水の妖精

 月の神は水の神

 昼は育て、夜には奪う

 善悪邪正の区別なく

 流れるように生きるもの

 欲も情も持ち合わせず

 瞬く間に生まれて消える



 小さな国には、魔法使いが住んでいる。


 月の神のこどもたち。

水を満たし、火種を点け、風を運び、土で育て、神の手足となって自然を巡らせている妖精たち。

 その中で時折、神や人間のように自我をもつ個体があられる。

 ひとりひとりが強い魂をもち、妖精の仕事ではなく、自分の意志で魔法を使うことができる。

 そして、自分の魂の願いに耳を傾け、それを叶えることを喜びとした。


 それらは《魔法使い》と呼ばれていた。



○○○○○



「? ????」


 水の妖精のひとりだった。

 国の最端。海岸線で、見慣れない生き物を発見した。のっぺりとした表面に、色のついた細い草束。それはこの世界には生息していない人間という生き物だった。


 そもそもこの世界に人間はいない。

 この小さな国にあるものといえば、神様に、妖精に、動く木々や花に、石に、泉に、あとは小さな海岸と白波くらいである。

 此世と彼世のあわいにある月の国に人間が来るとすれば、それは十中八九、死人か、死にかけの何かだ。


「……た…………」

「___? いきてる」


 死んだ魂が迷い込んできたような存在だったのだろう。たとえ神であっても、助ける手段はない。魂が肉体の形を忘れてしまえば、地上から離れ、天に登っていく。

 しかし妖精はどうにかしてこの人間を生かそうとした。純心な妖精は、国にある食べ物を運んできたり、自身の拙い魔法をふりかけたり、できる限りの力を使って助けようとした。

 衰弱しているのか回復に向かっているのかもわからないのに、妖精は何としても人間に目を覚ましてもらいたかった。妖精は無垢だった。この際人間が死んでしまうことより、そんなことよりも、助けようとした自分にも気づかず、この美しい国を一目見ることもなく、ただ動かなくなって消えてなくなってしまうことを恐れた。

 妖精は死なない、妖精に死はわからない。

 だが折角出会ったのに、無意味に消えて居なくなってしまうことが悲しく虚しいのには気づいていた。


 昼は海岸と森を行き来し、

 夜は元いた住処の森で眠りにつく。

 朝になると食べ物を抱えて海岸へやってくる。


 妖精は、人間を見守るのが日課になった。



○○○○



 何日か経った頃、人間は薄く目を開いた。


「まだ動かない?」


 人間__人間の子供は妖精を一瞥すると、また瞼を閉じた。眠りについただけだった。

 この国のものを食べさせ、魔力に慣れさせたせいで、身体の一部は人でないものに変質していた。元々透明かかっていた身体は、実体を取り戻す代わりに、色が変わったり違う物質に変化したりを繰り返した。何も食べずにいると、その間だけどんどん透明なった。

 しかし、どれだけ身体の実体が戻っても、起き上がることはできなかった。


 波打ち際でうつぶせに伏したまま、

 昼は妖精の運んでくる食べ物を食べ、

 夜は流木のように眠った。



○○○



 ある日、人間の子は声を発した。

 妖精の声に反応して音を出し、次はもう少し長い音を……それを繰り返して数日経つ頃には音はちゃんとした言葉になった。それでも身体はぴくとも動かなかった。


 会話ができるようになった二人は、波打ち際でおしゃべりをするようになった。

 身体は浜から動かすことができないのでそのままに、辛うじて動く口や眼、声を頼りにした。妖精は人間の体を持ち上げる力はないし、人間の子も何故か体が動ないことに文句は言わなかった。すぐに二人共慣れてきて、片方の身体が動かないことをほとんど忘れてしまった。

 二人は気が向くまま、暇つぶしに色んな話や遊びをした。妖精が魔法で空中や砂浜に絵を描いたり、人間が拙い歌を歌って、お互いの世界の事を語り合った。


 月の子は澄んだ声で、好きなものを語った。

 国にある美しい泉、人間が聞き取れない名前の果実、季節が変わるときだけ起きる魔法のこと。


 人の子はか弱い声で、好きなものを語った。

 もらった色鉛筆、香りのいい白い花、絵本で読んだ冒険譚、一度だけ行った海のこと。


 昼は遊び、

 夜はそれぞれの場所で眠りについた。

 朝になると妖精が食べ物を持って訪れ、日が落ちるまでおしゃべりをした。


 その生活が、二人の日課になった。



○○



 人間は再び衰弱していた。

 今度はいくら妖精が食べ物を運んできても回復せず、最後には口にすらしなくなった。

 日が落ちてもいつまでも食べ物をもってくる妖精に、人間の子は透明な唇を動かして、いつものように好きなものを語った。


「おきたらね、どこも痛くなくて、息が切れるまで走って、振り返っても知ってる景色がないくらい遠くまでいくの」


「わがまま、言ってもいいなら……」


 人間の子が眠りにつくと、いつものように低い波が毛布を掛けるようにかぶさってきた。波を被った身体は薄紙のように浮き上がり、引き上げられると同時に砕け、溶けてしまった。

 水に揉まれた泡が消えてなくなるまで、妖精は唖然として見ているしかできなかった。





「…………あれ……?」


 静かな砂浜には妖精だけが残っていた。

 しかし食べ物を運んできた時の小さな蝶のような姿ではなく、長い手足とやわらかい肌、頭から伸びる髪が風に揺られていた。


 妖精は人間の姿を手に入れた。

 その容姿は、今しがた倒れていたあの少女にそっくりだった。

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