砂竜使いターリクへの追憶

平本りこ

1 


 人生は物語。これは、後世に名を残した語り部……いや、とある砂竜さりゅう使いへの追憶ついおくだ。



 冬の夜に消えた命は水神すいじんの元へ還るまで、しばし砂漠を彷徨さまようという。


 砂丘の谷間から昇る朝日がその肉体から精神を引き取り、空に戻る水と共に天へと導いてくれる時刻まで。生涯という長い物語を終えた英雄たちは、束の間の猶予を得る。


「まだそこにいるんだね、リダー」 


 動かなくなった愛竜の赤銀色の巨躯を愛撫し、ターリクは涙を零す。清らかな煌めきは、まだ髭の生え揃わない少年のまろやかな頬を伝い、雫となって赤銀色の鱗に滴下てきかする。滑らかな砂竜の鱗を滑り、渇きの大地が濡らされる。ぽつ、ぽつ、と砂に沈む涙の音が、茫漠とした砂漠の静寂を僅かに揺らした。


「ごめん、ごめんよリダー。僕がいけなかったんだ。僕が君を連れ出さなければ。いや、君が僕の砂竜にならなければ。こんなことにはならなかったのに」


 そう、全ての始まりはあの日。頭でっかちと蔑まれていた読書好きなターリクが、彼の人生を変えた叔父と出会ったあの日のこと。


「リダーはいつも、僕が語る叔父さんの話が好きだったね」


 砂竜は身じろぎ一つしない。しかしターリクは知っていた。リダーはまだそこにいる。


 愛竜が完全に水へと還る前に。ターリクの唇からは、一つの物語が紡がれる。





「やあ、ターリク。俺のことを覚えているかい。叔父さんだ。君のお母さんの弟だよ」


 当時六歳だったターリクは、ぼやける視界の中、目を凝らし、叔父と名乗る男を観察した。


 背が高い。母よりも少し若い男性だ。多分頭髪は赤茶色をしていて、母とお揃いである。瞳の色は……よく見えないのだが、寒色系のようだ。


 初めて見た顔であるような気がする。ターリクは素直に首を振った。


「覚えていません。もし会ったことがあっても、僕は目が悪いから……」


 ターリクは生まれつきの弱視である。年々視力が衰えて、いずれ失明するだろうと言われていた。


 それゆえ、視力を話題にあげると、皆一様に気まずそうな声を出す。だから意識して口にしないようにしていたというのに、この日はどうした訳か、言葉が零れ出してしまった。


 叔父はきっと困惑し、不器用な励ましをくれるだろう。そう思い、いたたまれず肩をすぼめる。しかし叔父は予想に反し、豪快な笑い声を上げた。


「いやいや、そうだった! すっかり忘れてた」


 ばしばしと肩を叩かれて、少し痛い。初めて出会う反応に、ターリクは目を丸くして叔父を見上げた。


「というより、俺がおまえに会ったのはこーんな小さな赤子の時だからさ、さすがに覚えてないよな」


 ターリクは反応に困り、口を閉ざす。叔父は一人で話し続ける。


「これは小説? こっちは伝記か。ターリクは読書が好きなんだな。偉いぞ」

「偉い?」

「ああ。叔父さんなんか、本を持つだけで腕が痛くて痛くて」


 スナウサギを一捻りで絞め上げられそうな逞しい腕を回し、茶目っ気たっぷりに言う叔父に、ターリクはいっそう困惑する。


「ターリクは物書きになるのか?」

「物書きだなんて。お金にならないことをしたら、父さんや母さんにがっかりされる」

「そんなことないんじゃないか。まあそれなら、帝都に行って、学者になったら良いじゃないか。帝国のためにもなる、良い仕事だろ」

「学者。でも、砂竜族の学者だなんて。僕は、ナンジャクモノって言われたくないよ」

「誰がそんなこと言うんだ」

「誰って、みんなだ」

「そんなことを言う奴の方が軟弱者だぞ。今度叔父さんが叱って来てやる」

「やめてよ。喧嘩したくない」


 叔父は「そうか?」と首を捻り、柔らかな声音で言う。


「いいか、おまえほど頭が良けりゃあ、帝都の学術院に入れる。あそこにはな、古文書やら異国の書籍やら、とにかく気の遠くなるほど膨大な数の本があるんだぞ。見てみたいだろう? 砂竜族がどうとか身分こうとか言う奴は俺がとっちめてやる。学術院でいじめられたらな、こう言ってやるんだ。『うちの家系は、皇家の血を引いているんだぞ』」


 本当は、皇家の血筋なんて薄まり引き伸ばされて、大した意味を持たないのだと、後から知った。赤の氏族長家には紛れもなく皇女の血脈が含まれているのだが、あれは降嫁こうかしたのではなく養女になったのだと聞いている。結局彼女は砂竜族として命を終えたのであり、ターリクの身体に流れる血はやはり、生粋きっすいの砂竜族のものなのだ。


 だが、当時のターリクはそのような難しい事情は知らなかったので、叔父に言われるがまま勉強をし、将来学術院に行くための準備を進めた。


 叔父はターリクに、人生の目標を与えてくれた。父や母が、学術院への進学に難色を示しても、叔父だけはいつも味方でいてくれた。


 ――その叔父は今、命尽きて砂の下に横たわっている。


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