第11話 両想い
その日の晩、沐浴を済ませたローズは聖女の間でワインを飲んでいた。体を清めてすっきりしているし、後は寝るだけである。
普段だったら扉の前に衛兵がいるので、護衛騎士は下がらせてしまうのだが……。
今日は月が綺麗で、さわやかな空気がテラスからレースのカーテンを揺らしていた。なんとなく離れがたくなり、ローズはディランに向かって言う。
「ねえ、ディラン。ちょっと話さない?」
「──ええ、喜んで。俺もちょうど、ご報告したいことがありましたので」
その彼の返答に、ローズはびっくりする。いつもだったら、『身分が違いますので』と固辞していただろうに。
「そっそう。じゃあ座って?」
そう言って自分の向かいの席に促すと、ディランはおとなしく腰かけた。それにローズは仰天する。
「どっどどどどうしちゃったの、ディラン!?」
「……じつはそろそろ王子として宮殿に名乗り出たいと思っていまして……。それでローズ様に口添えをいただけないかと」
ローズは目を丸くした後、朗らかな笑みを浮かべた。
「──そう。ディランがそう決めたなら良いと思うわ。もちろん協力させてちょうだい。国王に書状を書くわ」
「それと……もし王子として認められた際は、俺はここを出て行かなければならなくなります。今後はローズ様の護衛もできません」
「そう……ね」
それは分かっていた。
ディランが王子としての立場を確立するためには、神殿を離れなければならない。
頭では理解していたことなのに、なぜか想像しただけで傷ついた。これまでは、あえて考えないようにしていたのだ。彼がこれまでのようにずっとそばにいてくれるような気がしていたから。
(そうか……ディランと離ればなれになっちゃうのね……)
もちろん永久の別れではないだろう。
けれどローズは聖女として日々の務めがあり、ディランは王太子としてこれからは忙しくなる。
これからは気軽に会えなくなる。面会するのだって、いちいち手紙を書いて日時を決めて……と回りくどいことをしなければいけなくなるのだ。
(ああ……嫌だな)
ディランが王太子になるのはおめでたいことなのに。
応援してあげなくてはいけないのに、名残惜しくて心からそれができない。そんな自分が嫌になってしまう。
彼が周囲から認められることは嬉しいのに、やはり離れていくのは寂しい。今は笑顔を顔に貼りつけているだけで精一杯だった。
「だからローズ様……」
「ん? なに?」
うつむいていた顔を上げると、ディランが真剣なまなざしをしていた。
思わずドキリとする。こんな表情を見たことがない。心臓が早鐘を打ち始めた。
「……あなたが許してくれるならば、どうか今後も俺と共にいていただきたいのです」
「…………え?」
一瞬意味がわからず呆然としてしまう。
しかしすぐにその意味を理解して、胸の奥がじんわりと熱くなった。
(えっと……それってつまり……?)
期待しても、いいのだろうか。
この先も変わらず自分と一緒にいたいと思ってくれていると。
「あの……私なんかでよければ……」
頬が赤くなっている自覚がある。恥ずかしさに消え入りそうな声になってしまった。それでもちゃんと聞き取ってくれたらしく、ディランの顔がパッと明るくなった。
そして彼はテーブル越しに身を乗り出すようにして、まっすぐこちらを見つめてくる。
「ありがとうございます……! 嬉しいです」
そう言ってディランはローズの手を取った。その青い瞳が熱を帯びている。
なんだかとても照れくさかった。
(あ……でも……)
ローズは自分の手を見下ろす。
せっかく綺麗にしてもらったばかりなのだが、緊張で汗ばんでいた。
いつもなら気にならないのだが、こういう時はとても恥ずかしい。
慌てて手を引こうとしたのだが、それより早くディランに抱きしめられる。
「……逃げないでください」
「……逃げてなんか」
そう否定するものの、もしかしたら怖いのかもしれない、とローズは自分の気持ちに気付いた。こんな幸福を素直に受け入れることが。
十六年もゴードンに冷遇され続け、密かに想いを寄せていたディランにも告白することもできず、気持ちを押し隠してきたせいだろうか。
──今度こそは自分に正直になりたいと思っているのに。
「……キスしても良いですか?」
そう問われて、ローズは視線をさまよわせた後、ちいさくうなずいた。顔が茹でたタコのように赤くなってしまっているのが恥ずかしくて、目元を手で押さえた。
するとディランはそっとローズの指に唇を重ねてきた。
ローズはビックリして、手を目元から離してしまう、
ディランはとろけるような目で、微笑んでいた。
「……今はこれで十分です。十七年も我慢してきたので、あと少しくらいなら耐えられます」
「ディラン……」
「その代わり、抱きしめさせてください」
そう言われて、ディランはローズをぎゅっと抱きしめた。
異性から抱擁された初めての感触に戸惑う。けれど温もりが心地よくて、そのまま身を任せた。痛いほど高鳴っている心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
「おそばを離れてしまって、すみません。手紙を書きます。……たくさん書きますから」
ディランが切なそうな表情でそう言う。
寂しいと感じてくれているのは彼も同じだと気付いた。
「……うん。私もたくさん手紙を書くからね」
ローズはそう言って微笑んだ。もう先ほどまでの寂しさは感じなかった。
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