第6話 そうだ、結婚しよう

「どうして人は変わってしまうのかの?」


 市へと向かう牛車の中、ふと千紗がそんな言葉を漏らす。用心棒の為、千紗の乗る牛車のすぐ横を歩いていた秋成は、ふいに漏れ聞こえた言葉に牛車へと視線を向けた。

 すると、牛車の窓が開き顔を出す千紗。


「昔は妾と小次郎とお前と、三人でよく遊んだのにな。いつの間にか小次郎は妾の護衛より京の護衛を優先させるようになってしまった」

「……」

「今でさえ、昔に比べて変わりつつあると言うのに、裳着などしてしまったら……お前達との関係はどうなってしまうのかの」


 普段、あまり弱音を吐かない千紗が漏らした弱音。何か答るべきかと言葉を探すも、秋成自身答えの見つからないその問いに、気の利いた言葉が出てこない。


「秋成も、父上と一緒で妾の裳着を望むか? 妾がお前達と今までのように一緒にいられなくなっても良いと……」


そんなの、秋成だって今のままでいて欲しいと思っている。けれど、思った所でいつかは来てしまう現実。その現実が嫌だと駄々をこねる程子供でもないし、受け入れられる程大人でもない。

 結局答る事など出来るはずもなく、二人の間に長い沈黙が続いた。

 暫くの沈黙の後、助け船とばかりに供の者から声がかかった。


「姫様、市に着きましてございます」


 その言葉に千紗は視線を秋成から賑やかな市へと移した。


「おぉ!着いたか!」


 ぱぁっと目を輝かせ、一目散に牛車から飛び出し市へ向かって駆けて行く千紗。


「ひっ、姫!? おおおお待ち下さいッ!!」

「姫様~~、そんな、お一人で行かれては~~~」


 護衛としてついて来ていた武士団の者達、それから身の回りの世話係としてついて来た侍女達が、口々に千紗を呼び止める。

 秋成もまた、一人はしゃぎ、勝手に飛び出して行ってしまったお転婆娘の後を慌てて追いかけた。


「おい、千紗! 何勝手に飛び出してんだ。まだ皆の準備が終わってないだろ」

「よいよい。もう護衛も世話係もいらぬ。妾は一人で好き勝手に市を回るから、その間皆も自由に過ごしてくれて良いぞ」

「そうは行くか。んな勝手が許されるはずないだろう。そんな事したら、後で俺達が忠平様に怒られんだろ」


 秋成の必死の制止も聞かないで、一人どんどん行ってしまう千紗。


「おい、千紗! だから待てって!! 少しは言う事を聞けよな……って、千紗っ! 後ろ――――」


 その時、まるで秋成から千紗を隠すかのように我が儘姫の背後に忍び寄る怪しい人物の存在に気付いて、秋成は焦った様子で千紗を呼んだ。

 だが、秋成の声に振り返ったのは千紗ではなく、怪しい人影の方で――


 その人物は「しっ」と口元に人差し指をあててみせると、ニヤリと口角を吊り上げ悪戯に微笑んで見せた。

 その人物の見慣れた顔に、「あっ」と小さく声を漏らす秋成。


「こんな所で何をしてる? 千~紗~~」


 千紗の背後に迫った人影は、ぐわっっと勢い良く千紗の首根っこを掴むと、大声で千紗を脅し付ける。


「な、何をする、無礼者っ!?」


 突然背後から掛けられた声に、驚いた様子で声の主を見上げる千紗。


「小次郎っ!!お主こそ、こんな所で何をしておる?」


 見上げた先にいた予想外の人物に、千紗は目を丸くして驚いた。


「俺は仕事だ。仕事でここら一帯を見回っていたんだ。そしたらお前の姿を見つけたんだよ。お前がまた我が儘を言って、屋敷の皆を困らせている姿をな」

「我が儘とは失礼な。これは立派な世間勉強じゃ」

「世間勉強とは笑わせる。曲がりなりにも貴族の姫君が、供の者達を振り切って人混みをウロウロと。世間勉強の前に、世の中の一般教養を身に付けてから出直して来い。そんなんじゃ、いつまでたっても嫁の貰い手がないぞ」


 小次郎の言葉にカチンと来た千紗。負けじと小次郎へ反撃を開始する。


「バカにしおって! 心配しなくとも千紗にかて婚約者の一人や二人おるわ!」

「ほぉ、それは初耳。世の中にそんな物好きがいたとはな」

「物好きとは何じゃ! 千紗とて立派な一人の女子おなごじゃ!!」

「子供みたいに我が儘放題しては周囲を困らせているお前のどこが立派な女子だって? 悔しかったらさっさと裳着を済ませて男の一人や二人、本気で引っ掛けてみせてみろ」

「兄上!」


 小次郎の言葉に、思わず秋成が止めに入る。

今の千紗にその言葉は……

 当の千紗本人も、小次郎の言葉にピタリと言い返す事を止め、俯いている。

 だが、小次郎は止まらない。俯く千紗に向かって今度は真面目な様子で問いかけた。


「なぁ、千紗?どうして裳着をしないんだ? 俺や秋成のせいなのか?」

「小次郎、お主……父上に何か言われたのか?」

「………」


 千紗からの問いに言葉を濁す小次郎。思いがけず小次郎の口から出た言葉に、息を呑む秋成。小次郎からの答えを待つ千紗。三人の間に沈黙が起こった。


「姫様~。やっと、追いつきました~」


 そんな三人の元に、やっと準備を整え追いかけて来たお供のキヨが、ピリピリした空気を破るように息も絶え絶え声を掛けてきた。


「何やら仲良さげに言い争いをしていたご様子でしたが、お相手は小次郎殿でしたか。相変わらず仲の良い事で。まるで恋人同士の痴話喧嘩のようでございますね」

「「「………」」」


 ニコニコ笑顔でそんな事を言ってのけるキヨ。空気の読めない彼女の発言に三人の張りつめていた空気が今度は凍り付く。


「あれ? 私、何か変な事でも言いました?」

「……いや待て。その手があったか。そうじゃそうじゃ、よい事を思いついたぞ!」


 先程のキヨの発言に、急に一人何やら納得した様子の千紗が嬉しそうに声をあげる。


「お前の良い事は、嫌な予感しかしない!」


 楽しそうな千紗とは対照的に、うんざりした顔で突っ込みを入れる小次郎。

 だが、小次郎の言葉など全く気にした様子もなく、千紗はジリジリと小次郎との距離を詰め、こんな事を口にした。


「キヨ、お主良い事を申した! 小次郎、今キヨの申したように妾と夫婦になる気はないか? 今ここで、妾と夫婦の契りを結べ!」

「ちっ……千紗っ!?」


 千紗の突然の求婚に、顔を真っ赤に染めながら慌てた様子で小次郎に迫る千紗を止めにかかる秋成。


「あ~やっぱり、ろくな事じゃない!」


 頭を抱え込み呆れた声を上げながら、迫り来る千紗から逃げるべくジリジリと後ずさる小次郎。


「何を言うか、妾は真剣に申しておるのじゃ。今日千紗は、父上に婚約話を持ちかけられた。だが、見たことも話した事もないような者と婚約などしとうはない。千紗は今の小次郎と秋成、三人でいるこの時間が好きなのだ。だからこの時間を守る為にどうしたら良いか? キヨの申した通り、小次郎と夫婦となれば良いのじゃ! 夫婦ならば、裳着を済ませてしまったとしても会う事が出来るし、小次郎と義兄弟である秋成とも妾は兄弟となる。二人が妾の家族になれば、全ては丸く納まる! な、良い考えではないか。 さぁ小次郎、妾と夫婦の契りを交わすのじゃ!!」

「………っ!」


 思いつきとは言え小次郎に迫る千紗の姿に、秋成の顔は苦痛に歪んだ。

 千紗に迫られている当の本人、小次郎はと言うと……


「……にしろ………」

「? どうしたのじゃ小次郎? 今、何と申した?」

「いい加減にしろっ! 俺とお前が結婚なんて出来るわけないだろ! 我が儘を言うのも大概にしろ!」


 今までにない程の勢いで怒る小次郎に、千紗はビクっと体を震わせる。


「な、何故じゃ? 何故千紗と小次郎では結婚出来ぬのじゃ? 小次郎は千紗の事が嫌いなのか?」


 予想もしなかった小次郎の反応に驚き、怯えながらも必死に抵抗を示す千紗。そんな千紗の姿を見て小次郎はギュッと唇を噛み締めた。


「そうじゃない……。そうじゃなくて………」

「じゃあどうして」

「……身分が違いすぎるんだよ。俺なんかが千紗と釣り合うわけない……。分かるだろ、千紗……」

「分からない。分かりたくもない。どうしてみんな、身分身分って!」


 必死に自分の気持ちを伝えようとする千紗だが、小次郎にとっては


「千紗、頼むから……俺を困らせないでくれ」

「っ…………」


 迷惑でしかないと思い知らされる。千紗は込み上げてくる感情を必死に抑えようとするも終には耐えきれなくなって、突然にその場から逃げるように駆け出した。


「「千紗っっっ!」」


 小次郎と秋成、同時に叫んだ二人の声が重なる。

 だが、叫ぶ声は同時でも、先に千紗を追い掛けるべく動いたのは、小次郎ではなく秋成の方が早かった。

 出遅れた小次郎は、二人の後ろ姿を静かに見送りながらポツリと声を漏らした。


「あのバカ、人の気も知らないで………」

「小次郎様、追わなくて宜しいのですか?」


 不意に、姫の護衛としてついて来ていた武士団の仲間に尋ねられる。


「いいんだ。あの我が儘姫には少し、頭冷やしてもらわないと。俺は仕事に戻る。あいつの事は頼んだぞ」

「は、はい」



__________

牛車ぎっしゃ

ウシや水牛に牽引させる車のことで交通手段のひとつで、平安時代、貴族の一般的な乗り物であった。

移動のための機能性よりも使用者の権威を示すことが優先され、重厚な造りや華やかな装飾性が求められた。


いち

定期的に開かれ、物を売り買いする場所。平安時代、平安京の東と西で一つずつあり、東西市と称され400年間続きました。

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