第84話 初恋物語

 ――14年前。太郎13歳、杏子姫12歳、小次郎は11歳と、3人がまだ幼かった頃のある日――


「誰? そこにいるのは……誰?」

「やばい、見つかったぞ太郎。だから俺は止めようと……」

「バカ小次郎、お前が動くから悪いんだろう」

「無礼者! コソコソしてないで出て来なさい!」


 上総の地で、たいらの名と肩を並べ力を振るっていた豪族、源護みなもとのまもる。その末娘の杏子姫を一目見ようと、太郎と小次郎の二人はこっそりと源護の屋敷へと忍び込んでいた。


「貴方達は何者ですか?」

「あの、えっと……始めまして。私は、平国香の子。平太郎貞盛と申します。こっちは、従兄弟の小次郎将門」

たいら?」


 太郎の口から出された“平”の名に、杏子姫の頭には父から言い聞かされて来た、ある言葉が浮かんだ。


――『杏子、お前はいずれ源家の更なる繁栄の為に、この坂東の地で我が源と供に名を馳せる平一門から婿をとるつもりだ。よくよく心に止めておけ』


 物心ついた頃から、嫌と言う程聞かされて来た呪縛のような言葉。

 その言葉通り、杏子の二人の姉達も最近、それぞれにの殿方の元へと嫁いで行ったばかり。

 今目の前にいる、平を名乗る少年達のどちらかが、もしかして将来自分の夫となる人物――だったりするのだろうか?

 まだ見えぬ将来みらいをぼんやり考えながら、杏子は二人を見つめていた。


「それで、平家の貴方達が何故我が屋敷に?」

「それは……えっと……一目貴方様のお姿を拝見したいと思いまして」


 杏子の問いに貞盛が答える。


「私の?」

「はい。先日、我が父の元に、我が伯父平良兼と良正が源家の姫様を連れ、結婚の報告に参りました。それはそれは美しい姫様方で、子供ながらに私は思わずみ見惚れてしまいました」

「……はぁ、そうですか。それで? 貴方たちが源の屋敷に忍び込んだ事と今の話がどう関係あると?」

「はい。その時お二人の姫君から聞いたのです。源家にはもう一人末の姫君がいらして、しかも歳は私や小次郎と近いのだと。末姫様もきっと、姉上様達に負けず劣らずお美しい方に違いない! そう思ったら私達の好奇心をかき立てられ、一目貴方様の姿を拝見できないかと――」

「忍び込んだわけですね」

「はい。大変失礼な事をしたと、今は深く反省しております。ですが……ですがどうかお見逃しくださいませんか?」


 太郎の懇願に、小さな溜め息を吐く杏子姫。


「事情は理解しました。……で?」

「?? 、とは?」

「私を見た感想は?」

「そ、それはもう想像通りの……いや、想像以上の美しさに思わず見惚れてしまいました。つい隠れる事も忘れる程に。なぁ、小次郎!」

「んぁ? あ、あぁ」


 同意を求める太郎に脇を小突かれて、今まさに杏子姫の美しさに見惚れていたらしい小次郎は、はっと我に返る。

 杏子が小次郎へと視線を向けると、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

 小次郎の初な反応が何だか可愛らしく思えて、杏子はクスリと笑みを溢した。


「そうですか。お話は分かりました。では貴方達二人、私と友になる事を許可しましょう。またいつでも屋敷に遊びに来ると良いですよ。父上や屋敷の者達には私から話しておきますから、今度は正面から堂々と入って来て下さいませね」

「え?! 宜しいのですか?」

「はい。私は歳の近しい者と触れ合う機会が殆どないので、貴方たちとお友達になれたら嬉しく思います」


 この、杏子の誘いをきっかけに、太郎と小次郎は頻繁に源の屋敷を訪ね来るようになった。

杏子の父、護もこれ幸いと二人の出入りを歓迎した。


『杏子、よくやった。これで平氏との絆も更に強固な物となろう。あの二人のどちらかを将来のお前の夫としよう。さぁ杏子、お前の気に入った方を上手く手玉に取るのだぞ』

『手玉にとるだなんてお父様、二人はただの友人で……』


 二人との出会いによって、“平氏に嫁ぐ”と言う漠然としていた将来みらいが、少しずつ現実味を帯びてきて、二人に会う回数を重ねる度に、杏子は強く二人を意識するようになって行った。



__________

源護みなもとのまもる

平安時代中期の武士。詳しい素性は不明だが嵯峨源氏の流れと推測されている。

(清和源氏の流れである歴史上有名な源頼朝とはまた別の源姓になります)

常陸国筑波山西麓(現在の茨城県つくば市)に広大な私営田を有する勢力を持っていたといわれ、真壁を本拠にしていたと伝わる。

因みに真壁郡は貞盛の父、国香の領土でもあったので、源護と平国香はご近所同士だったと思われます。

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