第10話 本当の力
救貧院の院長は、恭しい態度でローズを出迎える。
「聖女様、ようこそおいでくださいました」
「一か月ぶりですね、院長。壮健そうで、何よりです」
ローズは微笑み、院長の礼を受け入れる。
その挨拶が終わった瞬間、待ちわびた幼い子供達がいっせいにローズの元に駆け寄ってきた。
「聖女様聖女様! ぼく、こんなに背が伸びたんだよ」
「このみつあみ、素敵でしょう? 自分で結べるようになったのよ!」
「せいじょさま、ボク……よなかでも、ガマンせずトイレに行けるようになりました。でも、いんちょう先生といっしょにですけど……」
わらわらと群がってきた子供達が同時に話し始めてしまい、ローズが苦笑しながら「すごいわね」と一人一人に対応していると、院長が「これ、これ、やめなさい」と子供達を制する。
「すみません、聖女様。皆、聖女様がいらっしゃるのを楽しみにお待ちしておりましたゆえ……」
恐縮して言った院長に、ローズは首を振る。
「本当はもっと頻繁に来られたら良いのですけれど……」
「いえいえ! 聖女様がお忙しいことは存じ上げておりますので! 足を運んでくださるだけでもありがたいです。お気遣い、感謝いたします」
街に四つある救貧院に、ローズは月に一度ずつ訪れていた。月に一度とはいえ、ローズからしたら週に一度はどこかに慰問に行っていることになる。来訪日数を増やしたくても、他の業務もあって、なかなか手がまわらないのが現状だった。
(でも、ゴードン様の治療をしなくて良くなったから、これからはもっと頻繁に来られるかもしれないのよね)
ローズは、今日は自分の力を試してみようと思っていた。
子供達はローズに随行してきた顔なじみの神殿女官達や、護衛騎士達にもきさくに絡んでいる。もっとも、ある年齢以上になると恥ずかしくなるのか、救貧院の正面扉の影からローズを窺うようになるのだが。
視線に気付いたローズが扉の影に向かって手を振ると、半分だけ見えていた子供の顔が慌てて引っ込んだ。そして、また扉からニョッキといくつも顔が出現する。
杖を持った老人達が救貧院の窓から、ローズに向かって手を振っていた。
ここにいるのは、医者にかかれないほど貧しい者達だ。
「さあ、こちらへ」
一通りの挨拶を済ませた後、ローズが案内されたのは、二段ベッドが六組ほど並んだ大部屋の一つだった。
熱を出して臥せっている老人が一人と、膝を擦りむいて怪我をした子供が一人いる。
「ローズ様、私達はどちらを治療しましょうか?」
そうキビキビした口調の神殿女官が声をかけてきた。通常、慰問を行う際に聖女は複数人の神殿女官を連れて来て、手分けして病人を治療するのだ。
「そうね。私が横になっている老人を治療するから、あなた達はあの少年を……あっ、いえ……少し待ってくれる?」
いつものように指示を出しかけて、ローズは思案する。
以前よりも体内に聖力がみなぎっているのを感じた。
おそらく無限に聖力を吸い続ける不治の病のゴードンの治療をしなくて済むようになったからだろう。これまではたった週に一度しか会わない彼に癒しの力の大部分を持っていかれていたから、救貧院に来ても一人ずつの治療しかできず、神殿女官達の力も借りなければならなかった。
でも、今は違う。
このくらいの救貧院の規模ならローズ一人でも治癒できそうな気がした。
(やってみよう……)
目を閉じて体に流れる聖力を意識しながら、治癒の力を体外に向かって広げる。
「ローズ!?」
そう声を発したのは、ローズの一番近くにいたディランだった。
ローズから放たれた淡い光がその部屋を──いや、救貧院全体を包み込み、キラキラと空中に残滓を撒き散らしながら消えていく。
誰もが驚いた顔をして、空中に手を伸ばした。
「これは……聖女の癒しの力?」
「まさか、
エリアヒールができる者は、これまでの聖女に一人もいなかった。ゆえに伝説の中だけのものだと考えられていたのだ。
──それが『歴代最弱の聖女』と影で馬鹿にされていたローズがやってのけたのである。
呆然としている神殿女官達に向かって、ローズは誤魔化し笑いをする。
(お、おかしいな……全力ではやってなかったんだけど。お試しだから、何度もやってみるつもりで軽くしたはずが……)
同じく目を丸くしている院長に向かって、ローズは言った。
「たぶん、救貧院の人達みんなに治療できたと思うわ。確認していただけるかしら?」
「はっ、はい! すぐに急いで……って、なっ!? ワシの持病の関節痛も治っておるだと!?」
驚愕の表情で、院長は膝に触れながら叫んだ。その後に数歩歩いたかと思うと、まるで十代の若者のような軽快な動きでステップを踏む。
「こ、これなら、膝が痛くなって辞めてしまった趣味のダンスを再開できます!」
院長に手を握って感謝され、ローズは微笑んだ。
「それは良かったです。……でも膝が痛かったとは存じ上げませんでした。おっしゃってくだされば、今までも治療しましたのに」
そう言うローズに、院長は目じりのしわを深める。
「いいえ。ワシよりも、院にいる他の者達を優先して欲しかったのです。皆を癒してくださり、誠に感謝いたします」
「院長……」
その時、足音をいくつも響かせて老若男女が大部屋に入ってくる。皆、これから見回って治療するはずだった者達だ。けれど今は全員が溌溂な様子だった。
「聖女様! 見てください、この動き! こんなに体が軽いのは何年ぶりか! おや院長、まるで若い時のような動きじゃないですか! これなら、また一緒にファイヤーダンスができますな!」
先ほど窓から見えた杖を突いていた老人がスキップを披露しながら、そう言う。
その場にいた人々は、ローズがこれまで見たことがないほど明るい表情をしていた。
ローズは胸元で拳を握りしめる。
(……もっと早くこうしていれば良かった)
十六年間、婚約者を治療しても感謝されず、周囲からも最弱聖女と馬鹿にされ続けた。
これまでしていたことの報われなさに気付いて、胸を締め付けられる。けれど、何より辛いのは、これまで救えたはずの人を救えていなかったことだ。
その時、ふっとローズの背中を温かな手のひらがポンポンと叩いた。ディランだ。彼は慰めるように言う。
「……これから色んな人を救っていけば良いんです。もちろん、できる範囲で。あなたは、これまでもこれからも最善を尽くしてきました。それは、そばにいた俺が一番よく知っています」
その言葉が胸に染みて、ローズは目じりに涙を浮かべて、うなずく。
辛い時も苦しい時も、どんな時でもディランはローズをそばで支えてくれた。十六年間も何も言わず。
(……こんなの、好きになるに決まっているじゃない)
気持ちを押し殺していたせいで、あんなひどい目に遭ったのだ。これからはもっと自分に素直になりたい。
これからは彼に好意をアピールしていきたいが……長年、主従を続けてきたせいか、どうやって一歩が踏み出せば良いか分からなかった。
ふと、ローズは先ほどのことを思い出す。
(そういえば、さっきディランに何と呼ばれたかしら……)
「……さっき、もしかして私のこと呼び捨てにした?」
エリアヒールをかける時に、ディランに昔のように呼びかけられた気がしたのだ。気のせいかと思ったが、ディランは肩を一瞬揺らして顔を背ける。
「……気のせいです」
「……本当に? 良いのよ、昔みたいに呼び捨てにしても」
「それは……いけません……その、今はまだ」
ディランはわざとらしく咳払いする。わずかに頬が染まっているように見えた。
「今はまだ?」
「ええ。今は無理です」
「どうして?」
「…………」
ディランは沈黙し、やがて意を決したように口を開く。
「俺は今、あなたの従者なので。俺にとって、あなたは生涯をかけて仕えるべき大切なお方だと思っていますから。それに……その、まだ心の準備ができていなくて……」
最後の方はごにょごにょとしていて聞き取れなかったが、ローズは目を瞬かせる。
(心の準備?)
意味がよく分からないが、とりあえず納得しておくことにした。
「まあ、いいわ。いつかまた呼んでくれる日が来るまで待っているわね」
(それに私もいきなり呼び捨てにされたら、心臓が持たないかもしれないし……)
想像するだけで照れてしまうのだ。いつかくるかもしれないその時までに、心の準備をしておかなければ。
(……これから、ゆっくり前進していけば良いわよね)
──まだ二人の時間はたっぷりあるのだから。
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