第42話 絡む

「おい! どういうつもりだテメェ!!」


 1時間目終了後の休み時間。トイレを済ませた広季に、啓司がいきなり絡む。


 胸ぐらを掴み、廊下の壁に広季を押さえつける。


 広季の背中に熱い痛みが生じる。


「な、…なんだよ」


 声を震わせながらも、反抗的な意思を表明する。


 恐怖はある。ただ、仁美や海の前の啓司を想像すると、以前よりも恐怖は軽減する。


「あ? なんだよその態度。陰キャで奴隷のくせに生意気だな」


 グッ。


 啓司はより腕に力を込める。


 広季の首がより圧迫される。息が途切れ、徐々に苦しくなる。酸素不足に陥る。


「調子に乗るなよ? お前が俺の狙ってた2人の美少女と仲が良いのは弱みを握ってるからだろ? そうだろ。なぁ? 吐け」


 冷たい声色で啓司は圧力を掛ける。暴力を上手く利用する。


 助けを求めるために、必死な形相で広季は周囲を見渡す。


 複数の生徒が我知らず顔で広季達に視線を向ける。


 しかし、誰1人助けない。いや助けてくれない。助ける気が皆無だ。


 皆、行動せずに静かに観察する。中には友人と楽しげに会話する人間も存在する。


 まるで、弱い立場に位置する広季をエサにするように。


「そんなの知らない。弱みなんか…握って…ない」


 自由に息が出来ない。辛うじて広季は返答する。非常に苦しい。


「ほぉ〜。正直に吐かないとは。いい度胸だ。これはこれは。もっと痛い目に遭わせないとな」


 にや〜と汚い笑みを作り、啓司は拳を振り上げる。


「吐くまでボコすから。もちろん周囲に教師は愚かお前を助ける救世主もいない」


 啓司は周囲を見渡す。


 周囲の人間はさっと目を逸らす。皆が知らんぷりだ。自分が可愛いのだろう。


 人間、少しでもリスクが有れば避ける。全人類に共通する法則だ。


「これが現実だ。強い人間が大方のものを手に入れる。…わかった!」


 広季の顔目掛けて啓司は拳を繰り出す。


 高速で拳は広季の顔に接近する。広季の視界には啓司の拳だけ存在する。


(クソ!? 絶対に痛いだろうな)


 硬く目を瞑る広季。


 暴力が怖くて無意識に行った行動。


 目を瞑ったため、広季の視界は真っ暗になる。


 ガシッ。


 だが、広季の顔に拳は当たらない。痛みも生じない。


「何やってるの? うちの大好きな森本君に」


 舞が啓司の腕を掴む。広季に当たらないように。


「あ? 誰だ俺の暴力を止めたのは。って。な!?」


 振り返るなり、啓司は驚きの声を漏らす。


 啓司の声に反応し、恐る恐る広季は目を開く。同時に、不足した酸素も補充する。次第に呼吸が楽になる。


「…舞さん。どうして」


 舞の姿を視認した直後、多量な安堵感が生じる。同時に、守ってくれた理由も気になる。


「あなたは。あの俺がこの学校で目をつけた3人のうちの最後の1人…」


 啓司は腕を仕舞おうと試みるが、叶わない。


 護身術を心得ているのか。舞の手が啓司の腕を決して放さない。


「ごめんね。見苦しい真似をお見せして。悪いけど手を離してくれないかな?」


 わずかに額に汗を滲ませ、啓司は要望を伝える。


「嫌! それにあなたはタメ口聞かないで。うちより1つ年下だから」


 ギリッ。


 舞はより腕に力を込める。


「おー!? 痛い痛い!」


 啓司は喚く。痛みを和らげるために腕や足をバタバタする。


「ちょっ。なんで怒ってるの? 痛い! 痛いから! もう何もしないから放してくれ〜」


 廊下に啓司の叫びが拡がる。


 しかし、広季の時と同様に誰1人助けない。に好奇な目で啓司の痛がる姿を観察する。


「ま、舞さん。俺は大丈夫ですから。そろそろ。放してやってください!」


 さすがに啓司が可哀想に思った。その上、この場面で教師が現れることも無きにしも非ず。そのケースでは、少なからず舞も怒られる。その点も心配だった。


「そう? 森本君がそう言うなら」


 ぱっ。


 呆気なく、舞は啓司の腕を離す。簡単にするっと舞の手から滑り落ちる。


 今まで啓司は完全に無視していた。広季の声だけは届く。


「っ。はぁはぁ。…ようやく解放された」


 激しく息を荒らし、啓司は腕を押さえる。未だに痛みが残る。


「森本君大丈夫? ケガしてない?」


 一方、苦しむ啓司など眼中になく、舞は広季へ駆け寄る。広季の顔に自身の右手を添える。


「う〜ん…。よし大丈夫そう。よかった〜」


 広季の無事を確認し、舞は安堵する。心の底から心配していたのだろう。彼女の表情から容易に理解できる。


「…そんな。大袈裟ですよ」


 敢えて広季は強がる。つまらないプライドがそうさせた。


「大袈裟じゃないよ。もし、森本君の顔に傷が付いたら…。うち悲しくなるの」


 キッと鋭い眼光で、舞は啓司を睨みつける。完全に敵に対する視線だ。


「ッ。どうしてだ。どうして。どうして俺のターゲットは森本に優しいんだ」


 啓司はたじろぐ。明らかに舞に怖気付く。女性に対して武力で完全に負ける。


「森本君。また、絡まれたら教えてね。いつでも助けに行く。または仇を取るから」


 つい先ほどの表情とは打って変わり、天使のような笑顔を広季へ提供する。完全扱いの差が露見する。


 キーンコーンカーンコーン。


 丁度、休み時間終了のチャイムが鳴り響く。


 次々と廊下のギャラリーが教室に流れ込む。


「く、クソ! どうしてここまで上手く行かない!!」


 周囲を確認し、負け犬のように叫びながら啓司はダッシュで廊下を駆け抜ける。


「邪魔者は消えたし、うちは教室に帰るね?森本君も授業に遅刻しないようにね?」


 優しく言葉を掛け、舞は薄く微笑む。


「は、はい。言う通りにします」


「うんよろしい! いい子いい子」


 数秒ほど見つめ合った後、舞はよしよしっと広季の頭を撫でる。


 柔らかく心地よい感触が頭に発生する。舞が自身の姉だと錯覚してしまう。


「それじゃあまたね」


 嬉しそうに顔を綻ばせ、舞は近くの階段に歩み始める。自身のクラスへ帰還するために。


 広季は彼女の後ろ姿を最後まで見送る。

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