第8話 愚かなゴードン(前)

 少し時間はさかのぼる──。

 ゴードンは先ほどまで神殿の聖女の間にいたはずなのに、なぜか王都にある伯爵家のタウンハウスの寝室にいた。

 しかも、ベッドに横たわる裸の自分の上に巨乳の女性が跨っていたのだ。


「は? なんだ、お前! 無礼な……ッ」


 そう言って突き飛ばすと、下着姿の女は怒りの表情で言った。


「あなたが誘ってきたんでしょう!? 途中で止めても良いけど、ちゃんとお金は払ってよね!」


 そう言って彼女は手のひらを天井に向けた。


(なんだこれは……!?)


 まったく状況が分からない。しかし、この女性には見覚えがあるような気もした。とは言っても名前すら浮かんでこない状況ではあったが。

 ゴードンはたびたび娼婦を呼んで楽しんでいたので、おそらくその一人だろうと当たりをつける。

 舌打ちした後、ベッド脇の引き出しから銀貨を一枚取り出して女性に投げつけた。

 女性は顔をしかめてそれを拾い上げ、銀貨を見せつける。


「ハァ? 銀貨一枚?」


「まだ何もやってないんだから、それで十分だろう! 出て行け!」


 まだ何か文句を言いたそうにしていたが、ゴードンが伯爵家の令息だから分が悪いと思ったのだろう。女性は衣服をつかんで、荒々しく扉を閉めて出て行った。


「クソッ……なんだ、この状況は……?」


 ゴードンは裸の自分の格好を見おろす。

 そして周囲に目を向けて──壁にかけてある姿見に目が釘付けになった。


「ん?」


(なんだか、少し若々しいような……? 前は下腹が少し出ていたのに……俺って、こんなに体が引き締まっていたか? まるで二十歳くらいの頃みたいだ。フン、俺も捨てたもんじゃないな)


 そのまま上腕に力を入れてコブを作ってみたり、背中の筋肉を鏡越しに見た。「悪くない」とニヤリと微笑む。


「それにしても、何が起こったのか……」


 水差しの水をコップにそそいで飲み、しばらく思考していた。

 すると、バタバタと慌てたような足音がして、忙しないノックがされる。入室を許可すると、現れたのはメイドだった。


「お坊ちゃま、ルシアと名乗る神殿女官がいらっしゃっておりますが……お通ししますか?」


「ルシアが?」


 二十二歳の時に伯爵位を継いでからは、ゴードンは邸の使用人達から『旦那様』『ゴードン様』と呼ばれていた。

 昔からの呼び方をされて反発心を覚えたが、今はそれどころではない。


「では、すぐに着替えを。──ルシアを通してくれ」


 そうして現れたのは、ゴードンの知る彼女ではなかった。


「お、お前……その格好はどうしたんだ!?」


 身長が十センチは縮んでいる。それに、はちきれそうだった胸元は断崖絶壁になって寒々しい。見た目からすると六歳以上は若返っているように見える。


「ゴードン様だって、六歳も若返ってますよぅ! 私達、過去に戻っちゃったみたいです!」


 唇を尖らせて言うルシアに、ゴードンは「なにぃ!?」と叫ぶ。

 ソファーに座らせて話を聞けば、ルシアも神殿で目覚めて、ただの一女官だった頃に戻ってしまったのだと言う。しかも、ローズとディランも記憶を持ったまま過去に戻ってしまったせいで、彼女は神殿から追放されてしまったのだと。


(つ、追放されただと……?)


 それはゴードンにとって寝耳に水の出来事だった。若くて巨乳な聖女のルシアを妻にする計画が破綻してしまう。


「ゴードン様! 私、行く当てがないんです。こちらに置いてくださいますよね?」


「あっ……う、うむ! もちろんだとも」


 わずかに言いよどんだのを目ざといルシアは見逃さなかった。


「私達、愛し合っていたじゃない! あなたのために子供まで作ったのに……っ! この姿になっても当然愛してくれるんでしょう? 愛しているのは私だけって言ってくれたじゃないの! ローズは芋くさいから全然好きじゃないって!」


「そっそれは……もちろん! ローズなんて興味ないさ。きみのことを愛しているからな……」


 ゴードンは言いよどんだ。そして十二歳のルシアを上から下までじっと眺めて唸ってしまう。

 考えていたことが表情から伝わってしまったのか、ルシアは目を吊り上げた。


「若い方が好きだって言ってたじゃない! ローズは年増だから興味ないって!」


「げ、程度がある! 俺はロリコンじゃない!」


 ゴードンは生粋の巨乳好きで、幼児趣味はなかった。今のルシアでは抱くことはできない。抱擁ならできるだろうが。

 ルシアが剣呑な目つきになるのに気付いて、ゴードンは慌てて首を振った。


「もっもちろん、将来のきみは体ごと愛するよ。だが今はプラトニックだ。純愛だ! ……そ、そう! きみが大人になるまで待ちたい。これはルシアを大事にしたいからなんだ」


 ゴードンは口先だけで、それっぽいことを言った。

 どうにかルシアは納得してくれたようだ。


「まあ、純愛なら良いですわ。でも私が大人になるまで浮気しないでくださいませ」


 つい、ゴードンはウグッと呻いてしまったが、ルシアに黙殺される。


(クッソ……これじゃ、婚約破棄は早まったか?)


 ゴードンにとって、豊満な体を持つルシアは魅力的だった。しかもローズと違って若く、次期聖女という肩書きもあった。

 しかし今の彼女はゴードンが普段目もくれないような貧乳の少女で、しかも聖女候補ですらなく神殿から追放された身だ。完全に厄介者である。


(どうせ妻にするなら自慢できる相手が良い。そして巨乳。これだけは外せない)


 しかし、ルシアが六年経って巨乳になったとしても、今ゴードンは二十歳である。性欲ビンビンの年頃なのに女遊びをせず、ロリ体形のルシアだけを精神的に愛し続けるのは無理だった。


(これだったら、まだローズの方がマシだな……あの女は巨乳ではないが、そこそこの大きさだった。次期聖女になるくらいの治癒力はあるとはいえ、今はただの幼女だし、妻にするには平民で、今は何の身分もない。まあ、六年後なら愛人にならしてやっても良いが)


 ゴードンは顎を撫でながら思案する。


(こうなったら、ローズを言いなりにして婚約を続けるのが最善だろうな。そして若い年齢のうちに──できれば早々にローズに聖女を辞めさせて伯爵家に嫁入りさせよう。その後ルシアには適当に言い聞かせるか、邸から追い出せば良い)


 ゴードンはあんな婚約破棄騒動があった後でも、自分が優しくすればローズが自分と結婚したがると疑っていなかった。

 十六年間、邪険にされながらも治療という建前でローズがゴードンに会いに来続けていたのは、彼女が自分にぞっこんだからだと分かっているのだ。


(それに今はルシアの腹の中の子は消えた。だったら、ローズも結婚前の火遊びは許してくれるはずだ。──いや、結婚してからも愛人は作るんだから、いちいち、そんなことに嫌とは言わせない。これからはあいつも伯爵夫人になるんだから立場を弁えてもらわねば)


 公爵夫妻は婚約破棄なんて外聞の悪いことは了承しないだろう。

 しかし、ゴードンのその目論見は裏切られることになるのである。

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