第5話 夜の海、見つめ合う二人の美少女④ ~サーモンはサーモン~
「偽勇者ラシックがいたぞーーーーーーーーーーっ!」
翌朝、俺の耳に届いたのはセツナのいつもどおりの声ではなかった。怒号のような衛兵達の声に、鳴り響く鐘の音。もう少し布団の中でまどろんでいたかったが、うるさくてかなわない。
「うわぁ最悪の目覚め」
起き上がる。欠伸をして背筋を伸ばせば、いつものメイド服を来たセツナが立っていた。さすが朝早いけど鍵どうしたんだろう個室だよねここ。
「おはようございますキール様、着替えはご用意させて頂きましたので早速向かいましょう」
「他の人達は?」
「後で来てくれるそうです」
「そりゃ良かった」
着替えに袖を通しながら、窓を眺める。土煙を上げながら進む勇者に武装して追い回し続ける衛兵達。今からこの中に行くのか俺は。でも、こんな苦労も今日で最後だ。偽勇者一人対王国軍と俺達と来れば、解決するのは時間の問題。
「んじゃ、気合い入れていきますか」
宿屋を出て実感したのは、街中の慌ただしさ。
「こっちだ、いやそっちだ!」
「どっちだ!」
衛兵達の怒声と悲鳴、方方から上がる煙。被害額とか凄いんだろうなとつい考えてしまう程だ。
「大捕物って感じだね」
「何他人事みたいな感想を漏らしてるんですか」
「レーヴェンの占い使えないしな、追いかけるには限界があるよな」
気合を入れていたはずだが、現実的に考えれば別に気合を入れなくて良いことに気付いた俺。衛兵が捕まえたとこでやあやあ偽勇者くんパンツ返してって程度で良いだろうな、うん。
「それにほら、歩いてれば曲がり角でばったりとかあると思わない?」
「思いません」
そりゃ口から出まかせだからね、と補足しようとした瞬間。もっと言えば、曲がり角をよそ見しながら直進していた瞬間。
ぶつかった。何これ運命の出会いかなって思いたかったけど顔を上げればいたのが偽勇者ラシック。運命と言うか因縁の方が近い印象だね。
「が……起こるものは起こりましたね」
立ち上がって埃を払えば、俺を見るなり顔を歪ませる偽勇者。
「お前はっ……!」
「やあ偽勇者……戦おうとは言わない、とりあえずパンツ返してくれ」
両手を上げて提案するが、無理だった。いきなり剣を抜いて切りつけてくるラシック。もうその刃は、青く輝いてはいなかったが。
「そっちに理由はなくたって……こっちにはあるんだよぉ!」
「めっちゃ怒ってるぅ!」
「当然です、キール様のせいで英雄から犯罪者まで落ちたのですから」
「まぁ自業自得ってことで」
二人して物陰に隠れるが、当然のようにすぐ見つかる。ので走って逃げる俺達。
「ごちゃごちゃとぉっ! 死ね、死ね、死ねっ、死ねえええええっ!」
「もう弁解の余地のない犯罪者だなこいつ!」
剣を振り回して追いかけてくるが、その風圧やらで壊れ始める建物。そこはもう単なる犯罪なのだが、どちらかと言うと災害に思える。
「それより何で逃げるんですか頑張れば倒せるじゃないですか」
「一応考えてはいるぞ」
「といいますと」
セツナの質問に行動で答える。右、左でそこは真っ直ぐただ全力で走っていく。殿下に付き合わされたおかげで、この街の地理が頭にあった。
「この辺かなって」
後ろから斬りかかるラシックを避けて後ろを取る。それで当初の作戦通り、港まで誘導することができた。
「さあラシック逃げ場はないぞ」
三方は海残りは俺が塞いでいる。海に飛び込むなんて馬鹿な真似をされなければ、ここが決戦の地で間違いない。
「大人しく……パンツ返せっ!」
助走をつけて飛び掛る。しかしこれで奇妙な因縁も終わりかと思えば少しだけ寂しいような気がしてしまうのはなぜだろうか。たとえばほら、こう空中に浮いてるみたいな気分でさ。
「あれ」
背中を襲う衝撃に、思わず顔をしかめてしまう。投げ飛ばされたと気づいたのは、木箱の破片が頭に落ちてきてからだった。
「忘れてたのか? 僕は……強い」
「でしたね」
立ち上がって埃を払う。
「ダメダメですねキール様」
セツナがそんな事を言うので、思わず苦笑してしまう。やっぱりスキルだかを活用しなきゃ勝てない相手だよねこの人。
「少しは強くなったと思ったんだけどな」
「思い上がりですね」
「その言葉が一番痛いな」
さて、どうするか。俺の持っているスキル一覧はなんて確認する方法は無いので、確実性を取るなら魔王の魔法を使ってしまうことだろう。ここなら余計な建物もなさそうだ、と納得しかけたところで視界の隅に高そうな船を見つける。アレ壊したら高そうだなと思って二の足を踏みそうになるが、それでも俺は右手を構えた。
その時だった。
「ホーッホッホホ! 無様ねキール=バカタレ=クワイエット!」
「この高笑いは!」
聞こえてきたのはシンシアの悪趣味な笑い声。どこからだと頭を振れば、近づいて来る高そうな船。
「偽勇者ラシック、どうやらここが年貢の納め時のようね。このシンシア=リーゼロッテが昨日買っておいた軍艦ブラックリリィ号の前にひれ伏し……大人しくお縄につきなさい!」
年貢を納めるのかお縄につくのかどっちなのか、そもそも真っ黒なのは誰かが徹夜で塗ったのか、それよりもアレいくらしたんだろうという当然の疑問の数々はさておき、その火力は圧巻だった。船の側面から見える、黒光りした8門の大砲は人一人を否応無く木っ端微塵にするだろう。
「誰が相手にするかそんなもの!」
そりゃそうだろう、と思わず頷く。だが船上のシンシアは怯まない。ただその口元を小さくゆがませ、同じく船の上に鎮座する大きな布がかぶった箱のようなものに手をかける。
「フッフッフ……これを見てもまだそう言えるかしら?」
勢いよく彼女は布を取り払う。そこにあったのは巨大な檻。ちょうど人間が三人ほど入るような、いや詰められたような。
「ラシック!」
声を張り上げたのは、偽勇者に同行していた三人娘。皆悲痛な顔持ちで、ラシックに手を伸ばしている。
「リン、アサヒ、レモル……」
それぞれの名前を彼は呟く。悔しいような、それでいて悲しいような表情で。この四人に何があったかなど知る由も無かったが、それでも信頼とか尊敬とかそういう類のものはあったのだろう。もしくはそれ以上のものが。
「こっちを向いたわね、砲撃開始ィイッ!」
「了解ですシンシア艦長!」
「死ね」
だがそんな事情、シンシアには路傍の石以下の価値も無い。ちゃっかり船に乗っていたアイラとレーヴェンに号令を出せば、二人は大砲に火を入れる。
というわけで砲撃開始、次々と飛んでくる鉄の砲弾が港を木っ端微塵にし始める。
「俺もいるんですけど!」
悲痛な叫びは聞こえるはずも無く、俺は急いでセツナの手を取り物陰へと隠れた。
「悪役令嬢というかただの悪役ですね」
「あれは単なる悪人って言うんだ」
砕ける港に飛び交う砲弾、鳴り響くは悪の笑い。これって誰が弁償するんだろうと少し頭が悩み始めたところで、別の声が聞こえてきた。
「ラシック! 私達は……あなたが偽物でも構わない!」
船の上から、彼女たちは叫んでいた。砲弾の雨をよけ続ける、かつて勇者を騙った男に。
「お前との旅は楽しかった! だからまた!」
「犯罪者でも構わないから……一緒に行こう、ラシック!」
砲弾の雨が止まる。流石のシンシアにも人間としての良心が残っていたのだろう。
「みんな」
「ホーッホッホ! 可愛いこと言う子達じゃないの!」
だがそれは、悲しいかな俺の勘違いだった。さっき俺は言ったじゃないか、彼女はもう悪役などではなく悪人だと。
「もっとも」
シンシアの白く均整の取れた指が、彼女達の頬をなぞった。そして彼女は妖しく笑う。それが自分の生きる道だ文句はあるかと誇るかのように。
「昨日の夜は……もっと可愛かったけれども」
三人の顔が一気に赤くなる。待てなんだその恋する乙女みたいな眼差しはさっきまでのラシックへの悲痛な叫びはどうした剣士の子なんてドキドキしすぎて目も合わせてないぞ何が一緒に行こうだもうイッた後じゃないか。
「セツナ、あいつ外道だな」
「流石キール様、その通りでございます」
二人して頷く。前世でどんな悪いことをすればこんな金も権力もある外道令嬢として生まれ変わるのだろうと思わずにはいられない。
いやそれにしてもどうすんだろうこの空気、港はボロボロでシンシアは高笑いラシックの心はボロボロ誰かどうにかしてくれないかな。
「百合警察だ! イチャイチャ不敬罪で逮捕する!」
「やばい人来た」
とか思ってたら殿下が来た。飛んできた。原理は不明だが空高く飛んできた殿下が太陽を背に受けながら、空中で五回転ぐらいして船に着地する。
「シンシア=リーゼロッテ、お前の悪行は弟から聞いている」
「で、殿下!? えっと、そのイチャイチャ不敬罪って」
うろたえるシンシア。そりゃそうだよね、昨日あれだけ怖かったけど優しさもあったはずの人が違う意味での怖さだけを抱えてやってきたんだからね。
「キール隊員、説明!」
「出来ませんって!」
しかもこうね、人にわけのわからない罪状の説明をさせようとするしね。
「日が浅すぎたか……まぁいい。貴様は女の子同士のイチャイチャ見守り隊の教義に反する愛のない肉体関係を結ぶ常習犯らしいではないか」
眼鏡を輝かせながら、殿下は早口でそんな事を言い出した。俺なら知らんがなの一言で片付けそうなそれだったが、シンシアはスカートの裾を摘んで恭しく頭を下げる。
「殿下……畏れ多くも一つだけ述べさせて頂きます」
「かまわん続けろ」
「体から始まる……恋もあると!」
冷たい潮風が、港に吹いたような気がした。まぁ三人娘の表情を見るなりあるかもしれないけどさ、もうやめてあげてよラシック死にそうだよ好きだったんだよきっと彼女たちが。
「そうなのかキール隊員!」
「知りませんって!」
何でこう一々俺に聞くかなこの人は。
「ならばシンシア=リーゼロッテよ……そう豪語するなら昨日の晩の事をこの場で語ってみせろ」
「ご期待に添えるかどうかはわかりませんが……」
三人娘は悲鳴を上げない。ただ顔も耳も真っ赤にしてうつむいているだけだった。
「まずこう、服の下に手を入れてパンツの紐をパチンと」
「パンツの紐を……パチン!」
刺激が強すぎたのか、殿下が倒れる。まだ話が始まったばかりだが、刺激が強すぎたのだろう。
「殿下殉職しちゃったよ」
二日連続で朝刊の見出しとか国民に大人気で良かったですね。
「その後は耳たぶに息を吹きかけてそれで……」
だがシンシアは話をやめない。殿下はもう動かない。
「それ以上喋るなあああああああああっ!」
だからその外道に切りかかったのは、当然のようにラシックだった。その剣をレーヴェンが持ち前の水晶玉で受け止めるが、そう長くは持たないだろう。
「とりあえず助けに行くか」
俺たちは船に向かって走り出す。殿下みたいに謎の方法で飛び乗ったりはできないので、陸路だったり梯子だったりロープだったりを駆使してやっと到着。何とかついた船の上で、殿下は幸せそうに死んでいてラシックは鬼の形相で剣を振るっていた。果たしてここは地獄なのか天国なのかと疑問に思う。
「偽勇者泣いてますね、いい気味です」
「俺はちょっと同情するよ」
鬼の目にもなんて言葉があるらしいが、少なくとも扇子で扇ぎながら下々のものに戦わせるシンシアの方がよほど鬼だと思うので、この言葉は間違いだろう。本当のそれには血も涙も無いのだから。
「死ねえええええ悪党があああああっ!」
シンシアの喉元を狙った刃を、何とか両手で受け止める。どう考えても俺の体の限界を超えた動きだったので、明日は絶対筋肉痛だ。
「あら遅かったわねキール」
「次は助けないからな」
これ以上助ければ、俺も鬼の仲間入りにしてしまうからだ。
「キール様、殿下はいかがしましょうか」
「とりあえず陸に下ろしてあげて」
無言でセツナが頷き、殿下を荷物みたいに肩で担ぐ。王族だからねそれ。
「あ」
なんて貴族らしく気の利いた言葉をかけようとした瞬間、セツナが何かに躓いた。木箱である。どこにでもあるなこの木箱、なんて思ったのも束の間。
「キール様、殿下が海に」
セツナが転んでしまったせいで、担がれていた殿下が海に落ちた。大問題だが何となく殿下なら大丈夫のような気がした。そう思わなければ俺達は偽勇者討伐隊どころか王族殺しなのだから。しかも本物の。
「まあ殿下なら多分大丈夫だろう……それより箱の中身は?」
それより落ちた木箱の中身が気になった。だってもうこの二日で嫌と言うほど見てるからね、船の上にあるそれの中身ぐらい気にしたっていいじゃないか。
「サーモン」
「何かの隠喩?」
「サーモンはサーモン」
レーヴェンがそう答える。そっか、ぐうの音も出ないほどのサーモンなのかあの箱の中身は。
「そっか……ってことはさ」
ということはだね、この海面を押し上げてくる巨体の正体はだね、餌の時間だと勘違いしてしまったね。
「タマアアアアアアアアアアアアッ!」
浮上したタマの巨体が、シンシアの船にのしかかる。それだけでこの何とか号は真っ二つに割れてしまったわけで。
運動神経の無い俺なんかは、成す術も無く海に放り出される事しか出来なかった。
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