帯広の豚丼
朝食は和洋バイキング。野菜料理が多くて、
「パンも焼き立てなんが嬉しいな」
糠平の菩提樹の蜂蜜とかミルクジャムは他で食べられないかも。八時過ぎには出発。まず向かうのは、
「ナイタイ牧場です」
これもアイヌ語でナイ・エタィエ・ペッから来てるそうで、奥の深い沢ぐらいの意味だそう。国道二七三号を南下して上士幌の街の手前ぐらいで右折。
「突き当りみたいなとこを右みたいやな」
今日も杉田さんが先導してくれるから安心だ。
「だ か ら、聞こえてるで」
小さなことは気にしないの。橋を渡るとそれまでの畑の中の道から林間ロードに変わり、そこを抜けると、
「北海道の道はこんなんばっかりやけど、こんな道を内地で見れへんもんな」
それこそ地平線まで続くような直線蕗。北海道がツーリングの聖地と呼ばれるのは、どこかに名物ロードがあるってレベルじゃなくて、どこを走っても内地レベルなら絶景ロードがゴロゴロしてるからだと教えられたようなもの。
「そやから毎年来るのも多いんよな。あそこを左みたいやな」
ナイタイ高原展望台入り口ってなってるものね。そこに見えて来たのはハイジの世界だ。緩やかな牧草地に点在する木と森。なにより見渡す限りの大草原。だって遥か向こうの山まで草原になってるんだよ。杉田さんはバイクを停めて、
「申し訳ありません。ここから仕事をしながら登りますから、展望テラスで待っていて下さい」
そりゃ、これを撮りたいだろ。青い空、白い雲、緑の大草原。あちこちに咲いている薄紫の花はエゾフロウ草かな。あれがレストハウスか。
「九時からみたいやから、もうすぐ開くわ」
それまでウッドデッキで牧場を見下ろしてた。広大、雄大、遥か向こうに広がってるのは十勝平野だものね。レストハウスが開いたら展望カフェに。全面ガラス張りになってるよ。
「こういうとこで食べるのはソフトクリーム」
ソフトクリームを堪能してしばらくしたら、杉田さんたちも上がってきて、
「次は音更町の駒場白樺並木に行きます」
牧場から下りて五十分程で到着。こ、これはまるで映画の一場面のよう。牧場の中を真っすぐの道が伸びて、両側が白樺並木。それでもって砂利道だよ。よくこんなもの知ってるものだ。
「ロケ地によう使われとこやそうや」
そりゃ、使うだろ。十時半も回ったけど、このペースならお昼は帯広かな。これも北海道の特徴で良いと思うけど、街を外れるとホントになにも無いことが多いのよね。下手すりゃ一時間ぐらい民家さえ見かけないとか。
「ホンマにそうや。内地みたいに街を抜けてもダラダラと家とかがあって、そこに食べ物屋とか、コンビニがあるわけやないもんな」
神戸辺りの感覚でいれば確実に食いはぐれると思う。だから帯広で食べるのは良いと思うけど、帯広もイメージないな。なにか名物料理でもあるの。帯広ラーメンとか。
「帯広言うたら」
「豚丼ですね」
帯広ではトンドンじゃなくてブタドンと読むのだそうだけど、それって牛肉の代わりに松屋とかが出していた代用品の元祖みたいなものとか。
「帯広の人に石投げられるで。帯広市民熱愛グルメや」
松屋とか吉野家の豚丼は牛丼の牛肉を豚肉に置き換えたもので、割り下で煮込むすき焼き風のもの。だけど帯広の豚丼は豚肉を甘辛いタレで焼いたものだそう。
「発想は鰻丼からやそうや」
そう言われると食べたくなるけど、
「杉田さん、どこ行くの」
「とん田です」
元祖とされる店は、ばんちょうらしいけど、杉田さんと加藤さんのお気に入りは、とん田みたい。ここなのか、中は定食屋風とでも言えば良いのかな。メニューは、あははは、シンプルだ。ロース、バラ、ヒレとあるけど値段は同じじゃない。お勧めは、
「オレはロース」
「なに言うてんねん、ここでバラ食わんでどうするんや」
加藤さんが推しまくるからバラにしてみた。こ、これは豚丼の概念をひっくり返しそう。厚切りの大きな肉が丼の上にテンコモリ敷き詰められてるじゃない。こっちの壺は、
「秘伝のタレですが、足りなければ足して下さい」
こういう地元ならではのグルメは楽しいな。こういう・・・
「コトリでも帯広の豚丼にしとったで」
ありゃ、先に言われちゃった。でも帯広までだいぶ時間がかかったな。杉田さんたちの仕事があるから仕方がないけど、
「午後はそれほど時間はかからないはずです」
「ナイタイ牧場と音更の白樺並木でエエ絵が撮れたましたさかい」
一路襟裳岬だよね。襟裳の春は~、何もない春です。
「今日は襟裳まで行かん」
なに言ってるのよコトリ。
「さすがに時間があらへん」
あるわよ。帯広からナビで百二十キロぐらいじゃない。少々杉田さんの仕事に付き合ったって三時間もあれば着くはずよ。ノンストップで走ったら二時間で着いてもおかしくない。
「寄り道するからや」
はて? 帯広から襟裳の間に、そんな観光名所あったかな。まだ知られていない隠れたツーリング・スポットとか。あれ、コトリの顔から微笑みが消えてるじゃない。
「杉田さん、見損なったで」
いきなり何を言い出すの。
「こんな小さな男やと思わへんかった」
「なんの話ですか」
そうよなんの話よ。杉田さんはロンドン・ブーツなんて履いてないよ。
『バァーン!!』
コトリは机を叩きつけ、
「好きな女は好きと言わんかい!」
座が固まった。店中固まった。
「メソメソしやがって、そんな男はコトリは好かん」
六花の話か。ここで持ち出すの。
「過ちは取り戻せん」
「だから」
「だからもヘッタクレもあらへん。取り戻せんけどやり直せるんや。その気がないとは言わせんぞ。杉田さんのやってるのは、子どものチンポみたいな小さな見栄や。そんな短小包茎に価値なんかあるかい」
どうでも良いけど比喩がおかしすぎるよ。
「短小包茎抱えて一生送りたいんやったら、ここでバイバイや。もう旅の仲間やあらへん。二度と会う事もあらへんやろ」
コトリのトレードマークは微笑みだけど、実は怒ると氷の女神のわたしより怖いのよね。普段がニコニコ顔だからギャップが物凄いもの。ああ言わんこっちゃない、杉田さんや加藤さんだけでなく店中が凍り付いたったじゃない。どうするのよ、
「十勝スピードウェイで六花と勝負や。杉田さんが来んかったら終わり、六花が勝ったら言うこと聞いてもらう。とりあえず六花と鈴鹿や」
杉田さんは物凄く苦しそうに、
「オレが勝てば」
「一億くれてやるわ。それで来年の四耐までマスかいとけ」
立ち上がったコトリは、
「お騒がせしてすみません。これは迷惑料です」
テーブルに何枚かの万札置いて出て行ったよ。わたしも追いかけたんだけど、ちょっとやり過ぎじゃないの。
「あれぐらいせんと変わらんわ。変わるんやったら、加藤さんがなんとか出来てるで」
たしかに。杉田さんのことを一番よく知り、一番の親友のはずの加藤さんが、あそこまで頑張ってもダメだったものね。
「六花だけやない、四耐プロジェクトのスタッフも待ってるんや。カネ出したんは杉田さんかも知れんけど、みんな鈴鹿の夢を追って頑張って来とるんやんか。それさえ見えへんようになってるのは情けないわ」
そうだよね。杉田さんはおカネを出してるけど、殆どのスタッフは事実上の手弁当みたいなものだと加藤さんも言ってたよ。鈴鹿の晴れ舞台に立つのを夢見て頑張ってたんだものね。
「それを短小包茎で潰すような男はこっちから願い下げや」
どうでも良いけど短小包茎は下品だからやめなさいよ。
「杉田さんが男やったら立派に剥けてそそり立つ」
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