに手を引かれて病院に入ったところで、謎の女の人の声が耳を打つ。


「こんばんは、チカ。それと桃郷凛夏さん。こんな素敵な夜に、そんなに怪しい格好をして病院だなんて、楽しそうなデートだね?」



 病院にきてるのに、『楽しそうなデート』だなんて、不謹慎な人だ。

 それに......『チカ』っていうのは、僕のこと?


 知らない人にそんなふうに馴れ馴れしく呼ばれて、しかもその人は僕と凛夏さまに物凄い敵意を向けている気がするこの状況。

 恐ろしい......。


 それに対して、大して臆することもなく向かい合う凛夏さまの姿には神々しさまである。

 本当なら男の僕が凛夏さまを守る立場にあるはずだけど、目の前の龍虎相まみえると言わんばかりの光景に萎縮してしまって動けない。


 どうしたら良いのかわからず、ちらっと凛夏さまの方に目線を向けると、口元を緩ませて笑顔を作ってるけど目は笑っていない、怖いときの凛夏さまの表情。

 あの目はきっと、『一言でもしゃべったらお仕置きにえっちなしだからな』とか言ってるんだと思う。


 イヤ過ぎる。この間、貞操帯をつけられて1日お預けにされた時は気が狂うかと思った。

 その後の快楽は尋常じゃなかったけど、できるだけおあずけにされるのは避けたい。


 なら、凛夏さまの命令通り、黙っておくのがいいよね。





 不安に思いながらも2人の掛け合いを見守っていると、2人とも罵り合ってるけど相手の人は頭がおかしいのか、どれだけひどいことを言われても意に介してないみたいな振る舞いをしてる。

 あまつさえ、僕の大切なお嫁さんである凛夏さまに対して、僕を『返して』だなんて言ってた。


 そのあたりでさすがの僕も気がついた。

 この人が以前凛夏さまが言っていたストーカーの人だ。


 たしか僕と凛夏さまの恋路を邪魔しようとする悪い4人組がいるんだって言ってたよね。

 目の前にいるのは1人だけだけど、きっとその内の1人だ。


 僕と凛夏さまの関係に横恋慕してたおじゃま虫な人のくせに、凛夏さまをこんなふうに侮辱するだなんて、温厚な僕もいつまでも黙ってられないよ。


 しかも、言うに事欠いて......。


「チカ、チカ! こっちに来て! 藍朱がソイツから必ず護ってみせるから。だから安心して藍朱の方に来て!」



 だって?

 巫山戯ないでくれ! 頭のおかしい人のとこになんて、行くわけないじゃないか!


 だめだ。凛夏さまには黙ってるように指示されたけど、このままじゃ凛夏さまが不憫過ぎる。

 僕があとでお仕置きを受ければいいだけなんだ。ここはちゃんと男としてビシッと言ってやらないと!


「え、えっと......。あなたは............誰ですか......。凛夏りんかさまが言ってた......僕の......ストーカーの人......ですか......。だったら......その......帰ってください!」


「あ............え......? チ、チカ......? どうしたの? まだ何かその女に脅されてるものがあるの? 人質とか取られてるの......?」



 言ってやった!

 相手の女の子もすごく動揺してるし、凛夏さまもご満悦の表情。


 あの顔は多分、『よく言ったね。ありがとう。でも喋ったからお仕置きだよ』って言ってるんだろうな。

 あーあ、これで地獄の我慢決定か......。


 けど、ちょっとでも凛夏さまの役に立てたなら、僕はソレで十分だ。


「だって......『誰ですか』って............。チカの目......本気で言ってる......? 嘘だよね。藍朱のこと、忘れちゃって......?」



 相手の女の子はブツブツとわけのわからない戯言を垂れ流してて、目も虚ろでちょっと怖いけど、隙だらけだよ。

 凛夏さま、仕掛けるなら今です!



 僕のアイコンタクトにコクンと可愛く頷いて、ポケットに忍ばせた拳銃を取り出しながら相手の娘に向かって駆け出す凛夏さま。


 もともと僕たちの距離は10メートル程度。

 走り寄ったら数秒もかからない距離だ。


 凛夏さまが僕のために手を汚してくれるのは、嬉しいけど、申し訳ない気持ちも多分にある。できれば凛夏さまの手に残酷なことをさせたくはない。

 けど、凛夏さまがやられるくらいなら、やってもらったほうがよっぽど良い。


 ストーカー女さん、すみません、ここで沈んでください。







 バシュッ。

 ドンッドンッドンッドンッ。


 ......っ!?

 ストーカー女さんも拳銃!?

 虚ろな表情で隙だらけだったくせに、なんて反応なんだ!


 しかも、凛夏さまはまだ発砲してない......どころか拳銃を撃ち抜かれて手元にない......。

 あぁっ! 凛夏さま、手から血が出てる......。けど指とか全部つながってるし、幸いにもかすり傷だけ......?


 それよりも、銃弾の位置......。目の前のストーカーさんの位置からじゃあの弾道にはならない......。どこか別のところからの狙撃!?


「こ......こんの......クソ女どもぉ!!!!! いい加減旦那さまのことは潔く諦めなさいよ!!!!!」



 あぁ......っ、凛夏さま......。あんまり興奮しては血が出すぎちゃう......。

 声をかけて落ち着かせてあげないと......。助けに行かないと......。


 けど......けど、怖くて身体が動かない......。






 コツンっ。コツンっ。コツンっ。コツンっ。


 暗い病院の廊下に足音が響き渡る。

 おそらくさっきの狙撃をしてきた人が近づいてきてるんだ。


 まずい......。まずいまずいまずいまずいまずいまずい。

 このままじゃ凛夏さまが......。


「こんばんは、桃郷凛夏もものさとりんか。先日のビデオではどうも。こうして対面するのは初めましてだね」


「..................佳音唯桜かねいお......」


「あはは、よくご存知で。けど、年下なら年下らしく、年長者には敬意を払うべきだと思うけど?」


「なんでウチが負け犬のビッチさんなんかに敬意を払わないといけないわけ?」



 病院の窓からわずかに差し込む光に照らされて目に映ったのは、金髪ロングの髪とジャラジャラと耳につけた金属のピアスの反射光。

 よく見えないけど、目には獰猛な肉食獣みたいな妖しい光が灯ってる気がする。


 ......僕、こんな怖そうな人にもストーカーされてたのか......。

 いや、今はそれどころじゃない。


 さっきから目の前にいた小さい方のストーカーさんも、新しく現れた大きい方のストーカーさんも、凛夏さまに銃口を突きつけて引き金に指を置いてる。


「ま、敬意なんて食えるわけでもないし、別にいいんだけどさ。じゃ、まぁ、知火牙ちかげくんを狂わせた罪、死んで償ってね」



 だめだ......このままじゃあ、まず間違いなく凛夏さまは撃たれて..................。

 そんなの..............................だめだ!


 さっきの様子とか、凛夏さまから聞いてた話からして、この人たちがほしいのは凛夏さまの命じゃなくて、僕自身のハズ。

 なら......なら今の僕にできることは......。










「お願いします。僕がなんでも言うことを聞きますから。凛夏さまの命だけは......助けてください」



 全力で土下座しながら、赦しを乞うこと......くらい、だよね。

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