11 魔窟
「
ピカピカに手入れの行き届いた革靴に履き替え、昇降口を出たところで、
「オレらみたいな問題児には、ちゃんと説教しなくちゃなんないし」
「当事者が涼しい顔して言いやがって」
「腹減った」
麗人の内心とまったく同じことを、背後で黒川がぼそっとつぶやいた。
「
呼ばわる声がしたので振り返ると、女子がふたり、校門へ向かいながらにこにこと手を振っている。
「はーい、またねー」
麗人は極上の笑顔で手を振り返した。女子たちは、きゃーっとはしゃいで、さらに手を振りながら行ってしまった。
「
麗人の性癖をよく知っている、女子にも男子にもそっけない男が、そんな感想をもらす。
「それにしても、いたいけな高校生に説教はこたえるねー」
こたえているとは
「ぱーっと出かけたいよね、高校生らしく健康的に」
「なんか食いてえ」
一切の装飾を省いた表現で、黒川は欲求を簡潔に述べた。
「あそこどーお、『ニジイロ』。最近あんまり混んでないんじゃない?」
「ああ、いいんじゃねえか」
帰るところも同じだから、待ち合わせの必要もない。ふたりは寮へと足を運んだ。決定的に麗人とは合わない、体育会系の野太い号令が、グラウンドから飛んでくる。
寮生は年々減少の一途をたどっている。かつては一部屋の定員が4人だった時代もあったが、女子寮はすでに廃止され、男子寮も今では2人部屋だ。生徒が暮らす部屋の内部は、大ざっぱに、ふたりの寮生が左右でスペースを分けて使用できるような配置になっている。ドアを開けてまず、座ってくつろげる程度の空間がある。その奥に、左右の壁に沿って2段ベッドが1台ずつ置かれている。やはり定員4人だった頃の名残だ。右と左で使用者が分けられていて、上下どちらにマットレスを置いて就寝するかは各人の自由であり、空いた方はそれぞれの私物置き場として使用することが認められていた。麗人が使っているところは、ベッド真上の天井に女性アイドルやモデルのグラビアポスターが貼ってあるからすぐわかる。左右のベッドの狭間を通りぬけた奥には、ドアから真正面の窓を挟んで左右に、二人分の学習机が分かれて配され、それぞれの上方に本棚が作り付けられている。窓の外側は鉄柵に覆われ、イレギュラーな出入りは不可能なしくみだ。とはいえ、門限破りの常習犯からすれば「やり方はいくらでもあるわよぉ」ということになるが……。
寮生活を送る上では、当然ながらさまざまな規則があり、部屋に持ち込んではならないものも規定されている。しかし、19号室にはそうした「ご禁制」の品々がけっこう多い。脚を折りたたんだ座卓がベッドの下に押し込まれていたり、アルコールとつまみを収納したクーラーボックスが私物にまぎれていたりもする。しかし、隠す素振りもなく堂々と置かれているのが、麗人の机の後方、ベッドに接して鎮座している、背の高いボックスだ。形状だけなら更衣室でよく見かけるロッカーを連想させるもので、細長く、人ひとりがかろうじて入ることができる。しかし、黒く塗装され、側面に細長い穴がいくつかあいているというのは、少しばかり異様だ。麗人がクロゼットとして使っているこれは、実は手品の道具なのである。「ああ、人が閉じ込められて、左右から剣を突き刺して、ってヤツか」「そーそー、それよ」……というのが、初めてこれを見た黒川の感想と、麗人の返事だった。それなら剣もどこかにあるということになるが、少なくとも黒川は所在を知らない。ボックスそのものも得体が知れず、麗人がこれを開けているところを黒川は何度も見たことがあるが、見るたびに首をひねりたくなる。服がぎっしりハンガーに掛けられていることもあり、ステッキや巨大な筒や造花の花束に埋め尽くされていることもあり、とても表現できないアヤシゲなものが詰め込まれていることもあり、どうしたわけか空っぽになっていることもある。仕組みを知りたく思ったこともあったが、たずねてもおそらく「やーね、手品のタネ公開しちゃってどーするのよー」と笑い飛ばされるオチが読めるので、質問する気にはなれない黒川だった。
整理整頓はわりあいきちっとしている。寮生活を送っていれば、散らかっているのは後々自分たちが面倒なだけだと骨身にしみて理解できるからだ。出入口横のごみ箱そばに、からのペットボトルやジュースの缶が横倒しになっている程度である。
スリッパをぺたぺた鳴らして、そんな巣に戻ってきたふたりの破壊者は、荷物を放り出し、担任に説教された衣服をあっさりと脱ぎ捨てて、普段着に取り換えた。麗人はチャイコフスキーの「花のワルツ」を口ずさみながら、例の謎のクロゼットからカラーシャツを選び出している。黒川はあくびをしながら、黒のTシャツに着替えると、「どうやって行く?」と麗人を振り返った。んー、と麗人は声をのばしながら、シャツをひるがえして腕を通す。右のわき腹から腰へ続く大きな傷跡が、ちらりと見えた。
「地下鉄でいーんじゃない? あれが一番早いよ」
「そうだな」
勉強を先にやろうという発想はかけらもない。身支度を整えると、どうでもいいことをぐだぐだとしゃべりながら、ふたりの高校生は寮を出て通りを歩いて行き、地下鉄の駅へと階段を下りて、ひとまず地表から姿を消したのだった。
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