第7話 ディランの覚悟
しばらくローズは両親となごやかな会話を楽しんでいたが、神殿女官に呼ばれて出て行く。
ディランはいつものようにローズに付いて行こうとして──ネルソン公爵に呼び止められた。
「ディラン、久しぶりに少し話さないか」
「しかし……」
その申し出は嬉しかったが、ディランは護衛騎士としてローズを護る任務がある。
しかしローズは、にっこりと笑みを浮かべた。
「あら、たまには良いじゃない。護衛は別の人に頼むから大丈夫よ。気にしなくても、すぐ戻ってくるから安心して」
そうローズに言われて、ディランは迷いながらも了承した。ディランはネルソン公爵に恩義があるため無下にしたくはなかった。
ローズの専属護衛騎士とはいえ、ディランの食事や私的な時間などはローズを護ることができない。そのため数人の護衛騎士で交代しながら警護しているのだ。
とはいえローズのそばを離れることは、いつも気が気ではないのだが……。
ローズが出て行くと、ネルソン公爵は口を開いた。
「……あの子は親にも気を遣う性格だからね。もしかしたら、まだ本人が言えてないことがあるんじゃないかと思ってね。きみはローズのそばにずっといただろう? 娘の代わりに教えてくれないか?」
ディランは躊躇した。主のことを勝手に話して良いものだろうか、と悩んだのだ。
しかしローズが両親に伝えたことはかなり端折ったものだ。ローズの十六年間の苦労は一言二言で表せるものではないし、彼女がどんな目に遭っていたかをしっかりと話しておきたかった。
「それは……」
ディランは表面上だけは冷静に、事実を淡々と話していく。そのたびに公爵夫妻の顔色が怒気で赤くなったり青ざめたりした。
ゴードンを治療してもローズは感謝もされず、息子を溺愛する伯爵夫人からは十六年間いびられてきた。
婚約者の治癒のために聖力の大部分を使用していたために周囲からは最弱聖女と影で馬鹿にされて、それなのに伯爵家はそこまでの代償をローズが払っていることに無自覚だった。
──考えるだけで苛立ち、ゴードンを殴りたくなってしまう。
ローズは知らないことだが、この一週間の間にゴードンからは『会いに来い』と彼女に催促する手紙が何通も届いていた。ディランはその手紙をことごとく潰し、神殿には伯爵家の者が来ても取り次がないように門番に指示している。
(……ずっと、彼女を支えたいと思っていた。けれど聖女で公爵令嬢の彼女のそばにいるためには従者に徹していなければならなかった)
公爵領でも身分の差はあったが、幼少期のローズはそんなものに物怖じしなかった。そばに年齢の近い子供がいたら遊ぶのが当然という感じで、奴隷だった自分とも気にせず付き合ってくれていた。
(──そんな彼女を好きにならずにいられるわけがない)
ディランの他にも彼女に好意を持った少年はたくさんいただろう。それほど彼女は朗らかで幼い頃から魅力的だった。
それなのに、ローズはゴードンと婚約してから表情に影を落とすようになった。
聖女という大任のために常に笑顔の仮面を身に着けるようになり、快活だったのに自分の殻にこもるようになってしまった。どんなにゴードンや伯爵夫妻から罵倒されても、動じることなく聖女の微笑みを浮かべていられるくらいになってしまった。それはとても不幸なことだと思う。
ディランにはローズの姿がとても痛々しく見えた。
だから、せめて自分と一緒にいる時だけは昔のままの彼女でいられるように会話にも気を遣った。近付きすぎると自分を抑えられなくなりそうだったから、ある一定以上の距離以上はいけなかったが……それでも彼女が少しでも安らげるようにしたかった。
「……ディラン、きみは本当によく仕えてくれたようだね」
ネルソン公爵の言葉にディランは目を剥き、目蓋を伏せて首を振る。
「いえ……私はただの従者ですので……」
元婚約者のゴードンの度重なる無礼からもローズを護ってやることができなかった。矢面に立って彼女を苦しめる全てのものから救ってやりたくても、ディランの前にはどうしても身分という壁がそれを邪魔する。
もちろん気持ちの上では自分の方がゴードンよりもずっと幸せにできるという自負はあった。だが彼女にこれまで同様の贅沢な生活をさせられるような財力も身分もなく、それどころか目上の者に逆らえば命すら危うくなってしまう状況で。彼女を護るためなら自分はどうなっても構わなかったが、そうなったらローズはディランを護ろうとしてしまうだろう。彼女に迷惑をかけられなくて、いざという時に助けることもできなかった。
「いや、きみがいなければ、きっとローズはもっと苦しんでいたと思うよ。本当にありがとう」
「……っ!」
ディランにとって最高の褒め言葉だった。
その言葉に背中を押されて、ディランはその場で片膝をついて、ネルソン公爵夫妻に向き直った。
「どっ、どうしたの!? ディラン」
突然のディランの行動に目を丸くする二人。
(せっかく六年前に戻れたのだから、もう後悔しないように生きたい)
元婚約者のゴードンの裏切り。ローズをないがしろにしてきたこと。いくら彼女が望んでも、ディランの心が悲鳴を上げて、これ以上は受け入れられなかっただろう。幸い、今はローズも婚約解消を望んでいる。
男としてローズのそばにいるためには、彼女に釣り合うだけの身分がいる。
「ネルソン公爵、そして公爵夫人。……俺はあなた方にお願いがあります。ローズ様を貰い受けたいのです」
そして、自分が国王の落胤であることを話した。
ディランは王族特有の能力が使えると分かってから、どんな魔法が使えるか連日調べていた。そしてディランが扱えるのは火、水、氷、風、土の全属性魔法だと判明した。それほどの能力を持つ王族はこれまでの歴史の中にはいない。
(きっと、国王は俺を歓迎するだろう)
国王に姫はいるが王子はいない。まずは嫡子として認めてもらわなければならないが、この力を以てすれば難しいことではないはずだ。
「……ネルソン公爵には返しきれないご恩があります。奴隷だった俺を平民にしてくださり、面倒も見てくださった。恩を仇で返すような真似をするな、と言われたら、返す言葉もありません。ですが、本気なんです。──無事に王子と認められたら、ローズ様に想いを告げたいと思っています。どうか私に、お嬢様を口説く許可をいただけませんか?」
ディランの言葉にネルソン公爵は顔をしかめている。愛する娘に求婚する男を面白く感じないのだろう。
しばらくして、「あなた……」と、公爵夫人が遠慮がちに夫の袖を引っ張った。
「良いじゃない。ずっとディランはローズのことを見守ってくれていたもの。私も彼ならローズを任せても安心だと思うわ」
「しかし……ううむ。……分かった。口説くのは許そう。だが、ローズが嫌がるようなことをするな。いくら王子になれても、娘が拒否するなら認めない」
断固とした口調でそう言われ、ディランも真面目な表情でうなずく。
「もちろんです。ローズ様の望みを優先します」
緊張の糸が切れて、ディランは安堵から頬を緩ませる。
ネルソン公爵は娘を奪われるのが気に入らないのか、むっつりした様子だ。完全に拗ねていた。そんな夫の様子に苦笑して、公爵夫人はディランに話しかけた。
「ねえ、ディラン。あなた、昔からローズのことが好きなんでしょう? ローズもあなたのことが好きなんじゃないかしら。どうして、まだそのことを伝えていないの?」
「えっ!?……いえ、それは……」
「あら、ローズもまんざらでもないみたいだけど。……だって、ローズも私の元に手紙をくれていたけれど『ディランが優しい』とか、『一緒にいると落ち着く』って言っているんだもの。……私は遠い地にいる娘のことをいつも心配していたのよ。ローズからの手紙にはいつもあなたのことしか書かれていなかったわ……だから私はあなた達の結婚に賛成よ」
「……ありがとうございます」
ディランは胸の奥が熱くなった。
もしも本当にローズが自分のことを好いていてくれるなら、どれほど嬉しいだろう。幼馴染や護衛騎士ではなく、一人の男として認めてくれていたとしたら。
「……ディラン、ローズのことよろしくね」
「はい、必ず幸せにします」
公爵夫人の言葉にそう答えて、ディランは頭を下げた。
ローズのためにできることは何だろうか。彼女のために何ができるのだろうか。
今のディランは、そのことを考えるととても幸せな気持ちになる。
もし王太子になれれば、もっとローズのためにできることが増えるはずだ。
ネルソン公爵は黙り込んで、まだそっぽを向いている。
ディランはふと思いついて、場の雰囲気を変えるためとネルソン公爵に気になっていたことを尋ねた。
「ところで、ローズ様のブレスレットは聖遺物だと思うのですが……あのブレスレットについて何かご存じありませんか?」
「ああ、そう言えば、さっきもローズがそう話していたね。でも僕は聖遺物について詳しくは知らないんだ。古くから公爵家に伝わっている物だけど、いったいどこから手に入れたものなのか……」
ネルソン公爵は顎を撫でながら思案げに言う。
「もしかしたら、宮殿の禁書庫になら何か聖遺物についての記録があるかもしれない。ただし、あそこは王族しか入れないけどね」
聖者アシュについては、かつて焚書で多くの記録が失われている。
だが、宮殿の禁書庫には歴史の中で埋もれた書物がたくさん残っているのだと、ディランも小耳に挟んだことがあった。
(禁書庫か……調べてみる価値はありそうだな)
ブレスレットがどういう時に発動するか調べておかねばならない。ローズのためにも不測の事態にも備えておくのが護衛騎士の役目だ。
「聖遺物は偽物も多いが、本物には人知を超えた力があると言われている。しかし、それは使う者によっては毒にもなるだろう。十分気をつけなさい。……ローズをしっかり護ってやってくれ」
そう最後はネルソン公爵に小声で言われて、ディランは表情を崩した。そして「心得ておきます」と神妙にうなずくのだった。
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