第7話 訓練

「はぁ…はぁ……もう無理……死ぬ……」


ぜぇはぁと息を荒げながら、俺は地面に倒れ込む。

全身汗まみれで服がべたついて気持ち悪いが、疲れ過ぎてそんな事を気にする余裕もない。

俺はそのまま目を瞑り、息を整える。


「やれやれ、情けない奴だ」


一緒に走っていたリリーが此方に駆け寄り、俺の顔にタオルをかけてくれる。


「まあいい、そこで寝てろ。水を取って来てやる」


言葉は辛らつだが、なんだかんだ言って気を使ってくれる良い奴だ。


「頼む……」


リリーとの勝負から1ヵ月。

アーリィの成人の儀に向けて、俺は今、リリー指導の元猛特訓中だった。


「本当に情け無いですねぇ。もう1ヵ月も訓練してるのに、未だに10週も周回遅れするとか。成長しないにも程があります!」


「あいつが規格外すぎるだけだ。これでも初日の倍は走れるようになってるんだ。確実に成長してるだろ」


「5倍だろうが10倍だろうが、周回遅れに変わりはありません!そんな情けない様では、折角のチョロインに愛想を尽かされちゃいますよ!」


ウロンは何をどう勘違いしているのか、リリーが俺に惚れていると思っているらしい。

そのため、事ある毎に俺をけしかけようとはやし立てる。


「リリーはチョロインどころか、スパルタ教師なんだが?」


「彼女はドS何ですよ!間違いありません!」


仮に本当にドSで地獄のしごきが愛情表現だったとしても、俺にM属性が無い以上お断りだ。

と言うか、俺はウロンに惚れてるのだからそれ以前の問題と言ってもいい。


「なんで、俺を他の女とそんなにくっつけようとするんだ?」


童貞チェリーだからです!!」


30センチ程度のミニチュア天使が、大声で童貞チェリーを叫ぶ。

普通なら引くところなのだろうが、不覚にもちょっと興奮してしまう。


あれ?

童貞チェリー呼ばわりされて喜ぶって、俺ってひょっとして実はマゾなのか?


「いいですか!私は純潔ヴァージン何ですよ!?初Hの相手が好きでも何でもない童貞チェリーとか最悪です!せめてこの世界で筆卸しして、スマートにエスコートして貰えないと話になりません!!」


言いたい事は分からなくもない。

好きでもない相手に初Hでぐだつかれたら、そりゃ最悪の思い出になるだろう。

だがその点は問題ない。

何故なら――


「魔王を倒すまでには、俺に惚れさすから問題ないさ」


顔にかかっていたタオルをどけ、出来うる限りの決め顔で宣言する。

お互い愛し合っていれば、多少もたついた所で問題無いはず。


「ありえません!そんな事は!勇人さんが魔王をワンパンで倒すぐらいあり得ません!!」


俺の今年一の決め台詞は、ウロンにノータイムでばっさりと切り捨てられる。

その守りは正に堅牢頑固。


だがそれでこそ俺の惚れた女だ

口説き甲斐があるってものである。


「何ニヒルを気取った顔をしてるんですか?口説き甲斐があるとか考えているなら、うぬぼれが過ぎます!」


心を読まれてしまったか。

いや、これは心が通じ合ってると前向きに捕らえよう。


「私は99,9%顔で選びますから、勇人さんにチャンスは決してありませんよ」


「0,1残ってるなら十分だ」


「残りの0,1%は権力です」


99,9%顔で残りが権力って、どういう人生送ってきたらそんな価値観になるんだ?

いやまあ天使だから、人生は送ってない訳だが。


「どちらにせよ勇人さんには無縁な物ですから、諦めてあのチョロイン1号2号のどちらかで経験を積んでおいてください。いいですね!」


「惚れた女に他の女とやっとけとか言われると、流石に少々傷つくんだが……」


「考え方の問題です。惚れた女を喜ばすために、チョロイン共で練習するって考えればいいんです。そう!全ては愛する私の為!!」


相変わらずウロンは、とんでもない言葉を平然と口にする。

天使って皆こうなのだろうか?

天使全員根性悪だとしたら、夢も希望もあったもんじゃないな。


「お前は本当にとんでもない事言うよな。そもそも俺が、女を簡単にやり捨て出来る様な人間だと思ってんのか?もし誰かと結ばれたら、俺は間違いなくその女に惚れるぞ?そうなったら魔王討伐なんか無視だ。無視」


初めてを捧げた女性をポイ捨てになんて、出来るはずがない。

童貞チェリー舐めんな!


「それなら問題ありません!そうなったら私に再び惚れさせれば良いだけです!!その程度、赤子の手を捻るよりも簡単です!!」


そう言いながら彼女は偉そうに胸を張る。


凄まじい自信だ。

その自信は何処からやって来るのだろうか?


あとことわざに突っ込むのもあれだけど、赤子の手を捻るのって案外難しいよな?

人間にはモラルって物があるし、何より周りの大人がそれを許してはくれないだろう。

捻った瞬間、御両親から顔面パンチが飛んでくること請負だ。


「自信があるのは結構だが、万一って事もあるだろう?」


「ありえません!!」


自分を疑う事ない、真っすぐな気構えは素晴らしい。

素晴らしいが、俺にも曲げられない信念がある。

ウロンに初めてを捧げると言う信念ジャスティスが!


「自信があるのは結構だけど、俺にも譲れない物がある。悪いけど、ウロンには俺の脱童貞はじめてに付き合ってもらうぜ」


「むむむむ!ゆーとがその気なら私にも考えがあります!!」


何を考えるのかは知らんが、どうせウロンに出来るのは俺の耳元で怒鳴る事位だ。

放っておけばそのうち諦めるだろう。


俺はゆっくりと起き上がり、水を取って来てくれたリリーから水を受け取る。


「サンキュー」


「ああ。所で何やら独り言を呟いてたみたいだが?」


リリーが戻ってきた事に気づいて小声で話していたのだが、どうやら少し聞こえてしまっていた様だ。


彼女は心配そうに俺の顔を覗き込む。

きっと疲労から、訳の解らん独り言を呟いていたと心配してくれているのだろう。


「大丈夫か勇人?」


リリーの燃えるような赤い瞳に見つめられ。

思わずどきりとして目を逸らす。


ウロンが馬鹿な事をほざくもんだから、ついつい意識しちまった。


「具合でも悪くなったか?」


何か無駄に心配をかけてしまってる様なので、大丈夫だと答え――


「好きだ。君と一つになりたい」


リリーが口をあんぐりと開け、驚いた様な表情で此方を見つめる。


今のは俺の声だ。


声だが、勿論こんなふざけた言葉を放ったのは俺ではない。


俺は顔のすぐ横に浮かぶ馬鹿女ウロンを全力で睨みつける。


どうせ何もできないだろうと高を括っていたが、とんでもない大誤算だった。

まさかを俺以外にも声を聞こえる様にできるとは。

しかも俺の声色で……


口笛を吹きながら、とぼけた表情でふらふらするウロンに掴みかかりたい気分であったが、今はそれどころではない。

このままでは俺が告白したと勘違いされてしまう。

何とか誤魔化さないと。


「い、今のはあれだ……」


言い訳しなければならないのに、焦って上手く言葉が出てこない。

このままでは気まず過ぎる。


早く言い訳をしなければ……


「そ……そういう事を、いきなり言われても困る……」


リリーは頬を染めながら俯いて、いつものはきはきした受け答えではなく、ぼそぼそと照れ臭そうに呟く。


……ちょっとかわいい。


じゃなくて!


「いや、あの……今のはだな……」


「そ、そうだな……お前が手合わせで、私に勝率5割を叩きだせるようになったら……その時は……」


リリーの顔が更に赤くなる。

まるで茹蛸のようだ。


「そ、そうか……」


言い訳をするよりも先に、お断りの言葉を口にされてしまった。

まあ上手い言い訳も思い浮かばない事だし、もう諦めて告白して振られたという事にしておこう。


余計な恥をかかせてくれたウロンを再度睨むと、どこから取り出したのか、手に≪祝!初H≫と書かれた旗を振り回していた。

その余りの楽しげな様子に、思わずぶん殴りたくなる。


しかしどうやら、ウロンは理解していない様だ。

先程のリリーの返事が、完全な断りを意味する事に。


リリーは強い。

俺との実力差は、圧倒的と言っていい程に。


この一ヶ月、実戦を模した手合わせを何度も行なってはいるが、俺は一度も彼女に勝てていない。

最初の一度を除いて。


その一度にしたって、完全に運が良かっただけだ。

たまたまリリーが息を吸う瞬間に俺が空気を水に変え、肺が水で満たされた窒息状態に陥ってくれたから勝てたに過ぎない。

少しでもタイミングがずれていたら、間違いなく返り討ちにされていただろう。


まあリリーは接敵直前のあのタイミングで息を吸い込むのは当たり前の事だから、間違いなく俺の勝ちだと言ってはいるが……狙ってやったわけじゃない以上、完全に運である。


つまり、俺に勝率5割など無理ゲーという事だ。


「ま、まああれだ。見事に振られちまったけど、さっきの事は忘れてこれからも同僚としてよろしく頼むよ」


「え!?」


驚いた声を上げ、リリーは此方を見つめてくる。

まあ急に告白して来たセクハラ野郎に同僚として仲良くしてくれなんて言われたら、そら嫌だろうな。

これから先の気まずい旅程を考えると、ウロンは本当に余計な事をしてくれたものだ。


恨みがましくウロンを睨むと、相変わらず下品な旗を楽し気に振り回している。


そんなノーテンパーの彼女を見て、俺は大きな大きな溜息を漏らすのだった。

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