名前、呼び方、好きなもの 03-2
店員は、「年上の男の人を意識している女の子が可愛い!」と非常ににこにこしていた。
──すぐお持ちしますね。
妙に嬉しそうな店員の視線の意味を悟りつつ、少女は気恥ずかしそうに口元に手を当てる。
店員の背を見送って、言い訳がましく口を開く。
それがまた大なり小なり意識していたという証左になってしまう。それを示すように、少女は頬をほんのりと紅潮させていた。
「わ、私もお昼まだだったんです」
「まぁ、まだ12時になってないしね」
彼は彼で、状況をなんとなく察知しつつも、特にからかったりすることもなく、事もなげに流していた。
「むしろそれだけで足りるの?」
「その言葉そっくりそのまま返していいですか?」
「ぼくはほら……映画館でポップコーンとか食べるし」
「ポップコーンとか飲み物ありなタイプですか」
「有り無しでいえば、無し。あんまり映画見てる最中に飲み食いするのは好きじゃないなあ」
「えぇ……」
じゃあなんで、と疑問を浮かべている少女の意をくんで、彼は「んー」と考えながら話す。
「……別に映画見る人間全員にしろって言いたいわけじゃないし、ぼくも正直あんまり飲み食い好きじゃないし──という前置きをした上で言うと、映画館の売り上げって基本チケットじゃなくて映画館で販売してるポップコーンとか飲み物がメインらしいんだよね。だからかな」
「あぁ……」
少女は納得したようにうなずく。
「なんか、おじさんらしい感じですね」
「まぁ別に売り上げに貢献しなきゃ! みたいなことが言いたいんじゃなくて、そういうの聞いちゃうと買わないと気分よくぼくが映画見れないみたいな感じ」
「らしい感じですね」
「そう……?」
「はい」
ふふ、と淡い笑みで少女はうなずく。
彼は、別にそんなんじゃないのに、とバツの悪そうな顔をする。
──お待たせしました〜。
そうしていると、にこやかな店員さんが少女のサンドイッチとアイスココアを持ってきた。
ごゆっくりどうぞ〜、と去っていく店員さんの後ろ姿を見送って、少女は無糖のアイスココアに口をつける。
ほんのり苦くて、コクがあり、ミルクの味がやわらかい。
「これが、大人の味なんですね……」
「どうやら、大人の階段をまた一つのぼったようだな」
「セクハラじゃないですか?」
「まぁ……はい……すいません……」
「はい……いえ、気にしないでください……」
頬の紅潮を冷ますように、少女はアイスココアに口をつける。
そして、人差し指をぴん、と立てて、彼と目を合わせる。
「そういえば、おじさんの名前って
「あってるけど……。あぁ、表札?」
「です」
「そう、小池」
「じゃあ、小池さん」
「……なに?」
「いえ、今のは『これからは小池さんって呼びますね』の意味です」
「あぁ、なるほど。何か改まって言われるのかと思っちゃった」
はは、と彼が笑い、少女もはにかむように笑みを浮かべる。
「まぁでも、まともに自己紹介もしてないもんね」
「ですね。……ぇと、私の名前は、
スマートフォンのメモ帳に素早く名前を打ち込んで、少女は彼に画面を見せる。
「なるほどなるほど。ぼくの名前は小池。
同じくスマートフォンを使って、彼も自分の名前を紹介する。
「いい名前ですね」
「いい名前とか生まれてはじめて言われた気がする。ありがとう。君もいい名前だね。可愛い」
「ありがとうございます」
夜行性だな、と真魚は思った。
人魚だな、と千夜は思った。
この人/この子に似合っているな、と彼らは思った。
「……まぁ君も食べなよ」
「はい。いただきます」
両手を合わせた後、真魚はサンドイッチを食べはじめる。
「むぐ。……おいひいです」
「良きかな」
そして彼らは、まただらだらと他愛のない話をし続けた。
じゃあそろそろ映画の時間だから、と千夜は席を立って、合わせて席を立った真魚と二人で退店して、彼らは店の前で、分かれた。
✿
さて、一口にホラーと言っても、いくつかに分類されるだろう。
そもそも“ホラー”というのは要素の一つであって、主題と直結するわけではない。
ゾンビなどが登場するパニックホラー。
幽霊などが登場するオカルトホラー。
人間心理への恐怖を描いたサイコホラー。
グロテスクな表現を用いたスプラッタ系統も、ホラーに分類されるだろう。
これらの中で千夜が基本的に好んでいるのは、パニックホラーとオカルトホラーに分類されるものだ。
そして今回千夜が見ていたのは、洋もののオカルトホラー。
幽霊に取り憑かれた男の子がいて、その男の子が、幽霊を体から引き剥がすまでのお話。
約二時間に及ぶホラーの物語を、薄暗い空間で、じっと見ていた。
心拍数は高いのに、背筋は冷えているような。
ホラー映画を見ているときの感覚は、筆舌に尽くしがたいものがある。
いや、そもそも映画館で映画を見るという行為自体、特別なものがある。
今のご時世、スマートフォン一つあれば、無料で閲覧できるコンテンツがたくさんある。有料にしたって、AmazonプライムやNetflixなどで、月に千円程度で数多の物語が見放題だ。
それでも映画館で映画を見るのは格別で、だからみんな見に行くのだろう。
映画を見るために映画館に行って、ポップコーンの香ばしい匂いで鼻腔を満たして、薄暗い空間で明るい大きなモニターを見て、視界を埋めて、──最後にエンドロールを余韻と共に眺める。
これが、満ちるという感覚なのだと、思い出す感覚。
その感覚に浸りながら、千夜はエンドロールを見つめていた。
エンドロールの合間に、ぱらぱらと立ち上がる人影があるのも、なんとなく映画館らしくて、いい。
余韻。
千夜は、それに包まれていた。エンドロールが終わり、自分の周囲からほとんどの人が消えてから、立ち上がる。
よいんよいん。
自然と、歩幅はせまくなって、歩く速度が落ちる。
面白かった。面白かったな、と千夜は思う。
そしていつも通り、手元にはほとんど満タンのコーラとこれまたあんまり減っていないポップコーン。
両手をふさいだまま、入場する前と同じような状態で退場し、千夜は受付前・フードドリンク販売場所前まで戻ってきていた。
「……?」
そして、気のせいか。
いるはずもない人影に、目を瞬く。
そして、千夜と同じく両手をふさいだ人影に、近付いていく。
遠目でもわかる。白色のシャツワンピース。千夜の目に映ったその少女は、つい二時間ほど前に分かれたはずの、真魚だった。
「なにしてるの?」
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