第1歩目 出会い

平和な一幕

 ふわふわと風に乗る。

 遥か遠くの微かな喧騒を聞きながら、目を閉じて心地よい微睡まどろみに意識を預ける。



 いつもと変わらない、欠伸あくびが出るほどに平和な時間だ。





「シュルクー!!」





 下の方から、名前を呼ばれた。



 だんだんと近付いてくる気配にまぶたを上げると、自分の傍で腰に手を当てている少女と目が合った。



「またこんな高いところでお昼寝してる。もうそろそろ、休憩時間終わるよ!」

「ん…」



 ……もうそんな時間か。



 まだ眠気を訴えてくる目をこすり、シュルクは大きく伸びをする。



「お、今日はそんなに流されてないな。」



 眼下を見下ろして、暢気のんきに呟くシュルク。

 そんなシュルクの様子に、彼を捜しに来たルルンは大仰に息をついた。



「もう…。毎日毎日、よくもまあこんな高いところまで上がるわよね。あたし、羽が疲れちゃった。」



 ルルンは、背中から生える半透明の羽を微かに震わせる。



「そうか? 俺は、大して苦じゃないけどな。」

「あんたはね。男と女じゃ体力が違うのよ! ほら、戻るわよ。」

「はいはい。」



 腕を引かれ、シュルクは気だるげにそう返しながら下降を始めた。

 すると、遠くにあった町並みがゆっくりと近付いてくる。



 至る所に噴水や水路が設けられた、水の町ウェースティーン。

 人も物も集まり、この辺りでは一番賑わう町だ。



 柔らかく降り注ぐ太陽の光が、町の水と町中を行く人々の羽に反射して、きらきらと輝いている。



 シュルクはそんな町の景色を見下ろしながら、自分の背を降り仰いだ。



 この世界の人々は皆、背中に美しい羽を持つ。



 世界のどこかには羽を持たない種族もいると聞くが、自分はこれまでそういう種族には会ったことがない。



 それは、おとぎ話のように架空の存在だからなのか。

 もしくは……



「もう、毎度捜しに来るあたしの身にもなってよね。」



 ルルンは辟易したような息を吐く。



 なら、捜しに来なければいい。



 ―――と言おうものなら殴られそうなので、シュルクは渋い顔であらぬ方向を見やった。



 何も考えずにのんびりと空中で昼寝をするのが、毎日のささやかな楽しみなのだ。



 ただ、落下せずに眠るという器用な特技を身につけているせいで、風に流された結果、目を開けた時に全然違う場所にいることもしばしば。



 ルルンがこうして毎日のように迎えに来るのには、そういった背景がある。



「ほんと、あんたって暢気のんきっていうかなんていうか……」



 ルルンはちらりと、シュルクの胸元に目を向ける。



 シュルクの首に巻かれた黒いチョーカー。



 それに取りつけられた細いチェーンの先では、蝶をイメージさせる形をした若草色の石が揺れている。



 まるで宝石のようにきらめいているその石を、ルルンは何故か複雑そうな表情で見つめていた。



「あんたの運命せきが蝶の形って、なんか納得よね。あんたって目を離してると、風に飛ばされてふらふらとどっかに行っちゃいそうだもん。」



「うん。その言葉は、飽きるくらい聞いた。」



 まるで蝶のようだ、と。

 これまで、たくさんの人からそう言われてきた。



 ……決して、褒められた意味ではないが。



 花の蜜を求めながら風に流されてさまよう蝶のように、他人の流れに身を任せて過ごしている。



 そうやって自らの確固たる立ち位置を主張しない自分のことを、周囲は蝶のようだと揶揄やゆするのだ。



「蝶……ね……」



 ぽつりと呟く。



〝蝶のようだ〟



 その言葉を皮肉だと思うのは、きっと自分だけ。



 自分は、蝶のようにはなれない。





 仮に蝶だったとしても、自分は―――




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