1,7本目——向日葵
遠ざかる空と、接近してくる地が視界を通して伝わってくる。空の方向に、恍惚の対象はある。危機を察し、高速で動く脳が緩慢な世界を作り出している。
彼のことを知ったのは三ヶ月前の四月のことだ。面と向かって知り合ったのではなく、彼の著作物——正確を期すなら小説を読んだことがきっかけだった。学校の廊下に落ちていた原稿用紙の束、文字の羅列と、そこに交じった『夜中澪』という名。勝手に読むのは悪いことだと、『良い子』である向日葵は分かっていたが、手と目が止まらなかった。部活を纏め、気丈に明るく振る舞い、成績をキープする。光ともいえる自分の生活からは想像もできない、陰の世界がそこにはあった。確実に自分にはできない物の見方をできる、そして自分の欠点をいくらでも許容してくれそうな人物だと、向日葵は夜中澪のことを思った。後輩だと知り、様子を伺い始めたときから、興味から恋に変わっていることに気が付いた。だが彼はどこか他人を寄せ付けない所があって、目立ってしまう自分が近づけば、遠ざけられるのではと思い、様子を伺うことしかできなかった。
けれど、彼は向日葵を助けるために、学校の屋上から落下する向日葵を助けるために、手を伸ばしていた。どんな形であれ、彼が自分のために動いてくれているのならそれだけで十分だった。
「大空先輩!」
右手に痛みが走る。彼の左手が向日葵の右手をつかんでいた。
「ありがとう。夜中君、それだけで十分だっ!」
これ以上の喜びはもうないし、これ以上の苦労を彼にかけることはできない。ペンを握る、もしくはキーボードを打鍵するその指に何かあったら、どうするのだ。
そもそも屋上でフラフラしていた向日葵が悪いのだから、その影響を夜中受ける必要はない。
「何言ってるんですか、先輩、僕は、僕は……!」
無理やり手を振り解いて、向日葵は自身の体をまた自由落下に委ねた。落ちてしまった時点で、自分の死は確定していたようなものなのだ。1+1=2であるのと同じように変えようのない不変の事実になってしまったのだ。
一瞬だが触れ合ったその感触を忘れないように自分の左手を胸に抱いた。
また体感時間が遅くなってゆく、そして地に頭蓋が接触した瞬間に、時間が逆行するような、重力が反転したような意識の流れを向日葵は感じた。
落下し、手を握り、落下し、風に煽られ、屋上に登り、部活のメンバーと別れ、ラケットを振り……
視界が白に染まった。
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