人形夏軌

モミジ

第1話

 「鳳仙花(ほうせんか)商店」に突然置かれた天使の人形、店前を通り過ぎる人々は見向きもせず、春らしくない暑さから逃げるように先を急ぐ。


 ガラス棚の中で優雅に広げる両翼、そんな立ち姿に惹かれ一人の男が足を止めた。長年の塵がレールの溝に詰まり、ガラガラと耳障りな音を立てて戸が開く。


 それは、ある物語の始まりの瞬間の音のように。



 頭の中で数字を唱えながら意味無く指を折り曲げ、高校生の菫斗(すみと)は目の前のガラス棚に置かれた天使の人形の値札を見ていた。一目でおおよその値段は理解できるものの、今まで扱った事ない桁で脳内の計算機から微量の煙が出始める。

 突然、鼻奥を通り抜けていく焦げのような匂い、火元は今いる店の奥。

 菫斗は気になって中を進んでいくが、機嫌悪そうに座る店主らしき老人と視線が合って足を止めた。こめかみ辺りまで揃った白髪と頬まで覆う大きな眼鏡。幼い頃から何度も見かけたことのある人だったが、特に話したことは無い。


 多くの玩具や駄菓子を扱っているがどれも時代遅れのものばかり。

 電池や有線といった平成要素もなく、薄めたシャボン玉や金型で量産された安っぽい光り方をする置物が多い。菫斗はすぐに老人と目を逸らして出口へ向かうが、さっき見た人形が忘れられずにもう一度目を向ける。


 その人形は春空の下で両腕を高く突き上げる。半透明のレースが波打つよう、ゆっくりと靡く情景をうまく表現されていた。

 店の二階に取り付けられた真っ赤なサンシェードの下、菫斗は日に背を向けてガラス棚の前にとうとうしゃがみ込んだ。


そんな姿を老人は暇つぶし程度に目を向け、何度か咳払いをする。


 〝3,000,000円〟と斜めがかった字で書かれた薄い紙、その下に敷かれた赤い布の上には埃が降っているが、それさえも飾りだと思えるほど完璧な造りに惹かれるのだろう。薄茶の瞳は繊細な色彩が施されているが、目元の大半は前髪で隠れている。


 鱗のような作りの羽が背中に二つ、腰元まで伸びた金色に輝く髪の毛、羽と同色の純白のワンピース。目に見えたものをそのまま菫斗は脳内でアフレコしてみたが、無意識に神々しい言葉に変換していたよう、普段使いの無い金色や純白などを使っていた。


 一枚の分厚いガラスを挟んでの鑑賞だったが、全長はおそらく20センチは超えていて羽を垂直に広げてみれば横幅も相当ある。多くの手垢の付いたガラスでさえ、宙に舞った羽が薄く空気中に溶けているように感じ取れる。

 店のすぐ前は二昔前に栄えたような小さく細々した建物が多い。


 長年の雨風の影響で色褪せや錆などが多くあるすみれ通りに、この人形が置いてある「鳳仙花商店」が併設。


 菫斗が幼い頃に母親と駄菓子を買いに来た事があるくらい。その後は車で五分くらいの場所にあるスーパーの方が品揃えも良く、さらに不定休なこの店にはそれ以来行く事はなかった。

 唯一、通りに置かれている自動販売機の側には幾つも缶が放置され、誰もいない道を抜ける風に飛ばされる。

 この街には風に転がされる空き缶の音がよく似合う。年齢層が異常に高く、数十年前には学校がいくつもあったが続けて廃校になったそう、菫斗も中学校は仕方がなく隣町まで通っていた。


 ひび割れた道路と雑に敷かれた砂利、脇に置かれた鉢中の枯れる花々。

 そんな街に突然、この天使の人形は現れた。


 菫斗は人形を写真に残し、帰ってすぐ検索を始めるも数十分後も画面に同じものが写る事はなかった。

 特徴は分かっていても文字にするのは難しい。諦め、携帯電話をベッドに放って天井を見上げる。人形の虚像はすぐに天井に投影されたが、羽の生えている人間なんて天使以外、菫斗は知らない。


 素人目でも大量生産は難しいと思うくらい巧妙な作りをしている人形だが、妙に表情や髪型が古臭く思えた。


 「どうして……あんな表情をしていたんだろうか」

 上を向いていたせいか、菫斗は喉元が締められているような声で呟く。


 それからと言うもの、菫斗のふとした瞬間は全てあの人形に時間を奪われた。今まで人形に興味を持ったことが無かったが〝何か〟が彼を惹きつける。


 それこそが避けられない悲劇の始まりだとも、知らずに。



 七月上旬、初めて人形を見た日から三ヶ月が経った。

 高校への登校で必ず通る鳳仙花商店の前、菫斗は立ち止まる。天使の人形に視線を向ける様はまるで異性に恋をしているよう、暑さのせいもあるだろうが菫斗は顔を赤らめていた。

 店中に掛けられた時計を確認し、肩から落ちたリュックを背負い直して対する風を感じながら通り過ぎる。


 街の端にある無人駅までの道のり、無造作に生えた木々がまるでスピーカーのように蝉の声を飛ばし、そこを抜ければ音は消える。菫斗は額から浮き出る汗を拭き取ろうともせずに夏空の下を走り抜け、汗で水分を多く含んだ髪先は一つの束になって跳ねた。


 菫斗の家から片道約二時間かけて通う高校もまた、錆び、寂れた場所。握り締めたら真っ白な掌を茶に染めてくる謎の鉄の棒や、年々剥がれ続ける薄い外壁。

 校門前扉は途中で何かに突っかかって完全には開かない。ただ、それが功を成してかバイクで校門を突っ切る生徒がいなくなったと言う話もある。


 菫斗にとってはドラマや演劇の世界観であり、昭和の古臭さを全面に感じられるのは嬉しさでもあった。すぐに取り壊し、景観やなんだと言って作り替える都心とは違う、彼の住む街は。

 数十年前から何も変わらずに残る。言い伝えも、伝承も、馬鹿げた呪いも。


 改札を抜け、頭上を覆う枝葉が作る日陰に入ると大きく息を吐き出す。〝進路〟〝受験〟そんな言葉が溢れた場所へ向かっている事への退屈さ。背負っているのはもうすぐ諦めそうな先の人生、書き込まれた参考書と嫌な厚みの教科書。


 高校の最寄り駅を下りてすぐの直線道、友人の少ない菫斗は一人で他生徒の波に混ざる。


 「何ぼーっとしてんの? 大した暑さじゃないでしょ?」

 そんな言葉と共に横を通り抜けた彼女の名前は光橘(みつき)。三年間を同じ教室で過ごしたからか、急に今年になって菫斗と話すようになった。

 ギリギリ日陰から出た場所で光橘は立ち止まると、キャップを外したペットボトルを彼に差し出す。


 溢さずに結われた後ろ髪、少し切長で大きな黒目。


 「飲む? 私がさっき買って飲んだやつだけど」

 湾曲した容器に日が集中していて、歪な眩しさが生まれる。

 菫斗にとって光橘の私物が神々しく見ている訳ではないが、思わず目を逸らす。誤解される行動だと分かっていながらもズキズキと目の奥が痛むのが我慢できなかった。

 「まぁ、私が口付けた物となると直視出来ないのも分かる。価値上がるしね」

 「すごい自信だな、友人としてだったら相当の距離を置きたくなる」

 菫斗はしれっと光橘を睨(にら)み、わざと肩が当たるように横を通り過ぎる。


 「あっそう、優しさ十割だったのに……仕方がない、後で私が飲むか」と、彼女は消沈した様子でキャップを閉め、数十歩先を歩く菫斗の背を追う。「その為に買ったんだろ」と彼は独り言にしては大きく呟き、校内へ先に入った。


 教室へ入っても菫斗の隣には光橘がいる。何かを言いたげな表情でペットボトルの容器を潰し、パキパキと音を鳴らす。現段階では大学受験をする菫斗にとって、無駄にしていい時間など無い。

 常に目の先には参考書や英単語帳があり、その第三十番目くらいに光橘の奇行が位置付ける。


 「ねぇ……菫斗?」

 根気強く光橘は話しかけるが、菫斗は気が付かない。

 Male,female,ねぇ菫斗,round……と英単語を読み上げている頭の中に突如現れた、見知らぬ発音に彼は冊子を閉じて考え始める。

 「nestか。巣や動物のすみかと言う意味……」と一人で納得した菫斗の生真面目な姿勢に光橘はフッっと口角を持ち上げ、もう一度同じ言葉を呟く。

 再び謎の英単語が聞こえ、ようやく単語帳から光橘に視線を移すと、椅子に横向きで座り首を傾げていた。

 その角度は可愛らしい仕草の象徴。自慢の目が強調される数秒。


 菫斗は決まり悪そうに言葉を返すと、彼女は目を細めにんまりと微笑んだ。

 「暇だし私が英語でも教えてあげようか?」

 視線が合うもすぐに菫斗は目を逸らす。


 そんな光橘は勉強の邪魔をしたいわけではなく、何の気なしに話がしたかった。きっかけを無理に作っては全て無視されて終わっていくのに、根気良く続けて三ヶ月。


 進学はしないが、特に別の道を考えているわけでもない。東京へ行きたいとも叶えたい夢も特には無く、無理に出すとすれば菫斗と仲を深めたいと思っているくらい。

 そんな事すら、つい最近思い始めたことだ。

 それでも菫斗の頭中には様々な文字が無統制に浮かんでいて、日々の勉強で隙間が埋まっていく。光橘は机上の腕に顎を乗せて問う、無視される事に寂(さび)しさもあった。

 「実はアニメが好きとかさ、気になっている子がいるとかさ」

普遍的な質問をする光橘の声は数秒後には宙に溶けていく、どこへも繋がらずに、そっと。呆れ返った彼女は、体を黒板に向け両腕に顔を埋めた。


 ようやく不貞腐れてくれた彼女の様子を横目で確認し、菫斗は答える。

 「……あるけど、それを光橘に言う必要あるか?」

 顔を伏せていて声が篭っているが、小さく「早く言え」と光橘は素早く返す。

 「俺だってずっと勉強している訳じゃないし、何なら昨日は勉強してない」

 前髪を気にしながらも光橘はゆっくりと上半身を上げ、「そうやって興味を持たせるように言うのは私に話したいからでしょ」と強気に反応。

 目元は笑っている。


 「もし話すのならまずはそっちから話すべきじゃないのか?」

 パタンと音立て英単語帳を閉じると、菫斗は蔑むように彼女を睨む。怒りが混じったような声質に似合わない台詞。


 「あのさぁ、菫斗くん。私のことが好きでもっと知りたいって言うのなら、もう少し遠回しで優しく言ってくれない? 全然外の暑さに勝ててないよ、君の思いの熱」

 そんな突飛な返しに周りの生徒は急に視線を向け始め、居心地が悪くなった菫斗は急に伏せる。


 何か言葉に似たようなものでも返せばいいが、恥ずかしさを隠すかのような誤解を生んだ。普段から一言たりず、沈黙を量産する性格の菫斗にとって大勢の前ほど苦手なものはない。

 受け取り方をそれぞれが持つ中で、全てに同じ答えが伝わる事はない。

 そんな時はいつも伏せて時間の経過を待っていた。

 「あらら、本心を当てちゃった感じかな。で? 私の何が知りたいの?」


 菫斗にとって今知りたいことは最近見かけた〝天使の人形〟のこと。


 勝手に友人を気取る光橘の事など考えたくもないが、そんな思いを口に出すこともなく適度な距離を保って三ヶ月。大学へ進学するために勉強は続けているが、学生らしさが無く生活に色がなかった。

 灰色や黒で完結するほどの毎日で、赤や黄などの温かみのある色は全くない。


 「じゃあ、まずは身長と体重からだね」と、体を起こす気配のない菫斗を横目で見ながらも、折角掴んだ話の尾を離さないように光橘は続ける。

「身長は155センチで、体重は菫斗の半分かな」

すぐ横にいた光橘の友人、雪椛(せつか)はそんな答えに声を荒げて笑う。

「ほんっとうに光橘はすぐにふざけるんだから」

「それでそれで……好きな食べ物は豚の腸をひねって焼いたやつ!」

 返しやすく言葉に文飾を施すが、菫斗が起きる気配は無かった。


 それから授業が始まるチャイムまで彼は伏せ続け、その間も光橘は話を続けたが偶然生まれた話題は朧に。


2話へ続く。

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