魔王様、お耳に入れたいことが

紫野一歩

お耳に入れたいことが

「魔王様、お耳に入れたいことが……」


 いつになく神妙な面持ちで秘書のアルーシャ・ライラックが部屋に入って来たので、何か緊急事態なのかと俺は玉座に座り直した。

 三日前から頭痛に悩まされていてあまり話す気分ではなかったが、そうも言っていられない雰囲気を感じたので、頭を振って気持ちを入れ替えた。

 アルは長い髪が擦れるのも厭わず、深々と目の前に跪く。


「どうした」

「はい、これなのですが」


 アルは懐から何かを取り出した。

 一瞬、羊の腸詰めに見えたがすぐに違うとわかった。手のひらサイズのそれはウネウネと気持ち悪く蠢いていたからだ。

 ミミズの一種だろうか。それにしては大きすぎる。

 その気色悪い生き物を目の前まで持ってこられ、俺は思わず顔を背けた。


「よいでしょうか?」

「何がだ? というかそれは何だ?」

「はい、これはブレインワームという最近発見された新種だそうで、研究室の室長によると、魔物や人間の耳から侵入し、脳を食い破り死をもたらす寄生虫です」

「寄生虫……か」

「はい…………」


 アルは口を一文字に結び、俺をじぃと見つめながら頷いた。

 相も変らぬ神妙な面持ちに、俺は果たしてこのブレインワームとやらがどんなに厄介な性質を持っているのか想像を巡らせる。

 わざわざ俺に聞かせたいというくらいなのだから、そこそこの面倒くささを孕んでいるに違いない。

 ここ最近は世界各国に飛び回っていたし、たまには一日中ぼぅっとしていたいのだが、仕方あるまい。これが魔王として生まれた責任というやつなのだ。


「…………」


 俺はしばらくアルが喋り出すのを待ったが、一向に口を開く気配は無い。

 そんなに言いづらい事なのだろうか。


「どうした、遠慮するな」

「……! 本当ですか。では」


 そういうとアルは俺の耳を引っ張り上げ、もう片方に持っているブレインワームを俺の耳に押し込んできた。


「うおおおおお! 痛い痛い! 待て! ちょっと待て! 抜け!」

「えっ」

「抜け! 座れ! そこ座れ!」


 アルの脳天に手刀を落としてそのまま足元に正座させる。

 何なんだこいつ! 珍しく真剣な顔していたと思ったらすぐこれだ!

 ……何びっくりした顔してるんだ。びっくりしたのはこっちだ!


「お前は何をしているんだ!?」

「いえ、魔王様のお耳にブレインワームを入れようと……」

「お耳に入れたいってお前……馬鹿か!? お耳に入れたい”事”じゃないよな!? お耳に入れたい”物”だよなそれ!?」

「細かっ」

「細かくねぇよ! 一番大事な事だよ! ていうか何で俺が許可すると思ったんだよ!」

「はい、私もまさかと思ってびっくりしました。ガッツあるなって」

「気持ちでどうにかなるもんじゃねぇだろ!? え、脳みそ食い破るんだろそいつ!?」

「はい」

「お前は魔王の脳みそ食い破られてオッケー、って思ったのか!? 死ぬぞ!? 俺死ぬぞ!?」

「あっはっは。魔王様が脳みそ食い破られたくらいで死ぬわけないじゃないですか。我らが世界の統一者、絶対にして唯一の、神をも超えた存在なのですよ? 自信を持ってください! いけます!」


 いけねぇよ何だこいつ。めっちゃ笑ってるぞ。怖っ。


「いくら魔王でも出来る事と出来ない事があるんだよ! 自分の部屋帰れ! 夕飯までもうこっち来んな!」

「いえ、魔王様。出来ます!」

「何処から出て来るんだよその自信は!? 目ぇキラキラさせんな!」

「魔王様は自分のお体の事について、あまり把握されていないようですね」

「……どういう事だよ」

「魔王様は胸のコアがある限り、完全再生能力を持っています。どんな事をされても、何事も無かったかのように元通りになるのです」


 ……それは確かに初耳である。

 魔王故に俺は超強いので、今まで致命傷となる傷を負ったことが無い。なので再生能力があるなんて知らないのだ。

 かすり傷程度は何度もあるが、それが治るのは再生というよりも治癒能力が高いだけなのでは?


「昔の文献とかから引っ張って来たのか? でも俺が歴代の魔王と一緒とは限らないだろう? 俺の代で再生能力が失われている可能性もある」

「はい、だから試しました」

「ため……は?」

「魔王様が寝ている間に、ちょっと再生するか確認しまして、問題ないとわかりましたので今日満を持してブレインワームを……」

「待って、どういう事? 試したってどういう風に?」

「はい、失敗しても修復出来るよう、徐々に潰してみました。一日目は頭蓋と大脳の一部を、二日目は小脳を、そして三日目で全部まるっと」


 全部まるっと!!


「え、俺寝てる間に頭全部まるっとなくなったの!?」

「そうなりますね」

「そうなっちゃったんだ! え、何俺再生したのちゃんと!?」

「あっはっは。再生してなかったらここに魔王様はいるはずないでしょう」


 おお……笑ってるこいつ。いや怖っ。笑いごとではない。こんなにも笑い事ではない事もなかなか無いのではなかろうか。

 ていうか俺も俺だ。何で頭蓋骨かち割られて起きないんだ。眠り深すぎだろう。

 そこで俺はハッと気づいた。


「まさかこの三日くらい頭痛がするのってこのせいだったのか!?」

「いえ、それは暗い部屋で深夜までバラエティ番組見てたせいです。眼精疲労です」

「あ、はい。ごめんなさい」

「それで魔王様はしぶと……再生能力があるとわかりましたので、今回ブレインワームをお耳に入れて頂きたく参上した次第」


 しぶといって言いかけたか? こいつ。


「再生能力があるのはわかった。脳を食われても死なないのもわかった。だけど嫌だ! 何で自分の脳みそをわざわざ食われないといけないんだ! 痛そうだろう!」

「もう死ぬほど痛いと思います」

「なんでお前は主人に死ぬほど痛い目に遭わせたいんだ! おかしいだろう! 何が目的何だよ!」

「はい。このブレインワーム、北東の集落で大量発生しておりまして、駆除が追い付かない状態となっています。そこに住む魔物も何人も犠牲になっている状況でして……」

「……え? 聞いていないぞ?」

「魔王様にはもっと大きな仕事があります。こういった集落単位の問題は日常茶飯事、全てを魔王様にご報告していては、報告だけで一日が終わってしまいます。この程度の事は旅団長か師団長クラスに任せておけばいいのです。現に今回も師団長までで終わるはずでした」


 アルが咳ばらいをして継句をする間、ウネウネと蠢くブレインワームのねっとりとした気持ちの悪い音が部屋に響いていた。


「ただ、繁殖力が我々の想像を超えておりまして、三日前から爆発的に増えてしまい、このまま拡散すると魔王軍全体の打撃に繋がる懸念が出て来たため、研究室まで巻き込んで対策していたわけです。そして、特効薬の完成にあと一歩のところまで来ました」

「特効薬を飲めばそのパンデミックは収まるのか?」

「はい、それを飲むと理論上ブレインワームは飲んだ魔物の周囲に近寄れなくなります。そして食べる物が手に入らなくなり全て餓死するのです」

「……そのあと一歩というのは……」

「はい、本来寄生出来ないような大魔力を持つ魔物に入った時にどのような振る舞いをするのか。これさえわかれば特効薬の完成なのですが、そのような条件に当てはまるのは軍団長クラスしかおらず、そこまで大きな戦力の犠牲は魔王軍全体に影響が及ぶ事になります」

「だから、食われても死なない俺が選ばれたというわけか……」

「はい。これしか方法が考え付きませんでした」

「…………」


 アルーシャ・ライラックは頭はおかしいが、先代が直々に選んだ優秀な側近だ。ここまで深く考えて三日で対策を練るまでの頭脳と行動力がある。

 俺の頭を勝手にかち割ったのはやはり意味がわからないが、俺が寝た後に実験を行っているという事は、ほとんど三日間寝ずに研究をしたという事だろう。

 魔王軍の事を考えての行動。

 ならば俺も腹を括ろう。


「わかった。入れろ。脳を食わせてやる!」

「本当ですか! では行きます!」


 アルはそういうと満面の笑みで俺の耳を掴んできた。

 何だか思っていたリアクションと違う。もっと主人の犠牲を耐えるというか、泣く泣く震える手で扱う、とか、少し躊躇して俺の叱責と励ましを得たうえで覚悟をする時間を長く取るとか、そういうことがあって然るべきでは?

 食い気味に速やかに主君の耳を掴むのは違くないか? あと力強すぎて耳が千切れそうなのも勘弁してほしい。


「ふふ。魔王様、ガンバです」


 今笑ったか? 目の端に映るアルの口角が上がっている気がする。さすがに気のせいだと思いたいが、心なしか声が弾んでいる気がする。

 というか軽い。ガンバってお前。今から脳を食われる奴に掛ける言葉としてはあまりに軽い。

 師団長の一人が太って来て、俺がダイエットを命じた時にアルは同じリアクションをしていたが同列にしないで欲しい。師団長が毎日腹筋するのと俺が脳を食い破られるのとでは大分隔たりがあるはずだ。

 隔たりがあるはずなのだが、そんな思いは口にする間もなく、俺の思考はあっさりと気持ちの悪いぬらぬらした感触に支配された。


 それからの事はあまり思い出したくない。



 結論から言うと、北東の集落の危機は去り、ブレインワームは根絶やしとなった。

 アルが「魔王様のおかげ」と吹聴しまわったおかげで一層俺の株は上がった。


 しかし、未だに釈然としない。

 やっぱりあんなに楽しそうにやる実験ではないだろう。


「魔王様? いかがされました?」

「……いや、株が上がったのはよかったが、もう脳は食われたくないなと思ってな。めちゃくちゃ痛かったし」

「私も極力魔王様が苦しむ姿は見たくないですね」

 アルは事務処理の手を止めずに、頷いている。

 相変わらずテキパキと、仕事に関しては淀みない。

 その様子をしばらく見ていたが、ふと唐突に気付いた。

「アル。お前、俺が寝ている間に実験したと言っていたな?」

「はい。よくしていますよ」

「おお……よくしちゃダメだろ。……いいや、それについても気になるけど、今はいい。それより、今回のブレインワームについてだ」

「なんでしょう?」

「この実験も俺が寝ている間にやればよかったんじゃないか?」

 そう。ブレインワームに魔力の高い脳みそを食わせるのが目的であれば、わざわざ俺が起きている間に食わせなくてもいいのだ。頭が全て消し飛んでも熟睡している俺であれば寝ている間に脳が食われようが気づかないはず。

 あんなに痛い思いはしなくて済んだのに。

「…………」

 アルは手を止めてしばらく俺を見つめていたが、やがてニィ、と口角を上げて笑った。

「それは気づきませんでした」

 私としたことが、とアルーシャ・ライラックは首を振り、事務処理に戻る。


 今まで一度もミスしたことが無い、事務処理に。

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