〖短編〗エンドロールのその後で

YURitoIKA

エンドロールのその後で

 突然ですが問題です。

 今からわたしは何をするでしょーか?





 A・自殺。





 わたしは今から自殺する。校舎の屋上から飛び降り、その勢いのまま地獄の釜へとオリンピック金メダル級の飛び込みをする。


 スタート位置に着きました伊妻いづま ことり選手。夕焼けの下。だらしなく伸びきった黒の前髪を風に靡かせています。


「はぁ、ふぅ」


 足が震えています。フェンスを乗り越えるまでの調子はどこにいったのでしょうか。


 ……まぁ、いつも教室の隅で震えているのですから、普段とあまり変わりませんね。


「い、ぃい、」


 一歩踏み出しました。さぁ、あと少しです。ほら死ね。今死ね! さっさと死ね!


「なにしてるの?」

「へやぃ!?」


 背後からの声に驚いて転げ落ちそうになる。わたしの金メダルをどうしてくれる。

 声の主の方へ振り返ると、フェンスの向こうに私と同じ風岡中学校の生徒がいた。


「わたひ、わたしは今から死ぬんです! 自殺るんですぅッ!」

「だよねぇ」


 だよねぇ……? わたしの想像の斜め八十二度上をいく返事だ。もっとあるだろ。『え!』とか『ゑ!』とか『A!』とか。


「これって先着順?」

「はい?」

「だから、飛び降り自殺にも順番があるよねって。うん。じゃ、お先にどーぞ」

「お先にって……」


「あなたが飛んだら、私も飛ぶからさ」


▶▶▶


 この物語を再生する前にまず語らなければいけないのは、わたしの自殺の邪魔をした彼女についてだろう。

 彼女は風岡中学校二年八組、出席番号二番。荒咲あらさき キサ。茶髪ショートで整った顔立ちの女の子だ。いつも明るく元気で、クラスを照らす太陽といえる。


 ──しかし。


 太陽は今、その命を絶とうとしていた。


 ──つまり。


 わたしは今、太陽系を救おうとしている。その為に、


「あっ、あの……珈琲です……」


 珈琲を入れていた。

 体育館入り口横の通路を抜けた先にある使われなくなった技術室。文芸部の部室である。部員はわたし一名。

 珈琲の入ったカップを彼女の前に置くと、眩い笑顔でカウンターを仕掛けてくる。わたしも空気を読んで笑顔を返すが、その顔はふやけたフライドポテトだった。


「ありがと!」

「あっ、砂糖とか……入ります?」

「ううん。私ブラック派なの」


 意外と渋いお方だった。


「それで……どうして自殺なんか、しよう……って、してたんですか?」

「いつも明るそうなキサさんがなんで~? って思ってるんでしょ」


 思ってます。


「正直疲れるんだよ。みんなとの関係って。いつも笑顔じゃないといけないし、好きなものは合わせないといけないし、会話は途切れさせちゃいけないし、全部ぜんぶめんどくさい。だから嫌になっちゃって」

「軽い……」


 失言だ。


「あっ、今のはちがっ、ぅくてそうじゃなくて、です、いいと思います!」


 遺言だ。


「むむ……。ふーん、じゃあことりちゃんはどうして自殺るのさ」


 名前覚えられてる……。こわ……。


「あっ、わたしは……。クラスの輪に入れないコミュ障でぼっちでっ、でも、家族には学校楽しいって嘘ばっかついて……。このまま一生同じ生活を続けていくなら、死んだ方がマシかなって…………」

「軽い……」


 失敬な。


「そんなのちょちょいのちょいでどうにかなるじゃん」


 早計な。


「まぁ、ちょちょいの部分がどうにかならないから、」


「「人生辛いのよねぇんですぅ」」


「…………」

「…………」


 両者吹き出してしまった。


「私、心から笑ったの久々だよ」

「わたしも、です……」

「似た者同士だね。私達」

「です、ね……」


 教室の窓から差し込む夕日の黄金。わたし達を紅く染め上げ、時間の流れを緩やかにしていく。

 数秒の沈黙は何倍も長く感じた。自分の人生を変える決定的な〝何か〟がやって来るのだと予感した。

 『今』に流れる呼吸音や心臓の鼓動オトは、一生忘れることは無いのだろうと思った。


「私達で、クラブを始めよう」

「へ?」

「死にたい者達による死に場所探し。日常への愚痴をぶちまける、人生のロスタイム。どう? ロマンでしょ?」


 キサさんは立ち上がり、私に手を差し出した。──何度も見たことのある光景だ。




『あら。ことりちゃんペアいないの? なら先生と組みましょうね』


『うわ残ったのことりかぁ……。ま、いいや。一緒にがんばろ!』


『ことりちゃん。学校楽しいんでしょ? どうしてそんな顔してるの?』




 でも。


 その手は吊り下げられた、空の〝救い〟ではなかった。差し伸べられた、対等な相手に対する〝誓い〟だった。

 わたしは立ち上がり、その手を握った。汗でぐしょぐしょになったわたしの手は、史上最悪な感触だろう。

 しかし、彼女は嫌な顔をすることなく、寧ろ笑顔で強く握り返してきた。


「決まりだね。じゃあ早速はじめよっか。放課後自殺クラブの活動を!」


▶▶▶


 わたしが金メダルを逃がしてから一週間が経った。わたし達は毎日放課後、文芸部の部室に集まっている。

 キサちゃんは友達との約束を断ってから部室にやって来るので、先に来たわたしがブラックの珈琲を用意しておくのが通例だった。


「ね、映画で一番好きなシーンってある?」


 キサちゃんは程よく冷めた珈琲を一口呷る。わたしは自分で入れた麦茶に視線を落としつつ答える。まだ目を合わせられない。


「好きなシーン、ですか。えーと、煙草を吸うシーン……、とかでしょうか」

「たばこ?」

「あっ、はい。煙草を吸ってるシーンって、味があるというか、かっこいいというか」

「わかるなぁ。ライターを取り出してから煙草に火をつける動作とかもさ、なーんか見惚れちゃうのよねぇ」

「で、ですよね」


 私はあまり会話は得意ではないので、コップに入った冷えた麦茶で口の中を潤し、深呼吸をしてから話し始めた。


「キサ、ちゃんは……どうですか?」


 ちゃん付けしないとお茶漬けにしちゃうからね! と忠告されたので守っている。


「私はエンドロール。内容が微妙でも、エンドロールの入り方が良いと許しちゃうの」

「わたしもっ、わかります……」

「ほんとにー?」


 キサちゃんの目が細くなる。わたしの目はスーパーボールのように泳いでいる。


「ほんっ、とです。エンドロール中に立つ人、滅殺というか……」

「撲殺だよねっ!」


 生々しい。


「やっぱり私達、似た者同士だね」

「はい……」


 今顔を上げれば、きっと煌めく笑顔が待ち構えているはずだ。だからわたしは顔を上げることができない。

 昔っから人の笑顔は嫌いだった。その光が眩しければ眩しいほど、わたしの醜い影が色濃くなるから。

 ……彼女の笑顔ももちろん苦手だけど、好きになってみたい。……と、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、思った。


 ──ゆっくり、顔を上げる。


「こーとーりーちゃん」


 目と鼻の先にキサちゃんの顔。


「うへぁッ」


 ごってん、という鈍い音と共にわたしの視界がひっくり返る。天井と目が合うが返事は無い。わたしは驚きのあまり椅子ごと倒れたのだろう。つくづく無様だ。


「大丈夫っ? ことりちゃん」

「いっ、生きて……まふ」


 右手を上げる。

 キサちゃんはその手を取り、こちらの顔をを覗き込む。……と思えば彼女の視線は翻ったわたしのスカートの方へ。


「白なんだ、パンツ」

「……いつ死んでも、いいように、です」


▶▶▶


 金メダルを逃して一ヶ月後。放課後自殺クラブの活動は順調に進んでいた。


「どんなに微妙な内容の人生でも、エンドロールが美しければ報われると思うの」


 今日の死に場所候補は河川敷だった。夕日、川、大きな橋。風に揺らぐ広大な緑。うむ、雰囲気はあるが……如何せん子供達の声が煩い。あ、ボール川に落としてる。


「ことりちゃんはさ、自分のエンドロールは、どんな曲が流れて欲しい?」

「曲……ですか。えと、ボカロとか」

「いいねボカロ。私はねー、エリック・サティの『ジムノペティ』かな」


 有名なピアノ独奏曲だ。


「クラシック……意外です」

「でっしょぉ。聴いてみる?」

「え?」


 キサちゃんはポケットから有線イヤフォンを取り出すと、スマホに挿入し、その片側をこちらに差し出した。


「ちょ、ゃっ、汚いですから!」

「ことりちゃんの耳は綺麗だと思うけど」


 結局わたしは言われるがままイヤフォンの片方受け取り、装着した。それを確認すると、キサちゃんももう片方のイヤフォンを装着し、音楽を再生した。


 緩やかに、さざ波のように流れるピアノの音色。弾かれる鍵盤のリズムは、目に映るあらゆる景色を芸術に変えていく。

 足を滑らして川に落ちる子供達も、草むらに唾を吐くホームレスも、歩きスマホで躓きかける女子高生も、そのどれもがアルバムの一ページみたい。


 ちらりとキサちゃんの方を見やると、彼女は涙を流していた。


「キサちゃん……?」

「え。あっ、あらら」


 自分でも気づいてなかったのか、キサちゃんは慌てて頬を伝う涙を手で拭った。


「この曲を聴くとね、なぜだか毎回泣いちゃうんだ。不思議だよね」

「…………」

「だからこの曲にするの。エンドロールはさ、泣けた方がいいでしょ?」

「……ボカロは、やめときます」


▶▶▶


 放課後自殺クラブの活動内容は自分達の死に場所を探し、それを写真に収めること。


「ほらことりちゃん、私のスマホ今使えないから、ことりちゃんので撮って!」

「あっ、は、はい!」


 わたし達は毎日死に場所を探し続けた。校内は勿論、学校周辺。町の隅。次に隣町、またその隣、そのまた隣。夏休みには海に。冬休みには遊園地に。春休みには外国に。

 死に場所を収めていたはずのフォトアルバムには、時折わたし達自身の写真も差し込まれていった。


「はい、チーズ」

「…………」

「…………」

「…………あの?」

「笑顔、上手になったね」

「あっ」


 すぐにそっぽを向くわたし。


「前髪もさっぱりして、笑顔が似合う女の子にもなったわけだ」


 周囲からの視線を避けるためのわたしの相棒マエガミは、彼女によって斬殺された。


「写真は、死に場所を撮るだけじゃ……」

「いーじゃん。エモーショナルが多い方が、エンドロールで泣けるでしょ?」


 一枚。また一枚と写真を撮る度に上を向いていくわたしの顔。

 近い将来死ぬかもしれない場所で笑顔で写っているわたし達の写真を見返すと、不思議とにやけてしまう。


「あれ、笑ってる。なに見てるの?」

「なんでもないですよ」

「ことりちゃんは嘘つくと目を逸らすよ」


 わたしは「そんなことないですっ!」と言ってキサちゃんから目を逸らす。あ。

 ──すかさずキサちゃんはわたしのスマホを覗き込んだ。


「うん、いい写真だ」

「……ですね」




 次第に、死に場所の写真よりもわたし達の写真の方が多くなっていって──




「写真、撮りませんか」


 そんな言葉を口にしたのは、わたし達が学校を卒業する日の夕方のことだった。


▶▶▶


 風岡中学校の卒業式が終わり、わたしとキサちゃんは校舎屋上のベンチに並んで座っている。三月の風は冬の爪痕のような冷たさと、春を予感させる温かさの両方が入り交じっていて、心地よかった。


「結局死ねなかったね」

「ですね」


 クラブ活動死に場所探しはほぼ毎日続けたが、わたし達は生きたまま中学校を卒業してしまった。


「ことりちゃん、よく笑うようになったよね。それに『あっ』て言わなくなったし」


 キサちゃんは橙色の空を見上げながら言った。宙を切り裂く飛行機雲が浮いている。


「私に感謝してほしいなぁ、なんてっ」

「ありがとう、ございました」


 わたしは自分の革靴に視線を落としながら言った。キサちゃんに出会う前まではピカピカだった革靴はもうボロボロで、この子もまた学校での役目を終えたようだ。


「いや、冗談だって」

「本当に、ありがとうございました」


 わたしは立ち上がり、キサちゃんに向かって頭を下げる。


「む……っ」

「キサちゃんがいなかったら、わたしはあの時ここから飛び降りてました。キサちゃんがいなかったら、わたしはひとりぼっちのままでした。キサちゃんがいなかったら、遊園地にもアメリカにも行けませんでした。キサちゃんがいなかったら、わたしは──」


 さらに続けようとしたところでキサちゃんはわたしの両頬を両手で押し込んだ。「んにゅ」という声を最後に発言権は奪われた。


「ことりちゃんがいたから、私は死なずに済んだ。ことりちゃんがいたから本音を言えたし、疲れるだけだと思ってた遊園地も楽しめた。ことりちゃんがいたから、私は──」


 それ以上は言わせまいとわたしもキサちゃんの頬を押し込む。蛸の口になった相手を見て、両者思わず吹き出した。


「ことりちゃんは上京するんだっけ」


 息が切れるまで笑い合うと、笑い涙を拭いながらキサちゃんは言った。


「……はい。横浜に」


 ここは鹿児島。

 そう簡単に会える距離ではない。


「じゃあ、放課後自殺クラブは解散ね」


 キサちゃんの笑顔に胸が痛む。


「横浜行っても、メールとか、やり取り……沢山したいですっ」

「もちろん。私達は親友なんだから」


 言いながら、キサちゃんはポケットから何かを取り出した。


「金メダル……?」

「私達の親友の証。こーゆーお揃いのがあればさ、どんなに遠くにいても、繋がってるんだって感じがするでしょ?」

「……はいっ!」


 わたしとキサちゃんはお互いの首に金メダルをかけあった。


 ──かけがえのない思い出への勲章は、太陽みたいに眩しかった。
































 

 最後にエリック・サティのジムノペディがエンドロールに流れておしまい。


 深夜の風岡中学校職員室には荒咲 キサただ一人。事務用のパソコンに流れるエンドロール。かつての青春に私は立ち上がり、大粒の涙を流しながら拍手をした。


◆─◆─◆


 十年前。私のスマホで撮影した放課後自殺クラブの活動記録。『大人になった私へのプレゼント』と題されたファイルは、社会人になった私からすれば見せしめでしかない。

 誰のドラマ青春にもオワリエンドロールはある。それをより明確にしたのが活動記録だ。


 ドラマが終わって待ち受けるものは?

 

 A・救いの無い虚無だ。


 卒業して暫くは横浜に行ったことりちゃんと連絡を取っていたけど、次第に回数は減って、最後にメールをしたのは一年前だ。

 たまにメールを送ろうかと思うけど、二行ほど書いては消しての繰り返し。


 ……所詮、私はこういう人間だ。


 誰かの真似をするのが上手かった。誰かの話に乗るのが上手かった。私そのものに勇気は無くて、誰かの勇気に便乗するだけの卑しさが長けていた女なのだ。

 ことりちゃんは私のことを明るい女の子だと思ってたみたいだけど、本当は違う。私は鏡だ。誰かの明るさをそのまま返すだけ。誰かの真似事をして存在意義を得るだけ。


「荒咲。資料の作り方この前教えただろ。なんでミスが多いんだ」

「はい……」


 どうやら鏡以下らしい。


◆─◆─◆


 私は風岡中学校の教師になった。奇しくも自分と同じ二年八組担当。毎日若さと青春の眩しさを浴びて生きている。


「荒咲せんせっ、昨日の歌謡祭観た~?」

「あっうん、観たよ。最高だったね」


 ゴールデンタイムの番組何ぞ教師に観る時間は無いので、ネットで集めた情報を便りに必死に話を合わせる。昔からの得意分野だ。


「荒咲せんせー、写真撮ろ?」

「あっ、いいよ」


 スマホを掲げる女子生徒。名前は二ノ田にのた コト。クラスのマドンナ的存在である彼女は自信に満ち溢れた性格で、当たり前のように教師である私の肩に抱きつく。


「せんせー全然笑ってないじゃん」

「えっ、いや、笑ってるよ」

「ふやけたフライドポテトみたいだよ」


◆─◆─◆


 とある冬の日の放課後。誰もいなくなった二年八組の教室には四角の形に並べた机を挟んで、私とコトさんが向かい合うように座っている。学生には耳が痛いであろう進路相談の日だった。

 八組の生徒で進路が決まってないのは、コトさんだけだった。


「進路先ずっと空白だけど」

「喉まで出かかってるんですよぉ」


 吐き出せ。


「どうにか出せないかな」

「先生がいつも食べてるグミをくれたら吐き出せるかも!」

「…………」


 ポケットからグミを取り出し、彼女に一つ渡した。「やったぁ」と笑って彼女はグミを自分の口に放り込む。


「どう? 出てきそう?」

「グミと一緒に飲んじゃったかも……」


 吐き出させてやろうか。


◆─◆─◆


 私の学校紹介も虚しく、一時間経っても彼女の進路は決まらなかった。

 私も甘いもので『糖分を取ったら決まるかも』と言って職員室からわざわざホットの珈琲を入れてきた。彼女に差し出したのは砂糖多めのカフェオレ。私はブラックの珈琲。


「先生は映画で好きな場面ってあります?」

「少なくともエンドロールは嫌いかな」


 カフェオレを飲んでいたコトちゃんの眉がぴくっと動いた。コップから口を離すとこちらを不思議そうに見つめてくる。


「どうしてですか?」

「だって……どんな微妙な映画でも、終わると寂しくなるからさ」


 コトちゃんは一呼吸置いて口を開いた。


「そう、ですか。せんせっ、明日の放課後、学校の屋上に来てくれませんか」

「なんでかな」

「明日までに進路を決めて、そこで話したいからです」


 コトちゃんの表情は笑っていない。

 真剣な眼差しだ。


「そっか。うん、分かった」

「あと一応グミください」

「誰かさんのおかげでもう売り切れです」


◆─◆─◆


 次の日の放課後。雲一つ無い快晴の夕方で、でしゃばりな夕日のおかげで屋上のタイルは黄金色に染まっていた。


 私が屋上に着くと、コトさんは既にフェンスに手を掛けて待っていた。


「ごめんなさい、遅くなった」

「いえ、だいじょぶです」


 振り向く彼女といつもの笑顔。でもどうしてだろう。その笑顔にはどこか翳りがあるように見えた。

 気のせいだと思い、私は本題に入る。


「進路は決ま「先生」

「……?」

「あたしも、エンドロールが嫌いです」


 コトさんはポケットからスマホを取り出し、幾度かスワイプをすると、画面をこちらに見せた。画面に映し出されていたのは、風岡小学校の体操着を着たコトさんと、彼女と同い年に見える女の子との笑顔のツーショットだった。


「これは……」

「親友です。名前はカナって言います。つい先週、交通事故で死んじゃいました」


 私は何も言えず、コトさんの言葉に立ち尽くすだけだった。


「このスマホのアルバムには、カナちゃんとの思い出が沢山詰まってます。けど、彼女が死んじゃって、あたしと彼女の関係にはエンドロールが流れちゃいました」


 コトさんはスマホを閉じると、またフェンスの方に体の向きを変えた。

 彼女の背中にはいつもの明るさは微塵も無く、哀愁と虚しさだけが漂っていた。……私は黙って聞き続ける。


「でもドラマとは違って、あたしの人生はエンドロールが流れても続いてる。クラスの明るいキャラの〝あたし〟っていう登場人物キャラクターは取り残されたまま、ヒロインも観客もいないまま、空っぽの劇場を繰り返してる」


 鏡を見てる気分だった。


「コト、さん」

「そんなの……クソじゃないですかぁ」


 コトさんの足元に数滴の涙が溢れた。


「進路、決めたんです。


 カナちゃんに……会いに行きます」


「────」


 コトさんは屋上のフェンスを登り始めた。教師として、人として『駄目!』だとか『やめてっ』だとか言うべきなのだろうけど、私はきゅっと自分の胸を掴むだけで何も行動できない。──あぁ、変わってない。


 私はそうやって楽をする。


 適当にクラスの輪に入って。気に入らなかったら自殺しようとして。でもことりちゃんと出会って。別れたらまた適当な人生に逆戻り。そうして、目の前の生徒に何も声をかけることができない。


 そうだ。私はあの時死んでおくべきだったんだ。私の生きてる意味なんか、


『キサちゃんがいなかったら、わたしはあの時ここから飛び降りてました』


 なんか、


『キサちゃんがいなかったら、わたしはひとりぼっちのままでした』


 なんか……。


『キサちゃんがいなかったら、遊園地にもアメリカにも行けませんでした』


 なんか……ッ。


 より強く胸を掴むと、胸ポケットの中に固くて丸い感触があった。──あの時から肌身離さず持っていた金メダルだ。


 金メダルを取り出すと、黄金色の鏡のように私を映し出していた。


 太陽みたいな、私がいた。


 顔を上げれば、コトさんはすでにフェンスの頂上に達していた。


「私は、」


『わたしは、もし飛び降りる時は金メダル級のダイブをっ、ですね』

『なんじゃそりゃ。でもなるほど……飛び降りる時のフォームかぁ。考えたことなかったな。ことりちゃん流石だね!』

『えへへ』

『けどことりちゃんが金メダル取っちゃったら、あたしが銀メダルになっちゃうよ』

『あっ……えと、それは大丈夫です。金メダルは……!』


「コトさん」


 コトさんはフェンスを乗り越えていて、飛び降りるまで数歩というところだった。


「なんですか?」

「昨日の質問の答え、変えていいかな」

「はい?」

「私はエンドロールのその後が好き。エンドロールが流れても立ち上がらずに良かったって思える、あのおまけの映像と次回予告が好き。──報われた気分に、なれるから」

「あ…………」


 私はフェンスを掴む。

 ガシャッという音が屋上に響く。


「…………。じゃあ、今のあたしの人生は……おまけってことです、か」

「うん。私もそうだよ。ずっとおまけを繰り返してる。そして、感動の映画の第二作を待ちわびている」

「そんなの……見えませんけど」

「私達の人生の脚本家、ずばり神様ってやつは筆が遅いからね。きっと今頃、一作目より面白い超大作を書いてるんだよ」

「どこにそんな保証があるんですか」


 コトさんの言葉は重く、私の胸にずっしりと乗っかった。でも、続ける。


「少なくとも、」


 私は金メダルをフェンスの上へ投げる。

 メダルはフェンスを越えると、コトさんの手の中へ収まった。


「金メダル……?」

「賞を取った作品の次回作ぐらいは、作られると思うな」


 にっこりと笑う。ふやけたフライドポテトだって、少しは旨いだろう。


「なんの……賞です、かぁ」


 我慢の限界が来たのか、小雨だったコトさんの涙は嵐となり声をあげて泣き出した。


「生きてて偉いっていう賞だよ。あと、みんなの前では決して涙や暗い顔を見せないっていう──その、強さに」


◆─◆─◆


 屋上での出来事は私とコトさんだけの秘密ということになった。進路の件は先送りになったが、彼女がまた学校に来てくれることを、私は教師として信じるしかない。

 コトさんを家まで送り届けて私は帰路に着く。自分の家に直接帰る気分じゃ無いので、公園に寄って小さなベンチに腰掛ける。


「次回予告……ねぇ」


 はぁ、と溜め息をついて視線を落とすと、ピカピカの革靴がある。

 また溜め息をついて、顔を上げる。すると、真っ白だったはずのお月様は、黄金色に輝いていた。


「え、」


 月と掏り変わった金メダルは私の視界からひょいと消えて、釣られて振り返ると、そこには旧友の姿があった。


「ことりちゃん……?」

「お久しぶりです。キサちゃん」


 スーツ姿の彼女は目新しいが、けれど、懐かしさが八割を占めている。気を抜けば抱きついてしまいそうだった。


「ごめんね、連絡……できなくて」

「わたしこそごめんさなさい。なんていうか、時間が無いわけじゃないのにっ」

「そうね。ちょちょいのちょいでできる一歩が踏み出せないというかさ」

「ですね。ちょちょいの部分がどうにかならないから、」


「「人生辛いんですぅのよねぇ」」


 私とことりちゃんは吹き出してしまう。遥か昔の一時ばめんを想う郷愁だとか、今宵に招かれた再会きせきを祝う感動とかでは無く、得体の知れない温かさだけが私達を包み込んでいた。

 それが、やさしかった。


「ところでなんでこんな場所にいんのさ。ヨコハマはどうしたヨコハマは」

「会社の出張で」

「ことりちゃん、目、逸らしてる」

「う」


 相変わらずみたいだ。


「ほんとーは?」

こっち鹿児島で働くことになりました」


 今度ばかりはとことりちゃんは私から目を逸らさない。……どころかまじまじと見つめられるので、なんていうか、照れる。


「じゃあお帰りのお祝いということで、金色のビールでも飲みますか!」

「賛成です!」


 エモーショナルなんてどこへやら。肩を組んで夜を渡り歩く私達。

 そう。これはきっと、あのエンドロールのおまけのエピローグ。彼方に煌めく月の白貌は、私達とその行き先を、気まぐれに、麗らかに、眩く照らしていた。


◆─◆─◆


 この物語を再生する前にまず語らなければいけないのは、横浜からやって来た彼女についてだろう。

 彼女は風岡中学校二年八組、副担任。伊妻 ことり。黒髪ロングで整った顔立ちの綺麗な女性。教頭ぐるみのドッキリだったらしい彼女の転任は、それはもう私の心臓は人生二回分止まったとも。


「彼女は元風岡中学校の生徒ですが、十年も前だし、一応学校を案内してあげてね」


 すると、一人の生徒が手を上げた。


「じゃあコトちゃん、お願いしていいかな」

「はーい」


 新放送のドラマにネタバレは無い。これから続く私達の物語の良し悪しをエンドロールの流れる前に決めても仕方がないのだ。


「せんせっ、写真撮りましょ。ことりせんせーの着任祝いです!」


 ──少なくとも。


「はい、チーズ」


 今の私達には、


「うん、いい写真だ」





 オワリを考える余白ヒマなんて、当分やって来ないだろうから────






       /おしまい

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