「最初の殺人」②
死んでほしい…と願った。
殺してやる…と思いもした。
しかしそういったことを思い、口に出すのは誰にでも可能で、とても簡単なことである。
桐山カイラは日常的にそういったことをいつも口に出していた。
「死ね……とは思っていた。殺したい…って思ってもいた。あいつも、あの時に会ったあの野郎も、殺しに行ってやるって、いつもそう思うだけに止めてた」
思うこと・口に出すことは容易である。
しかし、それらを実行するのは、易くない。
(殺したいっていつも思い続けてたのに、どうして今までずっとそうしなかったか……。
簡単だ。
人を殺すと警察に捕まって、こっちの自由が奪われてしまうから。捕まってからは、今まで通りの生活が出来なくなって、居たくもない所に閉じ込められて、そこから二度と出られないまま人生を終えることになるかもしれないから)
そこまで考えたところで、カイラは「違うな…」と小さく呟く。
「違う……。別に“そうなること”は容易に予想していたし、そうなってもいいとも思ってた。捕まって刑務所にぶち込まれてでも、人を殺したいってずっと考えてたよこっちは。
ただ…… “今はまだその時じゃない”って、そう思ってただけ。この人生でやり残したこと全部清算して、未練が無くなってから殺そうって考えてたんだ……」
カイラは自分の足元付近で転がっている、さっきまで喧嘩していた男の死体に視線を落とす。死体の目は相変わらずコンクリート地面を睨んだまま微動だにしないままでいる。
「まさか、それが今日だったなんて、思いもしなかったんだ。こいつを殺したいとは思った。でも衝動的に手を出した時も、まさか本当に殺してしまうなんて思ってなかった。殺すっていうのは比喩で、とりあえず自分の足で立ち上がれなくなるまでぶん殴ろうって気持ちだったんだ。
それがまさか………はは、こんな結果になるなんて……」
自分の顔に手を当てて、カイラは肩を震わせる。実際は笑っているだけだったのだが、本人ですら自分は泣いてるのか笑ってるのかも分かっていなかった。
(何だか、震えが止まらねーや………………そういえば、時間はどれくらい経ったんだろう)
ここでカイラはようやく周りに目を向けるだけの余裕を取り戻した。カイラが相手を殺めてしまってからの時間は、実際はほんの10秒程となっている(カイラにとっては数十分もの時間が経過していたと錯覚していた)。
近くにいる野次馬が倒れた男の頭から血がたくさん流れていることや、テレビドラマや映画で何度も見た人の死んだ顔をしていること等を確認して、その男が死んでしまっていることを認識したのは、カイラが殺人を完了してから15秒後のことだった。
「し、死んでる……。その人、死んでる……!そ、そいつが………こ、殺した……!」
第一に言葉を発した野次馬に他の人たちはぎょっとする。皆つられて倒れている男に目をやって、今の言葉通りであることを次々に把握していく。
「――きゃあああっ」「人が死んでるぞぉ!?」「殺しだあああ!!」
そして石を水に投げて波紋が生じたかのように、辺りが騒然としていく。今日その場にいる者たちの誰にとっても、人の死は非日常の出来事であり、パニックを起こすなというのは無理に等しかった。
「………そうか。やっぱりコレ、殺しになってるんだよなぁ」
自分の近くに集まっていた人たちが騒然としているのを見て、カイラは目の前に映っていることが現実であることをようやく受け入れた。
自分は今日この時、生まれて初めて人を殺してしまったのだと、ようやく自覚することが出来たカイラだった。
――――――(サイレン音)
野次馬たちが騒ぎ始めてから一分も経たないうちに、パトカーのサイレン音が近づいてくるのをカイラは聞き取る。彼が車を運転していた男と喧嘩している間に野次馬の一人が警察に通報していたことで、殺人が完了してからそう経たないうちにパトカーが二台この場に到着した。
パトカーが止まって警察官たちが現れると、野次馬たちは誰が合わせたわけでもなく一斉に人垣を分けて彼らが通る道をつくる。
「通報によると、男二人が横断歩道付近で喧嘩をしているとのことだったが……」
「これはいったい……」
「先輩、あそこに、頭から血を流して倒れている男がいますよ」
「………さっきから微動だにしていない。まさか………」
警察官四人がカイラのところへ駆けつけて、一人が倒れている方の様子を見て、残りの三人はカイラを囲んで行く手を塞ぐ。
「………ダメだ。もう死んでいる」
「後頭部から血が出ている、それが致命傷か」
「…で。その男を殺したのが………」
三人の警察官は一斉にカイラを凝視する。警察官全員、臨戦態勢に入っており、カイラの行動全て対処出来るよう油断なく身構えていた。
「お前が、この男を殺したのか?」
「……だ、だったらどうするんだよ」
「こちらの質問に答えるんだ」
警察官の剣幕にカイラは気圧されながらも投げやりに答えることにした。この状況で白を切れるとは微塵も思えない。
「そうだよ。俺が、そのクソ運転野郎を、ぶっ殺してやったんだよ!」
もうどうにでもなれ精神で、カイラは殺人を自白した。後のことなどもう考えていなかった。彼の目には闇が広がって見えていた。
「容疑者と思われる男が自白している。これはもう、そういうことですよね」
「だな。手錠をかけろ。俺は署に連絡を入れる」
そう言って左にいる警察官がカイラの身柄を拘束、右にいる警察官がカイラに手錠をかけようとする。二人がカイラに触れるまでの間、カイラにはそれが非常にゆっくりとして見えていた。
(こいつら、俺を逮捕しようとしてる。このままだと手錠をはめられて、パトカーに乗せられて、留置所に入れられてしまう。その後は……もう真っ暗だ。
終わるのか?俺はこんなところで終わってしまうのか?こんなあっさりと、人生終了しちまうのか……?)
1秒が永遠のように感じられる程に、カイラの時間は非常にゆっくりとなっていた。完全に思考を放棄しようとした、その時だった。
(―――っ!そうだ!俺は今日何をしに外へ出たんだよ。この、いたずらとしか思えない胡散臭いカードを………)
「カード、を………………」
はっと我に返った……その後のカイラの行動は、迅速なものだった。ズボンのポケットから白いカードを取り出して、「止まれぇ!!」と彼の今までの中で屈指の大音声を出した。
「「「「………!?」」」」
ポケットから物を取り出す仕草を見て凶器類が出てくるかと足を止めた警察官たちだったが、出てきたのが何の変哲もない白いカードであることを知って眉をひそめる。
「何だ…?」「白い、カード?」「赤い字で何か印字されてる……」「殺、人……」
「――これはなぁ、 “殺人許可証”っつってな!これを持ってる俺だけが、人をぶっ殺すことが許されるってことだ!
どうだ!見えるか!?ここに“殺人許可証”って書かれてるだろ!こいつを所有している俺だけ、人を殺しても良いってことなんだよォ!!てめーら警察は、俺を逮捕することが出来ねーんだよォ!
分かったら、俺の前からさっさと消え失せろ!!!」
やけくそになって、思ったことをそのまま喚き散らすカイラは、自分でも何を言ってるのか把握してなかった。今はただ、自分がこの場を切り抜けることだけしか頭になかった。藁にも縋る思いとはまさしくこのこと。少し前までは一笑に付していたこの許可証が、今では地獄に垂らされた蜘蛛の糸と同等なものだと思うカイラだった。
――どくん、どくん、どくん………
叫び終えたことで沈黙が訪れる。それがまた永遠にすら思えて、カイラの心臓の鼓動は痛いくらいにうるさく響いている。彼にとってこれは人生最大の賭けであり、もしこれが成功するのであれば―――――
「――そ、それは……」
―――――
「ぐ……!まさか、それの所有者だったとは……っ」
―――――
「………おい。手錠をかけるな。そいつを捕まえることは許されない」
―――――
「………え?先輩、どうして―――」
「いいから!撤退するぞ!死体の処理の依頼と、この男の家族・関係者の連絡先を調べるぞ。パトカーに戻れ」
カイラを野放しにしたまま、一人納得がいかない様子の若い警察官だけを残りの三人が連れてパトカーへ戻っていく。パトカーに乗る間際、彼らはカイラを忌まわしそうに睨みつけるのだった。
「………………」
自分を捕まえずに去って行った警察を、カイラはしばらく呆然と見つめていた。
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