第105話 下野国府庁付近の戦い
「敵の人員の配置や、軍の形態なんかも把握していないか? たとえば、幾つに軍を分けているとか、誰がどの軍を指揮しているだとか。巻き込まれた農民兵にはなるべく危害を加えずに伯父達に近付きたいんだ」
「形態? 形態つっても、二千三百の兵がまるで大蛇の如く、長い長~い列を成して進軍して来るだけだぜ」
「力を分散させたりはしていないのか?」
「あぁ。言ったろ。向こうは数で圧倒してるから油断してるって。将門が気にしてるような、んな手のこんだ策を練ってる様子はなかった。単純に、お前達の背後をとって、後は数で勝負! ってな感じだな」
「……そうか、そうなのか。大蛇の如く……か。それならば、意外と簡単に伯父上達に近づけるかもしれないな」
「? 何か良い案でもあるの、兄貴?」
それまで静かに玄明の話を訊いていた四郎が、横から口を挟んだ。
「ある事はある。だが、些か卑怯な作戦ではあるがな……」
「卑怯で気が引ける?」
四郎に図星をつかれて、小次郎は無言で苦笑いを浮かべる。
「あのさ兄貴、考えてもみてよ。背後を狙うって時点で伯父貴達も十分卑怯だ。それになにより、農繁期に戦をしかけてくる事自体が卑怯な事だって忘れてる? 先に卑怯な事をしたのは伯父貴達だ。そんな奴等に卑怯だなんだと気を使ってやる必要なんてないさ」
「……あぁ、そうだな」
力なく答える小次郎に、四郎は小さく溜め息をつく。
「とにかく、勝つ為に手段なんか選んでる場合じゃないよ。卑怯でもなんでも、可能性があるなら試してみようぜ兄貴」
「……あぁ、分かってる。分かっているさ……」
伯父と戦う事を頭では納得していても、やはり気持ちではまだどこか納得しきれていない様子の小次郎。
だが覚悟を決めたのか、ゆっくりと、躊躇い気味に、皆に作戦を説明して行く。
その姿を一歩引いた後ろから、秋成は静かに見守っていた。
――『あやつの心はまだ迷ってる。伯父に刃を向ける事を迷ってる』
――『小次郎にもう二度と同じ後悔はさせたくない。後悔の残る選択だけはさせたくない』
千紗の思いを胸に抱いて――
◆◆◆
小次郎の作戦を受け、小次郎軍の兵士達は
玄明の集めた情報から、敵軍の通るだろう道筋の大方を知り得た小次郎は、自身の兵を隠しながら待ち伏せできる絶好の場所として、草が生い茂るこの場所を選んだ。
茂みの間を通る一本の獣道を間に挟んで、小次郎が率いる50程の兵と、四郎が率いる50程の兵を二手に別けて配置する。
実は小次郎が草原地帯のこの場所を選んだ事にはもう1つ理由があって――
農民達が大事に育てる
伸び放題の草むらに身を潜め、敵を待つ事数刻後、未の刻(およそ午後2時頃)になって、ようやく待ちに待った良兼軍の“頭”部分が小次郎達の前に姿を現す。
「はぁ。どうして俺達が戦に駆り出されなきゃいけないんだ。全く、迷惑な話だぜ」
「馬鹿おまえ。今の言葉がもし良兼様や良正様のお耳に入ったらお前殺されるぞ」
「けどよぉ……」
「仕方ねぇだろ。良兼様は
「それは分かってるけどよぉ……」
「黙って従うしかねぇんだ。もし逆らって、今より更に年貢の取り立てが厳しくなってみろ。おいら達は生きていかれねぇ。力のないおいら達がこの板東で生きて行く為には、力を持つ人に黙って従うしか道はねぇんだ」
「道、ねぇ。どっちに転んでも、結局俺達に生きる道なんてない気もするけどな」
「そんな事は……」
「だってそうだろ。この戦で俺達の土地は荒らされる。農繁期に人手も奪われて……良兼様が戦に勝とうが負けようが、俺達農民からは犠牲しか出やしないんだ。そんな俺達に生きる道なんて……」
「…………」
「全く迷惑な話だぜ、本当に」
小次郎達の目前を通過した行く敵の足軽兵士達の間からは、そんな不満の声が漏れ聞こえた。
彼等の声を、待ち伏せていた茂みの陰から聞いていた小次郎は、ぽつりと漏らす。
「これは、思っていた以上に敵の士気が低いな」
「そうですね」
彼等に同情しているのか、なんとも複雑な表情を浮かべ、彼等の姿を見送る小次郎に、隣にはいた秋成もまた短く同意を示した。
やっと敵が姿を現したと言うのに、未だ動く気配を見せない小次郎。ただじっと茂みに隠れ、息を潜め続ける。
何故ならば、これも小次郎の作戦の1つであり、今一度、自身が立てた作戦を兵士達と確認する。
「良いかみんな、今一度言っておくが足軽兵には手を出すな。俺達が狙うのはあくまで敵の心臓部だけだ」
「「「はい、小次郎様」」」
「俺が合図するまで絶対に動くな。俺達の存在を敵に気付かれるわけにはいかないからな」
「「「はい、小次郎様」」」
小次郎軍の兵達も総大将である小次郎の作戦を十分理解しているようで、素直な返事が返ってきた。
兵士達の頼もしい返事に、満足気に頷いた小次郎は再び敵軍へと視線を戻した。
「玄明の話では確か良兼伯父上も、それに太郎とその弟も、皆まとまって軍の中腹部にいると言っていたはず。となると、この大蛇の腹がここを通るのはまだまだ時間がかかりそうだ」
二千三百にもなる大部隊が、狭い獣道をたったの二列で進んで行く様子に、小次郎はそう言葉を漏らした。
「頭と尻尾。危険な場所を軽装の足軽兵達に守らせて、自分は安全な真ん中に身を置く。確かに玄明の言っていた通りのようだな」
目の前を歩いて行く、身を守りそうな鎧も兜も何も身に付けていない足軽兵達。手に持つ武器は鍬や鋤。戦に赴くにしてはとても頼りない格好の彼等を見つめながら、小次郎は再びそう小さく呟いた。
その瞳には怒っているような、悲しんでいるような、哀れんでいるような、何とも言えない表情を滲ませていた。
__________
●
現在の千葉県北部と茨城県西部を主たる領域とする旧国名。
●
現在の栃木県にほぼ一致す領域の旧国名
●
現在の千葉県中部にあたる領域の旧国名。
また
●未の刻
現在の午前1〜3時の間を指す。
旧国名ばかりで分かりにくいかと思うので、それぞれの領地を整理すると……
小次郎と貞盛と良正は下総国にそれぞれ領地を待っています。つまり、今の千葉県北部から茨城県あたり。
良兼は、上総国に領地を持っています。現在の千葉県中部。
そして、今回の戦は、良兼、良正、貞盛は、茨城で合流して栃木を目指し、そこから再び南に下って小次郎の領地、豊田を目指しています。
因みに小次郎の領地、豊田郡は、現在の茨城県の常総市、下妻市、結城郡八千代町のそれぞれ一部です。
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