第93話 賑やかな宴②
「チビ助、いるか?入るぞ」
大広間を出て、小次郎屋敷の一番奥にある部屋の前までやって来た千紗は、御簾で仕切られた部屋の中へ向かって、そう声を掛けた。
千紗の問い掛けに返事はなく、部屋の中はしんと静まり返っている。
明かりも灯されぬまま真っ暗な闇だけが広がっていた。
だが千紗は、返事がないのも構わずに、勝手に御簾を上げ、一歩部屋へと入って行く。手燭に灯る明かりを部屋の奥へと突き出しながら再び部屋の住人の愛称を呼んだ。
「チビ助、どこにいる?」
その時、まるで千紗の声に反応したかのように"ピカッ"と眩しい程の稲光が一瞬、部屋を明るく照らした。
光からほんの数秒程遅れて雷の怒号が部屋中に響き渡る。
「ひゃっ」
その雷の怒号の後には、今にも泣き出しそうな叫び声が上がって――
「姫様っ!!」
千紗の後をついてきていた秋成は、慌てて部屋へと駆け込んだ。
秋成が駆け込んだ時、千紗はと言えば別段怯えた様子はなく、手燭を片手に秋成の方を振り返る。
「……姫様? 大丈夫……ですか?」
「心配するな秋成。今の悲鳴は私ではない。そこの蓑虫だ」
そう言って、千紗は部屋の奥を指差した。
千紗が指さす先――秋成の位置からは屏風が死角となって見えにくかったが、部屋の片隅に何やら小さく丸まった塊があった。
近付いてよくよく見てみれば、掛布に包まりながら小刻みに震える、確かに蓑虫の如き朱雀帝の姿が。
グルグル巻きの掛布を千紗が勢いよく剥ぎ取ると、朱雀帝は涙でぐちゃぐちゃの顔で千紗を見上げた。
「あ……あ……」
「やはり泣いていたな」
「……」
「お主、雷が怖いのであろう。道真公は雷を司る怨霊と恐れられているからな」
「…………」
「だが、私も同じだ。私も雷は苦手だ」
「……え?」
「こんな雷の夜だった。私の母上が亡くなったのは」
「え? 亡くなった……?」
「そうだ。我が弟、高志が生まれたのと引き換えにな、私の母上はこの世を去った。それが丁度今日のような嵐の夜だった。だから私はずっと雷が怖かった。私の大切な人達を、また奪って行くんじゃないかと、雷の日はいつもビクビク怯えていた」
「……」
「でもな、今は怖くないぞ。だってな、怖いなんて思う暇もない程、周りが賑やかで、騒がしいからな」
「……」
「今の私は一人じゃない。だからもう怖くない。お主も一人で我慢しようとするから怖いのだ。皆と共にいればきっと恐くなくなる」
「……千紗……姫様」
「ほら、いつまでもこんな所に一人で綴じ籠もっていないで、共に皆の元へ参ろうぞ」
そう言って、朱雀帝に向かって手を差し出してみせる千紗。
その手を見つめながら、朱雀帝は涙でグシャグシャの顔で千紗の差し出す手と千紗の顔を交互に見比べた。
千紗の手を取るべきか否か、暫く考えた後朱雀帝は、恐る恐る千紗の手に触れる。
「よし、掴まえた!」
その瞬間、千紗は無邪気に微笑みながら朱雀帝の手を引っ張り立ち上がらせると、強引に彼の手を引き真っ暗な部屋から彼を外へと連れ出した。
不意に重なる。
初めて出会った日の彼女の姿と。
――『お主、そんな狭い世界に綴じ込められて息苦しくはないのか?外へ出たいと思わぬか?外の世界は良いぞ。ここから見える空だけ見ても、とても広く美しい。ほら、お主もこっちに来て見てみよ』
キラキラと輝いて眩しい人。その輝きで、いつも暗闇を照らし導いてくれる。
(―――あぁ、やっぱり……自分はこの方が好きだ。たとえ道真と血の繋がりがあろうとも……千紗様姫様は千紗姫様で、私が初めて恋をした、特別な方。他の何者にも代えられない。たとえどんな事があったとしても、一度繋がったこの手は、もう二度と離したくない――)
朱雀帝は、前を行く千紗の後ろ姿を見つめながら、そう強く思った。
「まぁまぁまぁ、寛明様。お待ちしておりました。どうぞこちらに」
千紗が連れて来た朱雀帝に、桔梗が嬉しそうに彼の席を用意してくれる。
「よぉチビっ子、や~っと部屋から出てきたかぁ。さぁさぁお前も飲め飲め~」
朱雀帝の登場に、四郎もまた酒を持ってやって来た。
「お前、こんな子供にまで酒を飲ませるきか?」
千紗の時同様、四郎から酒を奪った秋成は、ぐいぐいと一気にその酒を飲み干す。
「あ~!! ま~た邪魔しやがったな、あっき~め! よし、こうなったら邪魔されなくなるまであんたに飲ませて、酔い潰してやるぜ。いざ、勝負だあっき~!!」
「はぁ? 何でそうなるんだ」
「いいから、飲め飲め~」
四郎に無理矢理酒をつがれて、面倒臭そうな秋成だったが、追い払うのも面倒かと、すすめられるがままに酒を飲み干す。
その後何故か向かい合って座らされ、互いに酒の飲みあい、注ぎあいを始めた二人。
賑やかな様子に誘われて、その後二人の周りにはぞろぞろと人が集まって来た。
「お、何か楽しそうな事やってるな。よし四郎、俺にも酒をついでくれ。俺とも飲み比べで勝負だ。」
「あ、兄上まで……」
「秋成お前も、知らぬ間に酒が飲めるようになってたんな。酔っ払った義親父殿や武士団仲間に絡まれて、いつも逃げ回ってた奴が」
「誰のせいだと思ってるんですか。兄上がいなくなったせいで、義父上から酒の相手を散々させられましてね」
そこに大分酔いの回った小次郎までもが加わって。
酔って騒がしい連中に囲まれ圧倒されながらも、その賑やかな輪に加わった朱雀帝の顔には、久しぶりの笑顔が浮かんでいた。
__________
手で持ち歩ける小さな
また燭台とは、ろうそくを立てて点火する台で、もっぱら室内の照明や寝室の常夜灯として使用された。
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