霊子と霊神
「親父さん、はいこれ。」
忙しさのピークも越えて集会所が落ち着いた頃、シュルクは何枚かの紙をグレーに手渡した。
「発注リストの訂正版。さっき業者の人が来てたから、ついでにそのリストで発注してあるよ。」
「おー、ありがとうな。やっぱ、シュルクは気が
「うわっ」
豪快に頭をなでられ、シュルクは思わずその場から逃げ出す。
「だから、いい加減それはやめろって言ってんじゃん!」
シュルクは微かに顔を赤らめて抗議する。
幼い頃から付き合いがあるせいか、グレーは自分に対していつもこうだ。
こちらはもう十八歳になろうというのに、褒め方がいつまで経っても子供に対するそれのままである。
「おー、すまんすまん。なでやすい位置に頭があるもんだからよ。」
そりゃ、大柄なグレーからしたら周囲の皆全員同じようなもんだろう。
そう返したところで、彼には何も伝わるまい。
「……じゃ、俺は上がるから。」
結局抗議することを諦め、シュルクはグレーに手を振りながら背を向けた。
「お疲れさーん。明日もよろしくー。」
調子よくそんなことを言ってくるグレーには何も答えず、シュルクはさっさと集会所の奥へと引っ込むことにした。
随分といいように使われてしまっているが、そういえばここで働き始めたきっかけはなんだっただろうか。
軽く記憶を
いつの間にかここの手伝いを始めていて、気付けばここの金銭管理を担っていた。
そんな感じだ。
「こんなんだから、周りに蝶だなんだって言われんだろうな……ん?」
通りがかった休憩室の中に人影を見つけて、シュルクは思わず立ち止まる。
休憩室の中では、ルルンが分厚い本と睨み合っていた。
「うーん……
「楼閣の三霊神は《
さらっと答えを言ってやると、ルルンが勢いよく本から顔を上げた。
それまで情けなく眉を下げていた彼女は、こちらを見るとまるで救いを見出だしたような顔をする。
「シュルクー……来てくれると思ってたー!!」
「嫌でも目につくような場所にいて、よく言うな。」
これは、しばらくはルルンに付き合うことになりそうだ。
早々に未来を悟ったシュルクはルルンの隣に座り、彼女が睨んでいた本を覗く。
「そういえば、もうじき試験か。」
「そうなのよー。召喚学だけが、落第すれすれで……」
「お前、暗記系まるでだめだもんな。」
「いやぁー…」
絶望的な声をあげるルルン。
ルルンは週に四日、この近くの学校に通っている。
そこの定期試験が近いのだ。
学校といっても、そんなに強制力がある施設ではない。
入学は自由だし、一定の条件を満たせば、通う期間関係なく卒業することが可能だ。
定期試験の受験も任意なので、自信がなければ次回の試験を目指すという選択もできる。
「そんなに自信ないなら、次の試験にすればいいんじゃないのか?」
シュルクは、思ったことをそのままルルンに向けて問う。
だが―――
「嫌よ!」
ルルンは間髪入れずに、首を横に振った。
「もう卒業したいの。次の試験なんて、悠長なこと言ってられないわ。」
ルルン目には必死さが見て取れる。
それも仕方ないことだろう。
シュルクは、意気込むルルンに何も言わなかった。
ルルンだけじゃない。
自分と同じ年頃の人々は、大抵がこの時期になると学校を卒業しようと必死になる。
入学が自由である学校だが、実際の入学率や卒業率はほぼ百パーセントなのだ。
……まあ、それにはとある理由があるのだが。
「あーもー……霊神召喚なんて、その場の勢いでできちゃいそうなもんなのに……」
「無理だな。」
ルルンのぼやきを、シュルクはきっぱりと否定する。
「普段から覚えてないようなこと、その場の勢いで出てくるわけないだろ。とっさの出来事が起こった時にこそきちんと冷静に詠唱できるようになるために、今こうやって覚えるんだぞ。万が一にも、詠唱に失敗してみろ。霊神のお怒りを買って、下手すれば死ぬからな?」
「えーん! シュルクまで、ザキ先生みたいに
そうは言われても、事実だから仕方ないではないか。
頭を抱えるルルンを横目に見ながら、シュルクは虚空を見上げる。
何もない空間に、時おりキラキラとした光の燐粉のようなものが見える。
―――この世界には、今しがた見えたような
この世界の記憶そのもの。
あるいは意志を持った、自分たちとは違う種族の生き物。
霊子の正体については諸説あるが、この霊子が世界を作っている必要不可欠な要素であることは確かだ。
その霊子に語りかけ、架空の存在や実在した英雄などの姿になぞらえて霊子の力を具現化するのが霊神召喚である。
召喚に使用する霊子量や難易度によって、第一霊神、第二霊神とランクが分けられている霊神たち。
文献上では第十二霊神まで確認されているが、どんな上級者でも第八霊神くらいまでしか召喚できないというのが通説である。
コツさえ掴めば比較的簡単に基本を習得できる技術であるが、霊神召喚に呪文の詠唱失敗は
しかも、召喚する霊神によっては周囲を
ちなみに、より正確に霊神の力を引き出すためには、召喚する霊神の名前と姿を覚えるだけではなく、その霊神にまつわる逸話まで深く理解している必要があるのだが……そこまで言ってしまってはルルンが泣き出しかねないので、今はやめておこう。
「で? とりあえず俺は、ルルンが霊神を覚えられるようにしごけばいいわけ?」
「さすがシュルク。察しがいいのね……」
重たげな溜め息を零しながら、ルルンは頷いた。
「この際、四の五の言ってられないのよ。覚悟を決めるから、霊神の名前を叩き込んでちょーだい。」
「仕方ないな……」
シュルクは肩をすくめる。
「じゃ、今日はこの本に出てくる霊神を全部覚えられるまで、寝られないと思えよ。」
「鬼!!」
「舌の根も乾かない内に何言ってんだか。こんなの、卒業試験範囲の半分以下じゃん。」
「もー!! なんで霊神って、こんなにいっぱいいるのよー!!」
「いくぞー。第一問。」
喚くルルンを空気のように無視し、シュルクは本のページを適当にめくって、一問一答を始めた。
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