第1話 別に旅立ちたくなかった朝③ ~パパのパンツ~
「可愛い子達に睨まれちゃってますね」
「いやその……腕が立つから選んだんです」
北の出入り口から少し離れた、誰が置いたか古びたベンチに二人で腰を掛けながら勇者ラシックと会話を始める。本当かこいつ顔で選んだんじゃないのかと疑いながら。
「あ、いやまぁそんなことより」
取り巻きの話はもう良い、そろそろ本題に入ってさっさと家でゆっくりしなきゃな。
「ここに、大した金額じゃないけど200クレあります。これをね、君の冒険に役立ててもらいたいなって」
ポケットから財布を取り出し、現金をちらつかせる。これだから貴族様はと言われかねないようなやり口だが、今回の件についてはこれが正解だろう、うん。
「え、良いんですか!? いや中々援助とかしてもらえなくて困ってて……」
200クレという金額は勇者一行にとって端金かと思われたが、意外と食いつきが良くて助かった。手を伸ばして来たので、ちらつかせたお金を遠ざける。
「交換条件」
ラシックの表情が曇る。反応があるってことは交渉の余地があるってことと変わりない。どうやら思いの外早く家に帰れそうだ。小遣いはまぁ、必要経費としてセツナからもらうとしよう。
「……何でしょうか」
「酒とか薬は別に良いんだけど……その、何ていうかな」
言って良いのかと疑問に思う。冷静に考えればパンツを盗まれた現場を見たわけでもないし、仮に盗まれたとしても別の人間かもしれないし、というかどんなパンツなのかすら知らない。
いやでも、セツナが言ったんだから本当だろう。そこを疑うなんて、今更やる事でもないか。
「パンツ返してほしいなって」
ラシックの表情が凍る。それから思い出したかのように、全身から汗を吹き出す。なんかそういう玩具みたいだな、なんて呑気な感想が思い浮かぶ。
「ええっと、キールさん……その事、他の誰かに言いましたか?」
「まさか。口の堅さには自身があるよ」
「そうですか、なら」
違和感があった。小指の先ほどのそれに気づけたのは、彼の表情を注視していたからだろう。ほんの少しだけ目の色が変わったから、本能的に後ろに下がる。
「ここで……死ねぇ!」
振り上げられたそれは、青く輝く軌跡を残す。鞘から引き抜かれた剣が、ベンチと俺の前髪を切った。
「ちょ、ちょっとま」
何やってんだこの人いま死ねって言ったよねこれ俺に言ったのかなんで俺殺されるのパンツ返してもらおうとしただけでさ。
「君が死ねば完全犯罪だ!」
いやセツナも知ってるけどとかいう屁理屈喋る前に死ぬなこれ俺何がパンツだよやっぱり買い直せば良かったじゃん200クレもあれば相当良いパンツ買えるよおかしいでしょこれで命張らなきゃならないだ。
なんて最後の瞬間にしては間抜けすぎる独白に思考を奪われていたが、勇者の剣が俺を真っ二つにしなかった。子供でも知っている勇者の証明たる青い刃の剣は、そんな簡単な事も出来なかった。
「……死ぬのはお前だ、勇者ッ!」
邪魔が入った。黒いマント黒い帽子、浅黒い肌に白い髪。鈍器のように水晶玉を振り下ろすが、かがんだラシックの剣に止められた。
「さっきの……占い師の人?」
見覚えがあった。つい先程、勇者の居場所を教えてくれた女性。でも、なんでこんな所にいるのか。皆目見当もつかない。
「君は……誰だ? どうして僕の邪魔をする?」
「伝説とか運命とかって口にして、人の家族を殺そうとするサイコパスを邪魔するのに、理由って必要なもの?」
「……魔族か」
睨み合う二人。そうかこれが因縁の対決か、あるんだなぁこういうの間近で見れると思ってなかったけど俺関係ないよね帰っていいかな?
「えっと、話がわからないんだけどパン」
「大丈夫ですかラシック様!」
「おのれ貴様ら、勇者を亡き者にしようなど……これだから貴族は!」
「ここで死ね」
パンツの話が駆けつけてきた三人娘に遮られる。どう考えても俺被害者なんだけど目が悪いのかな、恋は盲目っていうけど見えない方がマシだよねこれ。
「いやその誤解だ。俺はちょっとお願いがあって」
「ふん、人間共が雁首揃えて……2対4のつもりかもしれないけど、実質2対2だってわからせてあげる」
勝手に話を進める占い師。待てさっき魔族とか言われてたけど魔界の住人なんですかこの人どうなってるんだウチの入国審査はザルか何かかな。
「あの、俺こういう荒事とか慣れてないんですけど何勝手に頭数に入れて」
「なら1対2になって貰おう!」
襲いかかるラシック。何してんだこの人、話を聞いてる聞いてないじゃない自分の頭で全てが自己完結してる。今度こそ死ぬなかな俺、なんて思っていたら幸運な事に横槍がまた入る。セツナがラシックに向けて、銀のナイフを投げつける。
剣の柄に当たったそれが、見事刃の軌道を変えてくれた。足元に落ちる剣先、よく生きてるよね俺。
「ご無事ですか、キール様!」
「ああ、ありがとう……助かったけど」
なんで当たり前のように食器忍ばせてるんだろうそれもナイフ怖いよこの人武器じゃないよそれ。
「私のパンツを……かえせぇっ!」
「おっと!」
飛びかかり、今度はフライパンで殴りかかろうとする。今度なんかちゃんとした武器買ってあげようと思っていると、当然のように吹き飛ばされるセツナ。
「君があのパンツの持ち主か」
「だったらなんだって言うんですか」
「そうだね、敢えて言うなら」
一瞬のことだった。セツナが体勢を整え顔を上げた瞬間、ラシックの姿は消えていた。
「期待外れだ」
後ろから彼女の首元を小突く。たったそれだけのことで、彼女はいともたやすく気絶した。
「セツナ!」
「全く、どうして僕に勝てると思ったのか」
叫んでも返事は来ない。帰ってきたのはため息混じりのラシックの声。勝てる勝てないの問題じゃない、勝負にすらなっていない。かたや世界を救う命運を背負った男、かたや地方領主とメイド。戦おうとすることがそもそもの間違いだった。
「ここで死体にするのは微妙かな……あ、大丈夫三人ともちゃんと後で殺すから」
脅しなんて生易しいものじゃない。言葉にするのは単なる確認行為でやる事はもう決まっている。
――終わりだ。
助けは来ない、奇跡もない、立ち上がる気力もない。ここが人生の終着点だと気付かされる。
こんな感覚を覚えている。両親が死んだあの日、襲った絶望を覚えている。動かなかった体を、働かなかった頭を、ただ磨り減っていくだけの心を。
それでも今ここにいるのは。
彼女が、いたから。
「……あなた、力が欲しい?」
聞こえてくる悪魔の囁き、断る理由はどこにもない。何でも良かった、どうでも良かった。手段なんて考慮しない、必要なのは結果だけ。
「ああ」
頷けば悪魔が笑う。そうだ、何でも良いんだ。
彼女を、セツナを救えるなら。
「話が早くて助かる。それなら」
ポケットから取り出した黒い何かを、占い師は乱暴に俺に投げつけた。細い皮のベルトに何の衣装もないバックル。
「その首輪つけて、早く!」
首に巻く。棘のようにそれは刺さり、蛇のように締め付ける。だが、一瞬。消えた痛みに興味はない。
「つけたぞ、次はどうすればいい!?」
「これ、食べて」
もう一つ、彼女のポケットから放り投げられる。手に取って広げる。いいさなんだって食ってやる。
「……え?」
食ってやらないこともないけど、確認だけさせてほしい。
「いや、これ野郎のパンツだよね」
手のとったのはパンツ。トランクス的な奴。男物。よれてるしすれてる。あとちょっと、臭う。
「そうパパのパンツ。こっそり貰ってきた」
何言ってんだこいつ。文脈が繋がらない、理解に頭が追いつかない。えーっと、力が欲しければ占い師のパパのパンツを食べてね、と。うん、酔っ払いの戯言の方がまともだ。
「食べるの、俺が、お前の親父のパンツを!?」
「話終わったかい? そろそろ死んでもらおうかな」
「いいから、さっさとパンツ食えスットコドッコイ!」
顔を上げる。襲ってくる勇者と三人の戦士達。
手元を見る。知らない人のパンツ。
「た」
いや、でもな、これこのままだと俺死んじゃうんだよね。やってからの後悔とやらなかった後悔の天秤を、揺らしている暇はないから。
「食べれば良いんだろおおおおおおおっ!?」
騙されたと思ってと、誰かが言った。でもこれ俺騙されてる。口の中に放り込んだ布を噛む、噛みしめる涙の味だ。吞み込めるのかなんて疑問は首輪が解決してくれた。熱くなった喉がそのパンツを飲み込んだ。
『パンツイーターシステム発動』
脳内に声が木霊する、勇者の剣が眼前に迫る。俺はおかしくなったらしい、いやそりゃそうかパンツ食ったんだもんね。
ああでも不思議なのは、死ぬ瞬間って本当にゆっくり景色が流れるんだなって事か。矢のように飛んできたと思った剣先は、もはや宙を舞う鳥の羽のような速度で進む。
不意に、手を伸ばす。一矢報いたかったのか、意識がそうさせたのかわからない。
それでも。
『レジェンドスキル、"魔王"を取得しました』
俺の二本の指は、その剣を止めていた。
「え?」
「なんで……」
間抜けな声を漏らす勇者と俺。今日初めて意見が合ったように思えた。
「いやなんで、俺こんなことできて」
「何でもいい、魔法使って!」
占い師が叫ぶ。魔法。知ってるよそれ一部の天才が使える奴でしょ。
「あ、いやその」
当然俺は一部の天才なんかじゃない。生まれはともかく一般人、魔法なんて見たことない。けど、まあ本で読んだ事はある。
「こ……こうかな?」
空いている手を勇者にかざす。えいっなんて心の中で唱えた。
爆発した。空間そのものが歪み、爆ぜた。
「なにこれぇ」
眼の前の光景につい間抜けな感想を漏らす。花火だとか火薬だとか、そういう次元の問題じゃない。とにかく平々凡々な筈のこの街に似つかわしくない地獄の光景。
「くっ、なんて威力だ……!」
「めっちゃ引くわ」
こわいわこんなもん人に向けるものじゃないだろ。
「さすがパパの魔法……勇者なんて相手じゃない」
とにかく頭を巡るのは山のような疑問符。俺の体に何が起きたかとか君は誰とかここの工事いくらになるだろとか、重要度に関わらない雑事の数々。それを一瞬で理解する魔法は多分ないから、彼女に声をかけるしかない。
「あの、ちょっと説明とかもらっても」
「みんな、悔しいけど……ここは引こう」
立ち去る勇者達だったが、占い師も深追いはしなかった。そうだそれでいいこれで全部解決したぞパンツはどこかへ買いに行こう。
「まあ、初めてにしては上出来の部類」
「褒めてくれるのは嬉しいけど」
彼女は笑う。俺は笑えない。やっぱり頭が追いつかない。
「何が何だか、俺には……」
そこで記憶が途切れる。急激な疲労感が強制的に睡眠を取らせる。整備途中の頭が合理的な結論を下す。
これは夢だ。タチの悪い悪夢だと。
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