第3話――不可解な遺体


「彼女のオフィスにあったコーヒーカップからDNAを採取し照合しました。この遺体は百パーセント、西野裕子にしのゆうこ本人で間違いありません」


 解剖医かいぼうい田坂たさかの言葉に室内が静まり返った。

 三十代後半の男性ベテラン医師だ。

 眼鏡をかけ見た目は生真面目そうに見える。


「間違いないって、どう見たって……」


 九十九つくも刑事は、あらためて免許証の写真と遺体の顔を見比べた。

 確かによく見ると写真の面影もなくはないとも言える。


 ただ、今は


 傍にいた松村まつむら刑事は、呆然と口を開けたままだ。


「何か……薬物反応は?」


 薬が原因で、まるでタイムスリップしたかのような出で立ちに変わった?

 相当強引な見解だと自分で認識しつつも九十九は苦し紛れに問いかけた。


 田坂は表情を変えずに青い手袋を外した後、そばにあった書類を手に取り九十九に差し出しながら答えた。


「……その可能性も考えて調べたんですが、一切検出されませんでした。ただ、体内から微量びりょう放射線ほうしゃせんが」


「……放射線?」


「ええ。でも人体に全く影響のないレベルで本当にごくわずかです」

 

 田坂が不安気な刑事二人を安心させるように言い直した。


「それだけの放射線で、こういう症状が出る可能性は?」


 いぶかしげにまゆひそめている九十九に対し田坂はキッパリと言い切った。


「まず、医学的にはありえません」


「……レントゲンか何かじゃ?」


 この中では一番若い松村が引きった笑みを浮かべながら聞き返した。

 田坂は脱力気味に首を横に振った。

 

「そう思い、最近の彼女の健診結果を調べましたが、その形跡は一切見当たりませんでした」


 田坂はに落ちない表情で話を続けた。


「それよりも驚いたのは、彼女の死因しいんです」


 解剖室内に沈黙が流れた。


「……何なんだ?」


 九十九は田坂の顔を目を開きながら凝視ぎょうしした。

 それまで事務的な口調だった男性医師の表情から明らかに戸惑いが見えたのがわかった。

 まばたきを何度も繰り返す田坂を前に、九十九は我慢しきれないように先に口を開いた。


「……何だよ?」


 苛立ちながら急かすような問いかけに、田坂はようやくその重い口を開いた。


「その……疾患しっかんが見当たりません」


 男性刑事二人が思わず顔を見合わせた。

 その言葉の意味を把握しようと必死なのが表情を見てもわかる。

 九十九が我に返るように田坂に向き直った。


「疾患がないって、どういうことだ? ……まさか……三十六歳で大往生だいおうじょうげたとでも――」


 皮肉混じりの九十九の冗談を全く否定せずに田坂が正面から受け止めるように答えた。


「ええ。まさに」


 あまりに真っ直ぐな田坂の視線に、九十九が言いかけた言葉を咄嗟に呑み込んだ。


 田坂は言った。


「彼女は、病で亡くなったのではありません。完全かんぜん細胞組織さいぼうそしき老化ろうかにより、恒常性こうじょうせい維持いじできなくなっただけです」


 若い松村が浮足立ったような顔つきで聞き返した。


「……つまり?」


 田坂は、九十九と松村の顔を交互に見つめながら言い切った。 


「彼女は、で亡くなっています」

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