条件その3

 その日は雪が降っていた。

 しんしんと降る粉雪だ。

 男が駅の改札を出て外に出ると、そこにはマリアが立っていた。右手には傘、左手には大きく膨らんだ買い物袋を持っている。せっかく傘をもっているのに、折りたたんだまま持っている。そのせいで髪には雪がかかっていた。

 黙って突っ立っている男の元にマリアが歩み寄る。

「おかえりなさい。お仕事お疲れさまでした」

 マリアが言った。

 予期せぬ事態に男は戸惑っていた。

「何をしてるんだ?」

 男が尋ねる。

「偶然にも買い物帰りの時間が、あなたの帰宅時間と重なりましたので、ついでにお迎えにきました」

「本当に偶然か?」

 男はいぶかしげに問う。

「もちろんです。雪が降っています。この傘を使ってください」

 傘を差し出すマリア。

 はあ~とため息をつく男。

 男は傘を受け取らず、マリアが左手に持つ買い物袋を右手で奪い取る。そしてそのまま何も言わずに家の方角に向かって歩き出した。

 マリアは受け取ってもらえなった傘を少しの間、胸に抱いていたが、すぐに男の後を追いかけた。

 雪の降る街の通りを二人並んで歩いていく。街からは陽気な音楽が流れていた。今日はクリスマスイブだ。街ゆく人々は心なしかいつもより浮かれていて、幸せそうに見える。

 とても寒い日だったが、街は暖かい雰囲気で包まれていた。その街の中を二人は黙って歩いていた。

 しばらく歩いてから男がマリアに尋ねた。

「何を買ったんだ?」

「ワインとチーズ、あとパインの缶詰とイチゴなどです」

「ケーキはないのか?」

「スポンジケーキは作成済みです。あとはデコレーションを行うのみです」

「そうか」

「私は人間です。特別な日には特別な振る舞いをすることができます」

「そうか」

 いつもとは違い、今日の男は意地の悪いことを言わない。

 またしばらく沈黙が続く。にぎやかな通りは抜けて、静かな住宅街に入った。

「みんなが特別だと思うから今日という日は特別になるんだ」

 男が話し始める。

「オレにとってもお前にとっても、本当はどうでもいいはずの日だ。でも周りの人間がみんな特別だとはやし立てるから特別になる。世の中そんなことばかりだ」

 マリアは黙って男の話をきいていた。

「そんな中じゃ自分にとって本当に特別なものが何かわからなくなりそうになる。オレがいま、特別だと思ってるもの、それは本当にオレがそう思っているのか、それとも社会がオレにそう思わせているのか、分からなくなる」

 いつもの強気な調子はない。

ようやく自宅が見えてきたところで、マリアが立ち止まった。男は後ろを振り向く。振り向いた男にマリアが言った。

「人間が社会から抜け出すことはありません。人間は一人で生きていくことはできないからです。ですので、あなたの問いは無意味です。人間が社会から抜け出すことができない以上、社会が与えるものと、そうでないものを区別することは無意味です」

 しばしの沈黙。

「そうか」

 男はそれだけ言って前を向いた。反論はしなかった。

「ただし」

 マリアが男の背中から言葉を投げる。

「社会が与えたものか、自分で見出したものかは分かりませんが、今日という日が私にとって特別であることは事実です。そして、あなたが私にとって特別であるのもまた事実です」

 マリアの言葉に対して、前を向いたまま男が答える。

 ああ、そう


 メリークリスマスです

 それは明日いうもんだ

 二人はつまらない言い合いをしながら家に入っていった。

 


終わり

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