名前、呼び方、好きなもの 03-4
人魚姫は声を持たない。
ゆえに、声を張り上げて主張することができない。
私はここよ、と。
曖昧な輪郭に、芯を持たせることができなかった。
それができたのなら、あるいは結末は違ってきたのかもしれない。
「まぁ悲劇は悲劇で完成してるってことに特に異論はないけどね」
「ですね。あの結末は、すごくきれいで、完成してますよね」
「うん」
千夜は、少し感慨深い気持ちになっていた。
人魚。人魚姫。隣にいる少女が、人魚のようだと感じたあのときの情感。
その答えに少し触れたような、そんな気がした。
「桶内さんて、結構映画とか小説とか、そういうの見る人?」
「えーと、あんまり? 図書室で本を借りたりとかもするのはしますけど、詳しいってほどじゃないですね。漫画アプリとかで漫画読んだり、Twitter漫画とか見たりするほうが多いかもです」
「なるほどね。漫画でも全然いいし、なんなら漫画が一番好きだから漫画でもいいんだけど、ぼくあんまり詳しくなくてさ。どの媒体でもいいし、古くてもいいし、何かおすすめないかなーって思って」
「なるほど? んー……。普段どういうのを見てるんですか?」
真魚は、こてりと首をかしげて問いかける。
「そうだなぁ。最近面白かったのは────」
「あ、それ私もちょっとだけ見たことあります。えーと、────のシーンとか────」
「わかる、いいよねあそこ。そのシーン好きだな」
「────とか」
「────、──」
「──。────、────」
水っぽく、味の薄いドリンク。
なかなか減らないポップコーン。
それらがなくなるまで、彼らはあちこち話題を跳ねさせながら、色々な話をしていた。
「……すみません。結局最後食べてもらっちゃって」
「いいよいいよ。ちょっと量多いもんね」
「Mサイズを舐めてましたね……」
顎に手を添え、真魚は真剣な顔で『次買うなら……』と考えていた。
その横顔がやけに面白くて、千夜は、ふ、と吹き出してしまう。
「えっ、どうかしましたか?」
「いやごめん。別になんでもない」
えっえっ、と慌てふためく姿が可愛くて、彼の笑みはまた深くなる。
「小池さん、やっぱり変なとこありますよね」
「残念ながら桶内さんも大概だよ」
「じゃあお互い様ですね」
「そうなるね」
さて、と席を立つ。
話が落ち着いて、ごみを片付けて、ようやく映画館を後にするときがきた。
「桶内さんはどうする? ぼくはそろそろ帰ろうかなって思ってるけど」
「私は、もうちょっとぶらついてから帰ります」
「そ」
じゃあここでお別れだね、と言外に言っていた。
「悪かったね。なんか今日は散々付き合わせるような感じになっちゃってさ」
「いえ、私こそ、今日はお時間いただいてしまって……。邪魔じゃなかったらよかったです」
「邪魔ってことはないよ」
薄暗い映画館から、その外へ。明るい場所へ。
ほんの少し一緒に歩いて、はた、と足を止める。
千夜は真魚の顔を少し見つめ、ふ、と少し目尻を下げる。
「でも少しだけ、安心した。初めて会ったあの日はどうなることかと思っていたけど、思っていたより、元気そうで」
「まぁ……はい。その節はお世話になりました」
「うん。それは別にいいんだけど……」
この前会ったときも、今日も、千夜の目に真魚の陰りは映らなかった。
だから、少し、安心した。
でもやっぱり心配なところが多々あって、不必要なまでに、口を出してしまう。必要か不必要か、それは彼個人の主観の問題で、憶測でしかない。
やはりコミュニケーションの基本は言葉であって、聞いてみないと不明瞭からは抜け出せない。
不明瞭と明瞭、彼らの関係は、未だ不明瞭。
「どこ住み? 何歳? てかLINEやってる?」
「LINEはやってます。17です。住所は……ええと、駅の──」
「ごめんぼくが悪かった」
「?」
はてな、な顔をして首をかしげる真魚を見て、彼は片手で顔を覆い謝罪する。
そして、彼は自分のスマートフォンを取り出して、自分の連絡先となるQRコードリーダーを表示した。
「はいこれ。なんか困ったことがあったら連絡して。一人暮らしの不審者を頼るのはなるべく控えたほうがいいというのはさておき……いざってときの逃げ場所、候補は多いほうがいいと思うからさ」
「別にもう、不審者とは思ってませんよ」
「ありがたき幸せ」
「……いいえ、はい」
「どういう意味?」
「返答に困りましたという意味の『いいえ、はい』です」
「なるほどね?」
「はい」
真魚は少し考えた後、自分のスマートフォンを取り出して、千夜のアカウントを友達に追加した。
LINEのQRコードによる友達追加は、基本的に一方通行である。
読み込んだ側にしか情報がいかず、読み込ませた側は情報を提供したにすぎないからだ。
つまりこの状態なら、──別に友達じゃないから! 倫理的にアウトな関係になりたいわけじゃないから! という彼のささやかな心の防波堤を維持することができるというわけだ。
「適当にスタンプ送りました。お願いしますね」
「……」
しかし連絡先を交換するなら自然とそうするよね、という真魚の対応により、彼の内に秘めた想いは無残に散ってしまった。
千夜のスマートフォンの画面には、デフォルメされた鯨が『よろしくね!』と言っているスタンプが写っている。
「鯨だ」
「鯨のエールちゃんです」
「そっか……」
「はい」
こんなところも海属性なんだな、と感心する千夜の表情を見て何を思ったか、「かわいいんですよ」と真魚は一言添える。
「とりあえず、ぼくはもう帰るよ。じゃあね。楽しかったよ」
「あ、はい。お疲れ様です。私も楽しかったです」
「うん。縁があれば、また会おう」
「はい」
千夜は軽く手を振って、背を向ける。
真魚は、彼に合わせて手を振って、その場にとどまりながら微笑んでいた。
そして少女は、なんだか友達と遊んでたみたいだったな、と思った。
喫茶店でお茶をして、映画を見て、見た後に映画の話をして、関係ない話で盛り上がったり。
それはきっと、仲が良ければ起こりうる、至極普通の出来事で。
「……縁があれば……」
二人が出逢ったのは、再会したのは、何の裏もなく本当にただの偶然だった。
だけど偶然というのは必然に等しい。
海を好む。風を好む。夜を好む。
そういう、好みの指向性が少なからず合致したからこそ、二人は必然的に偶然な出会いを果たし、必然的に偶然な再開を果たした。
けれど、だからこそ、それは選んだ結果。
三度。
少女が彼と出会ったのは、今日で三度目になる。
そして彼の家を知っていて、彼の好みもなんとなくわかってきて、行動圏内もある程度の当たりをつけることはできている。
つまり出逢う可能性を高めるも低めるも、少女の自由。
縁。
二度あることは三度ある。けれど、四度目以降は、自分の意思で選ぶ必要がある。
事実、‟次”に会うときは、偶然ではなかった。
彼らが再び出会うのは11月4日……今から約2か月後のことだった。
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