恋は盲目 08-3
「なんか見る?」
「映画とかですか? いいですよ」
「なにか見たいのとかある?」
「いえ特に……千夜さんは? 色々あるんじゃないですか? 見たいホラー映画とか」
「うーん……いやでも、食事中に見るものではないし……」
「まぁ……」
「それに、真魚さんはホラーより恋愛とかのが好きなのでは?」
「別にホラーも苦手というほどでは──というか、ホラーは得意じゃないんですけど、千夜さんが好きなタイプの作品は、私も結構好きなことが多いです」
「そうなんだ。……でもまぁ、やっぱりちょっとはまったりしてるやつがいいな」
「お任せします」
彼は端末を操作して、少し逡巡した後、一つの映画作品を選んだ。
それはのんびりとした、平坦な、ラブコメディ作品。
別に二人で黙々と食事をしていてもいいが、真魚はどうにも気が逸っているようであったし、のんびり落ち着いた食事のためにも、映画を流すのはそう悪い手ではないと彼は思った。
けれど、モニターを見やすい位置へと身じろぎをして。
足が触れて。
真魚は、びくり、と身を震わせた。
意識をしないでおこう──という意識は、意識をすることにつながる。
映像が流れだしても結局、真魚の箸は緩慢なままだった。
冬の風に撫でられて、肌の感覚を失うような。自分の輪郭を失うような。自分の言葉を失うような。
それと似たような気持ちに、少女はなっていた。
心の機微というのは難しく、本人にその自覚があっても、軌道修正することは難しい。
極度の高揚のあとに、不安がやってきたりして──つまるところ、今日少女は、情緒不安定だった。
それは傍から見ていても、『なんだか様子がおかしいな』ということはわかる程度だったから。
「ところで、今日なんかあった?」
「いえ別に……何かあったわけじゃないんですけど。うーん……変でしたか?」
「変ってほどじゃないけど……。そういえば、今日香水つけてる?」
「え」
「あぁ、やっぱりつけてるんだ。帰ってきたとき、ちょっとぽいなーって思ってたんだよ」
「わかるんですね……」
「まぁそりゃね」
「気付いてるなら言ってくださいよ!」
「えぇ……うん……」
実は香水をあまりつけたことはなく、少し不安だった、と少女は言う。
変な香りだとは思わなかったし、いい香りだと思った、と伝えると、少女は頬をほころばせる。
「まぁそれはそれとして。うどん伸びちゃう」
「あ、そうですね」
一転してにこにことする真魚に、千夜も安心しながら、食べ進める。
おうどん、お鍋。あたたかい。
ほっとする空間。
モニターからは、雑踏の音が流れてくる。
千夜も真魚も、実家では食事をしながらテレビを見るタイプであったから、映像と音を流しながらの食事は、とても彼らの日常の色に近いものだった。
「唇もなにか塗ってた? よね?」
「よくわかりますね……」
「まぁいつもより赤みあったし」
「……え、えっち」
「えっち?!」
「私の唇いつもそんなに見てたんですか……」
「いやいや、自然と目に入るから!」
「え~?」
食事をはじめて、もうリップクリームの色は落ちたはずで。
香水なんかも、ご飯の匂いにまぎれて気づくことは難しくて。
つまりそれは、最初帰ってきたとき、そのときにはもう気づいていたということで。
それがもう嬉しくて嬉しくてたまらなくて。
真魚は、可憐に、嫣然に──女性らしい、花のような笑みを浮かべる。
それを直視し、罪悪感のようなものに駆られて、千夜は視線をわずかにそらす。
人の心というものは、推移していく。人々の思惑は、交差する。重なり合う。
高揚は安寧へ。ときめきは信頼へ。恋は愛へ。
恋は盲目──、けれど一度落ち着くことができたなら。
視野を広く持つことができたなら。気配りができるようになれたなら。理性でも相手を想えるようになれたなら。
きっとその恋は、愛としての側面を持つようになる。
やがて、自分の中にある想いを育むことができるようになる。
「ところで千夜さんは、映画見ながら話すとか、好きじゃないと思ってましたけど」
「あぁ、まぁ、そういう気分のときとそうでない気分のときがあるんだよ。わかるかなあ」
「はいはい。なんとなくですけど、わかりますよ」
相手の価値観を理解できる。たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。
少女と女性の境目、恋を知って、愛を育むそんな時期。
真魚は、その喜びのままに、邪気なく笑う。
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