第20話 疑惑
その日の聖女の仕事を終えて、ローズは自室で休んでいた。聖女候補としてローズの世話をしているエステルが、おずおずと手紙と百合の花束を差し出してくる。
「ディラン王子からです」
「まあ、ディランが?」
百合の花束を受け取って、ローズは頬を緩める。
ディランはこうして毎日のように手紙と一緒に花束やプレゼントを添えてくれていた。それが毎日の仕事の励みになっている。
手紙には『毎日覚えることが多くて大変だが、ローズの顔を思い浮かべて頑張っている。早く会いたい』と書かれていた。
ローズはその手紙にそっと口付けを落とす。
(……私も早く会いたいわ)
ディランは公務で忙しい。ローズが救貧院へ外出する時などはできるだけ一緒に参加してくれているが、それでも週に一度会うのがやっとだった。一週間後には宮殿で王太子の儀が行われるため、特に今は慌ただしくしているらしい。
ローズも王太子の儀では聖女として彼に聖杯を与える仕事があるため、その日に着る衣装の仕立てや、聖杯の儀式の練習、当日の段取りを王宮の文官と話し合ったりなど、いつもよりもバタバタしている。
その時、椅子に腰かけたローズの前に湯気の立つティーカップが置かれた。エステルが飲み物を用意してくれたのだ。
「こちらは私が育てた花から作ったカモミールティーです。疲れが取れますよ」
そう笑顔で言われて、ローズは「ありがとう」と微笑んだ。
最近はエステルがお茶をこぼしたり、聖衣の裾を踏んで転ぶこともなくなった。聖女候補になってから数日は転ぶたびにローズの頭に紅茶を浴びせたり、日々の儀式で用意する道具を忘れたり、神殿に集まった信者に聖書の読み聞かせをする際にも何度もドモって女官長キンバリーが青筋を立てていたが……。
エステルはエヘヘと照れたように頭の後ろを掻く。
「近頃は物忘れも減ったんです! ローズ様が教えてくださった通り、毎日メモを取るようにして、当日のスケジュールを順路立てて確認しながら行うようにしたら、スムーズにできるようになって……! 焦らずに行動できるから失敗することもなくなったし! 本当にありがとうございましたっ!」
エステルが大きく頭を下げると、みつあみがぴょんと動く。
ローズは笑みをこぼす。
「それは良かったわ」
エステルの変化にローズもここまで変わるとは思っておらず驚いていた。キンバリーのエステルへの態度も軟化しているし、侮られることが減ったせいか元々聖力の強いエステルに他の聖女候補達も一目置き始めているようだ。
「エステルは奉仕活動にも積極的だものね。私の部屋に飾る花をいつも作ってくれていると聞いていたし……」
(未来ではルシアがエステルの功績を横取りしていたのよね……その時はキンバリーがいなかったから、ルシアがやりたい放題だったということかしら?)
しかし不思議なのは、どうしてエステルはルシアの言いなりだったのか、ということだ。
そして思考を巡らせているうちに、ローズは当時のことを思い出した。
(そういえば、キンバリーがルシアの物を盗んだと濡れ衣を着せられた時……その時に証言した神殿女官って……エステルじゃなかったかしら?)
普段は会う機会がなく、エステルとローズが顔を会わせたのはその一度きりだ。地味な少女だったから印象が薄く、忘れてしまっていた。
(そうよ……! あの時の少女は確かエステルだったわ。つまりエステルはキンバリーの罪をでっち上げたということ? どうして……)
それに、先日貧民街イシュタークでルシアを見て顔色を変えたのも気になった。
そっとエステルを窺い見ると、いつものように笑顔ではあったが、どこか顔色が悪い。まるで、あまり眠れていないようだった。
(……やっぱり、何かがおかしいわ。エステルはルシアと関係がある?)
調べてみなければ、とローズは密かに拳を握った。
ローズはエステルを下がらせた後、女官長キンバリーを呼んだ。消灯は聖女候補達の仕事だったが、キンバリーは責任感が強く、何かあった時のために最後まで起きている女性だった。
まだ夜寝るには早い時刻とはいえ、食後でゆったりと自由時間を楽しむ頃合いだ。
「こんな時間に呼び出して、ごめんなさい。キンバリー」
「いえ、それは構いませんが……。何か気になることでもございましたか?」
こんな時間にローズが呼ぶことは稀なためか、キンバリーは不思議そうな顔をしている。
ローズは燭台の揺れる火を見つめながら、何と聞いて良いものか迷った。最近になって皆のエステルへの心象が良くなっているのに、変な疑惑を与えたくない。
(まだ私の憶測の段階だもの……エステルにも何か事情があったのかもしれないし……)
とはいえ一人の女性を神殿から追放するということは重大事だ。もしエステルが故意にキンバリーに無実の罪を着せたなら、さすがにローズも今後の対応を考えねばならないのだが……。
「そこに座ってくれる?」
そうローズが促すと、キンバリーはソファーに腰かける。
ローズは言葉を選びながら言う。
「知っての通り、私はディラン──ディラン王子といずれ結婚するために神殿を去ることになっているわ。それで聖女候補達の中から次期聖女を指名したいと思っているけれど……キンバリーは誰がふさわしいと思う?」
ローズの問いかけに、キンバリーは居住まいを正した。
「そうですね……皆さん、それぞれ素晴らしい女性だと思います。ジェナもドリーも聖女として決して見劣りする振る舞いはしないでしょう。しかし……そうですね」
一拍置いてから、キンバリーは口を開く。
「一番、聖女の素質があるのは……エステル・ミュラーだと思います。最近の彼女はミスすることもほとんどなくなりましたし……何より他の聖女候補に比べて、十二歳とまだ若いのに聖力が突出しています。もちろん、ローズ様の十二歳の頃と比べたらまだまだですが……」
キンバリーは深く息を吐いて、目を閉じてから言う。
「エステルを聖女候補にすると聞いた時は、とうてい彼女には務まらないと思いましたが……今はそうは思いません。きっと、エステルならば成し遂げるでしょう。ローズ様のご慧眼おみそれいたしました」
「いっいえ……! そんなことはないけど!」
ローズは焦って首を振った。
(私、本当は人を見る目なんてないのに……っ! キンバリーは誤解しているわ)
もしローズが洞察力に優れているなら、未来でルシアを次期聖女に指名したりはしなかっただろう。キンバリーが冤罪を着せられて追放されることも阻止できただろうし、エステルの虚言にも気付けたはずだ。
(これは罪滅ぼしでもあるわ……正しい方向に皆を導かねば……)
そのためにローズは必死なのだ。
(しかし、キンバリーがこんなにエステルのことを評価しているなんて意外だわ)
元々キンバリーは公平な性格で、誰かをひいきすることも不当な評価をすることもない。
エステルがキンバリーと話している時の態度はごく自然で、神殿女官長に恨みを持っているようには見えなかった。
(やっぱり、エステルがキンバリーに何らかの恨みを持って罪を着せたという線は薄そうね)
「私もエステルは見込みがあると思っているわ。次期聖女に指名する前に、色々と彼女のことを知りたいと思って、キンバリーを呼んだの」
そうローズが言うと、キンバリーは納得したように表情を緩めた。
「そうでしたか。何でもご質問くださいませ」
「そうね……じゃあ、エステルの身の上を聞かせてくれる?」
「ええ。エステルはレグ村の出身で、二年前──十歳の時に神殿に入りました。パルノア教の女性神官が巡礼の最中で、たまたま村に立ち寄った際にエステルを見つけたそうです。……彼女はとても貧しい家の出で、定期的に村に帰っては母と弟達に神殿から受け取ったお金の大半を渡しているようです」
「そうなの……」
神殿は聖力がある者は身分問わず受け入れている。ゆえに神殿女官には貴族から元奴隷まで、さまざまな身分の者がいた。
だが、神殿女官のほとんどが貧しい家の出身だ。神殿女官になれば周りから尊敬されるし、毎月少なくない生活費をもらえる。
対して、貴族の女性は聖力があっても名乗り出ない者が多い。せっかく貴族の家に生まれたのに、誉れになるとはいえ、わざわざ苦労する道を選ぶ者は少ないからだ。そんな時間があるなら結婚相手の選別や、ダンスなどの教養に時間をかけたいと思う者が多い。
(私は神殿入りを迷わなかったけれど……)
公爵令嬢の身の上で、それは非常に珍しい。
ローズは八歳の時に前聖女に出会って、激しく感銘を受けた。優しく人々を癒す彼女の姿を見て、自分もそうなりたいと思ったのだ。
そして類まれな巨大な聖力を持っていたローズを、前聖女はあたたかく受け入れ、すぐに次期聖女として指名してくれた。
(私にとって、このお役目は天職だと思っているから……)
だが、神殿女官の中には収入目的に入る者もいる。
何を目的に神殿に入るかは人それぞれなので、ローズは気にしていなかったが……。
キンバリーは、よく『私が神殿女官になったのは神への愛のためです』と、うっとりと胸に手を当てて話している。
(お金のために……エステルは神殿に入ったのかしら?)
だから聖女にふさわしくない、ということは全然ない。だが、何かがローズの脳裏に引っかかった。
「もう少し、詳しくエステルのことを知りたいのだけれど……」
そうローズが言うと、キンバリーは少し困ったような顔をした。
「すみません……今はこれ以上のことは分からなくて……ああ! でも、彼女が神殿に入った時の書類一式が私の管理している書庫に保存してあったはずです。それには、もっと細かいエステルの生い立ちや、志望動機が書かれていたはず。調べておきますね」
「いえ、良いの。キンバリーも忙しいもの。その書庫の鍵を貸してくれる? 自分で調べるわ」
「しかし、ローズ様の手をわずらわせるわけには……」
「良いから。次期聖女の選定は、私の役目でもあるもの」
ローズの言葉に、キンバリーは恐縮しつつも腰につけていた鍵束の中から二つの鍵を取って差し出した。
「スペアキーはないので、なくさないようお気をつけください。こちらの大きな黒い鍵は大部屋の鍵で、雑多な書類束があります。そして、こちらの銀の鍵は大部屋の奥にある小部屋の鍵です。主に重要書類をしまっているのが小部屋です。エステルの書類は小部屋にしまってあるはずです。……大部屋の方は定期的に神殿女官に掃除させているので綺麗ですが、小部屋の方は……その……大変お見苦しいですが、私がたまに空いた時間に掃除するだけですので、埃がかぶっているやもしれません。ご容赦ください」
「構わないわ」
ローズはキンバリーから二つの鍵を受け取る。
そしてキンバリーを下がらせる前に、もう一つだけ質問をした。
「ねえ、キンバリー。エステルはルシアと話したりすることはあった?」
その問いに、キンバリーは少し目を丸くしてから首をひねる。
「ルシアですか? そうですね……エステルとルシアは同い年の同期なので、他の女官達より話すことは多かったようです。一緒にいる姿もたびたび見かけましたし、仲は良かったんじゃないでしょうか」
「そう……。話してくれて、ありがとう」
キンバリーが立ち去ってから、ローズは深くため息を落とした。
(エステルとルシアは仲が良かった……? ということは、ルシアを追放した私をエステルが恨んでいても不思議ではないけれど……)
しかし、やはり友達というよりは、エステルはルシアに怯えているように見える。
ローズは手のひらにある二つの鍵を硬く握りしめた。
神殿の書庫の鍵を開けて中に入ると、壁いっぱいの本棚にはたくさんの本や書類が整理されて並んでいた。信者の名簿や治療の承諾書などもここに収められている。
ローズは奥にひとつだけある扉を銀の鍵で開けた。
「うん……思っていたほど汚れていないけど」
几帳面な女官長らしく、定期的に掃除はしているようだ。埃をかぶっているかも、というのは心配性の彼女ゆえの発言だったのかもしれない。
ローズは名前順になっている神殿女官のリストからエステルの名前を調べた。すぐに見つかったファイルを手に取って中をあらためる。
「ふむ……キンバリーが教えてくれたこと以上の情報はなさそうだけど……」
その時、はらりと一枚の用紙が床に落ちた。拾い上げると、それは巡礼者ノーリーン・マクミランの推薦状だった。
神殿女官になるには神官や神殿女官の推薦が必要になる。そして書類一式を冬の終わりまでに王都の大神殿に提出して、毎年春に大勢の神殿女官達が入ってくるのだ。
その推薦状は、ごくありふれた物に見えたが──。
「……あら?」
文字に違和感をおぼえて、ローズはエステル自身が書いた身辺書類と巡礼者ノーリーンが記した書類を見比べる。
(似ている……?)
数字の書き方や、名前の癖などの一致。
ローズは窓辺に向かうと、二枚の用紙を重ねて透かしてみた。やはり、細かい癖が重なっている。
──つまり……。
「この推薦状は、エステルが自分で書いたということ……?」
(どうして、そんな真似を……)
神官達は聖力がある者を見つけたら推薦状を書くのが義務とされている。書いたお礼に報酬なども受け取ってはならない決まりになっているのだ。だから巡礼者ノーリーンが拒否したからという訳ではないだろうが……。
しかし、書類の故意の偽造は罪に問われる。そんなことをする者は神殿女官としてふさわしくないとされ、見つかったら下手したら追放されてしまうかもしれない。
ローズはしばし黙考する。
(どうしてエステルがそんな危ない橋を渡ったのかは分からないけれど……たとえば、書類の偽造をルシアに知られてしまったから、言いなりにならざるを得なかった……という可能性はあるかしら?)
分からないことが多すぎる。
しかし、あの貧民街イシュタークでルシアは刺すような眼差しをローズに向けてきた。
おそらく、ゴードンの元に身を寄せたが邪険にされたのかもしれない。あの時にコルケット伯爵が『他の神殿女官はルシアより治癒力はある』などと、彼女を軽んじるような発言をしていたことからも、そうとしか思えなかった。
──そして、おびえたエステルの態度……。
「これから何かが起こるかもしれないわね……」
ローズは眉をよせて、そうつぶやいた。
そして、エステルに密かに見張りをつけることを決める。念のためにディランにも報告しておかなければならないだろう。
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