第82話 貞盛帰還

「さて、面倒な事になった。せっかく帝からの信頼を掴みかけていたと言うのに、とんだ邪魔が入ったものだ」


 馬に揺られながら、小次郎が治める下総国豊田郡から、貞盛の父が治めていた常陸国真壁郡を目指す道中、貞盛は退屈な一人旅にグチグチと愚痴をこぼしていた。


「このような田舎の土地になど興味はない。私が欲しているのは京での出世だ。欲しくもない土地の争いに巻き込まれて、出世街道から外れるなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。何故このような面倒事にこの私が巻き込まれねばならぬのだ、まったく。太政大臣 藤原忠平様とその一の姫、はたまた帝とお近づきになれる絶好の機会と思うて付き人に志願したが……失敗だったかのぉ。私は一体いつになったら京へ戻れるのだろう? 私がいるべき場所は雅な京こそ相応しい。このような田舎……どうなろうと知ったことではないわ」


 背後に人の視線があるとも知らず、グチグチと延々愚痴をこぼし続ける貞盛。

  



「あれが太郎貞盛か? さっきから愚痴ばかり口にして。あんな男を将門は信じたがっていたのか?」


 小次郎より貞盛の監視を頼まれていた玄明は、馬で前を歩く貞盛の想像以上のクズ男ぶりに、うんざりした顔でそう呟いた。


――『まだ奴が裏切るとは決まってない!』

――『…………信じたい。あいつは、俺の従兄弟で、俺の友だ。友を疑う事など、したくはない』

――『だが、あいつの性格は俺が一番良く知っている。あいつは、お調子者で、意志が弱くて……風が吹けばすぐどこかへ飛ばされる』


 小次郎の言葉の数々を思い出しながら、玄明は一人納得した。


「確かに……信じたくてもあれじゃあ信じきれない。将門が言った、風が吹けばすぐどこかへ飛ばされる、あの言葉の意味も頷ける。これは見届けるべくもないか――」


 ついには足を止める玄明。

 遣り甲斐のない仕事に飽きて、そのままとんずらする事を考え踵を返すも、何故か見張りを頼まれた時に見た小次郎の苦痛に歪んだ顔が頭にちらつく。

 

「信じてた従兄弟に裏切られて……俺様まで裏切っちまったら……あいつは悲しむかな……」


――『その時は俺に、見る目がなかっただけだ』


 小次郎から受けた言葉を思い出し、ぽりぽりと頭をかく玄明。

 少なからず小次郎は玄明に何かしら期待をして、仕事を頼んで来たのであろうから、一度寄せられた信頼を裏切ると言うのはやはり、何とも後味の悪いものだなと玄明は思った。


「…………仕方ねぇ。俺様一人くらいはちゃんと、あいつの信頼に応えてやらないとな。あぁ~俺様って相変わらず情に熱い、良い男!」


 自画自賛しながら玄明は、再び踵を返し貞盛を追うべく歩みを進めはじめた。



 それから数刻の後――

 豊田を旅立ったその日の夕方、貞盛はついに己が故郷へと帰り着いた。

 長年不在だった彼の突然の帰郷に、屋敷の者達は驚き仰天した。


「兄じゃ?!本当に兄じゃなのか??!」

「何だ繁盛、その亡霊でも見たような驚きようは。私が私でなく誰に見えると言うのだ?」


 中でも一際驚いていたのは、貞盛の四つ年下の弟、繁盛しげもり

 弟からの何とも間抜けな質問に、貞盛は呆れた顔で数年ぶりとなる会話を交わした。


「いや、だってさ、親父が死んでからずっと帰ってくるようお願いしてたのに、何の音沙汰もなかったんだ。そんな兄者が何の連絡もなしに突然帰って来たら、そりゃ普通驚くだろ!?」

「ふん。帰ってくる気はなかったのだがな」

「またそんな事言って。でも帰って来てくれた。ありがとう兄者! そうだ、母上と義姉上にも早く知らせてやらなきゃな。二人もずっと、兄者の帰りを信じて待ってたんだ。母上、義姉上、兄者が、兄じゃが帰って来ましたよ!!」


 そう叫びながら、バタバタと嵐のように去って行った繁盛。


「相変わらず騒々しい奴だ」


 そんな弟の後ろ姿に、深い深い溜め息を吐きながら貞盛は、下女が用意した桶で汚れた足を洗った。

 足を拭き終わる頃には、繁盛の慌ただしい足音が、新たにもう二人分の足音を加え貞盛の元へと戻ってくる。


「太郎っ!」


 甲高い声で名を呼ばれ、振り返るとそこには、ふっくらと肉付きの良い年配の女性が、肩を上下に激しく揺らしながら、貞盛を真っ直ぐに見つめ立っていた。

 貞盛は立ち上がると、ゆっくりと女性の元へ歩みを進め、微笑んだ。


「ご無沙汰しております、母上」

「太郎? 本当に太郎なのですか?」

「母上も、開口一番繁盛と同じ事をおっしゃるのですね。はい、太郎貞盛、只今無事に帰って参りました」

「……太郎……」


 目にうっすらと涙を浮かべながら初老の女性、貞盛の母親は久しぶりに再会した我が子を愛おしそうに抱き締める。


「太郎様、お帰りなさいませ」


 そしてもう一人。年老いた皺だらけの母とは対称的に、白く透き通った肌の美しい女が、一歩後ろに退いた位置から控え目に声をかけてきた。

 肌だけではなく、目鼻立ちもはっきりとして、整った顔立をしたその女は、息をのむ程に美しい。

 年の頃は、貞盛とそう変わらないだろうこの女は、貞盛の妻。名を杏子きょうこと言う。


「お帰りになられたと言う事は、ついに義父上様の仇を打つ決意をなされたのですね、太郎様」


 京子のその発言を、太郎は馬鹿にしたように鼻で笑う。


「仇? 何故? 何故この私が小次郎と争わねばならぬのです?」

「何故とは? それはもちろん、小次郎様が貴方様のお父上を殺した憎むべき仇だからでございましょう。それに義父上様だけではありません。私の二人の兄も、先の戦において小次郎様に殺されました。私はいつか太郎様が彼等の仇をうって下さるだろうと信じ、貴方様の帰りを待っていたのですよ」

「小次郎が私の仇……ね。さて、本当に父上や貴方の兄上が死んだのは、小次郎のせいなのでしょうか?」


 冷淡な笑みを浮かべながら貞盛は、母の腕を抜け出し、杏子のもとへと近付いて行く。

 そして、彼女にしか聞こえない小さな声でそっと耳打ちした。


「貴女方、源家の姉妹がそうなるように仕向けたからではないですか、女狐さん?」


 貞盛の挑発に、杏子の口元が不気味に歪む。貞盛に負けない程に冷たく微笑んだ。

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